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ロッキード事件

戦後最大の汚職事件 


■米航空機メーカー・ロッキード社が、日本へ最新機種を売り込むため、政界の大物に多額の賄賂をばらまいた汚職事件 

■田中角栄元首相も逮捕され「戦後最大の汚職事件」に発展

■小佐野賢治氏の「記憶にございません」が流行語に

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ロッキード事件は、1976年2月の米上院外交委員会で、ロッキード社の副会長アーチボルド・コーチャンが、航空機売り込みのために各国の政府高官に賄賂を渡したことを暴露したことが発端となった。

コーチャンは、日本にも30億円を超える工作資金をばらまき、全日空へロッキード社の旅客機「L-1011トライスター」の売り込みに成功し、防衛庁に対しては次期対潜哨戒機「P-3Cオライオン」の採用を工作したと証言した。


当時の首相の三木武夫は、徹底究明を国民に約束し、捜査の手は前首相である田中角栄ら政界・経済界の大物にまで伸びることになった。

東京地検特捜部の本格的捜査の開始に先立ち、1976年2月16日から数回に渡って衆議院予算委員会で証人喚問が行われた。

証人喚問には、田中角栄と近しい関係にあり、「裏世界の首領」と呼ばれていた国際興業グループ創業者の小佐野賢治をはじめ、全日空の社長、副社長、前社長、丸紅の会長や専務、ロッキード日本支社支配人などが証人として呼ばれた。

証人喚問の模様は全国にテレビ中継され、国民の関心を大きく集めた。その際に小佐野賢治氏が繰り返し発した「記憶にございません」というフレーズは、当時の流行語になった。

捜査によってロッキード社の日本総代理店であった丸紅、全日空、「政界の黒幕」と呼ばれた児玉誉士夫を経由する3つのルートで、日本の政界に賄賂がばらまかれたことが明らかとなり、1976年には元首相の田中角栄、元運輸大臣の橋本登美三郎、元運輸政務次官の佐藤孝行が逮捕された。


その他にも、丸紅、全日空の幹部のほか、秘密裏にロッキード社のコンサルタントをしていた児玉、小佐野ら16人が起訴された。
裁判は1977年1月から、丸紅、全日空、児玉・小佐野の3ルートに分けて進められ、児玉は一審中、田中・橋本・小佐野ら4人は一審で有罪判決を受けて上告中に死亡。他の11人も1995年までに全員有罪が確定した。



以上

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