令和五年十一月三十日

幻想も幸福も快楽も味わった。あとは思い出だけで生きてゆける。そう思った時期もあった。音楽と人と自由に塗れたライブハウスの中、孤独で誰とも友達で無かった日々を思い出せば、今はそれよりもずっと心は平坦なように思う。

ただやはり思い出だけで生きていくには若すぎて、感傷に浸って生きていくのならばザクリと死んでしまいたい。
しまいたい。死んでしまいたい。終いたい。死んで、自分を仕舞い込みたいのかもしれない。
終わりはいつでも良かった。若いうちに死にたいとは思っていなかった。ただ自分が生きていくことが想像できず、どうせそのうち死ぬのだからという生き方をしてきた。おそらく、今この瞬間トー横にたむろする数多の10代20代と同じように。

でも意外と終わりは来ない。お見事というほど健康で、未だCOVID-19にも感染していない。禍中のなか行われた葬式があった。彼は酔っ払って座っていたガードレールから後ろに落ち頭を打って死んだのでCOVID-19は関係ないのたが、葬式後の宴会で同じテーブルだった関係者はみなCOVID-19によって床に伏せたと聞いた。私以外の全員が。
その自分の頑丈さには辟易する。どんなに辛く苦しく状況下でも飯は喉を通る。人は食べられなくなるとダメだというがその通りだと思う。

過去を清算しながら生きている。学生時代のあれこれ、上京してからのあれこれ。国民保険に住民税。自分が子供のころ描いていた大人とはかけ離れた自分が、今、酒を飲んでいる。

なぜあの小さな可愛い自分を、強い意志を持った自分を、10代や20代のうちに一度も思い出さなかったのだろうか。いつしか理想は消え、ただ孤独と戦う日々になり、やがて孤独は飽くなき友へと変わった。他人とうまくやれない分、自分とはやたらと仲良くなった。甘やかすのもうまくなった。その代わり、理想を持たなくなった。自分に期待することは人生において二度とないのでは、と思う。他人にも特に期待された記憶はないのだが。

自分に期待しないというのは、自分に見返りを求めない事と同義なので、勿論何も生まれない。

思い出だけでは生きていけないと思う一方で、自分が作る人生に期待することはひとつもないというのは最悪なもので、いわゆる無敵の人なのだろうと思う。失うものがない。

小学校の卒業アルバム作成に伴い、未来年表を作る機会があった。望む未来を好きに描いた。今、未来年表を書けと言われても、一文字も書ける気がしない。書けたとて、"宝くじが当たる"とかそういう類になってしまうのだろう。

私が生きていることに価値はない。意味もない。社会に何も還元することのない、ペットの犬猫以下の存在である。

31歳になってまでこれで、41歳の自分も同じような事を考えているのだろうと思うとおぞましい。おぞましいので死んだ方がいいとは思う。

いつ死んだら良いのだろう。
筋トレすれば解決するとか言うな。

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