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【#えぞ財団】連載企画「#この人、エーゾ」⑫ 幕別町・株式会社折笠農場の折笠さん ~おいしいオーガニックを追求!「地元食材を子どもたちに知ってもらうことが農業や未来を育てる」~

組織のなかで、マチのなかで、もがきながらも新たなチャレンジをしているひとを紹介する「この人、エーゾ」。今回ご紹介するのは、折笠健さん。十勝の幕別町で農業法人を営み、「必要としている誰かを笑顔にする」オーガニック商品の製品化にもチャレンジしています。子どもたちへの食育やアスリートフードなど様々な活動の原点は”農業と地域の未来”でした。

この人エーゾ

折笠 健(おりかさ ますらお):幕別町出身。1968年生まれ。
札幌商工会議所付属専門学校卒業後、株式会社折笠農場に就職し、現在5代目社長。心にとめている言葉は師匠からいただいた「困ったときは自然をみろ」「作りたい作物の原産地の気候をみろ」「バカになれ」の3つ。

※オーガニック商品の注文や詳細はコチラ(ラインで追加)→@rbb2003n

「こんな仕事だったらできるかも。」農家を継ぐことを自らの意志で決意した出来事。

”日本の食料基地”とも言われ2021年の食料自給率がカロリーベースで1339%を誇る十勝平野。見渡す限り畑や森が広がる十勝平野にある幕別町に折笠農場はあり、作付面積は95Haの農場ではジャガイモや豆、小麦を生産しています。折笠さんは1909年(明治42年)から110年年以上続く折笠農場株式会社の5代目社長です。
「子供ながらに長男だから農家をなんとなく継ぐのかな~と思っていた」小さい頃から”継ぐ”ということを自然と認識していたようですが、実際に継いだ後、”どんな風に・どんな仕事をするのか“という具体的な想像はできていなかったといいます。
幕別町で生まれ育った折笠さんは高校を卒業し、札幌の専門学校経て、父の会社に就職。まずは、”農作物を育てる仕事”ではなく、”営業や物流など直接お客様と接する仕事”をすることになり、大阪営業所勤務になったそうです。その後8年間大阪営業所で勤務をしたそうですが、その中である出来事があったといいます。「当時メインの取引先である生活協同組合の組合員さんとの交流があって、じゃがいもの品種を提案することになったんです。『ホッカイコガネ』という、形がメークインに似ている品種で、それを提案したら『なんでこんな美味しいじゃがいもを早く持ってこないんだ!』って怒られたんですよ(笑)それで、その時思ったんですよね。農作物を育てるだけじゃなくて、実際に消費者に農作物の提案をして、選択肢を与えられることもトータルでできるなら、自分もできるかもって」これを機に、5代目として折笠農場を継ぐことを決意したと語ってくれました。

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十勝平野で作付面積95Haを誇る折笠農場

”奇跡のリンゴ”の木村さんがきっかけ。マニュアルのない”自然栽培”に挑む。

28歳の時、大阪から幕別町へ戻り、農作物を育てる仕事を本格的にスタートした折笠さん。「父の代は馬からトラクターに変わって、最新技術を取り入れたり、販路開拓を始めたりしながら、農家の生活を安定させるための努力をしてきました。その努力の結果、実際に経済面が安定してきた分、自分が5代目として農家を継いだあたりからチャレンジが少なくなったんですよね」と当時を振り返ります。昔の農家は冬に出稼ぎをして働かないと家族を養えなかったそうですが、ちょうど30年前くらい前から国の仕組みが変わり、勉強会などに参加することで、農家の経済面を安定させることができるようになったといいます。経済面以外の部分でチャレンジをすることが課題となった折笠さんは「自分たちが育てている農作物は消費者をイメージしにくい作物ということも大きな要因だけど、農業ってこんな感じじゃだめなんです。あらゆることに対して、もっと気づかないといけない。」と話します。そして今から約15年前、当時不可能と言われていた無農薬でリンゴを栽培することに成功した木村秋則さんが折笠農場に来場したことがきっかけとなり、化学物質過敏症などで困っているお客様をイメージして、農作物を育てることを決めたといいます。これが自然栽培のスタートとなりました。

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馬からトラクターへ。折笠農場では海外産最新の機材を導入

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