魂の癒え

最近のわたしはどうにも疲れが取れず、身体もだるければ心もどっしり、どんよりしていた。何故気付かなかったのだろう。多少のつまらなさは感じていた。ただ、他人と暮らすということは少なからずそういうことだと、後ハッピーマニアでも描かれているじゃないか。自分は自分でなくなっていく。暮らしに、生活に、のまれる。

きっかけは昨日見た、ホドロフスキーのDUNEだ。ホドロフスキーの造る画を久しぶりに目の当たりにして、自分のなにかが震えた。魂のようななにか。心が癒えるのが分かった。理解を超えるものは脳の疲れを取ると気づいた。

うんざりしていたのだ。毎日変わり映えのない地上波のテレビ番組に。どれだけ芸人と呼ばれる人間が出ていても、その映像は、そのノリは、今日を乗り越えるための上辺の笑いに過ぎない。会話術や振る舞いを学ぶための番組なのかもしれない。そもそもテレビを見なくなって15年以上経過しているのに、今更面白がれる理由が見つからない。趣味嗜好に合わない。テレビ番組は決定的に達成感がない。お昼の情報番組も、深夜のバラエティも。プロがテレビという媒体をこなしてる感が爽快に思える人もいるのだろうし、人が働いているところを見るのが好きならいいのかもしれない。
狭い1Kの部屋でテレビがつくと、知らねえ小汚いオッサンの汚い声を延々と聞いていて何が楽しいのだろうと毎回思っている。
俗。
耐え難い。

ただわたしは選べないのだ。配慮しても貰えない。何が見たいかなど聞かれない。わたしが選んだ映画の途中で、他のものが見たいと言われることもあった。画面に興味が沸かずにスマホで漫画を読んでいたら、一緒に見ようと言われたことがあった。

自分のことは自分で助けるしかない。
ひとりの時間は少ない。

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