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旅だった僕らはどこへ行こうか


くるり「ばらの花」を聴くたびに思うことがある。

この曲が映画「百万円と苦虫女」のエンドロールで流れていたような気がしてならないのだ。

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そして実際に映画を見てみると、エンドロールで流れるのはクラムボンの原田郁子が歌う「やわらかくて きもちいい風」
そして実際にこの曲を聴いてみると、この曲は実によくこの映画にマッチしている。

やわらかくて きもちいい風
わたしの頬を撫でた
大丈夫だよって言われたような気がして
大きく息を吸い込んだ

蒼井優演じる鈴子は百万円が貯まると旅に出る。そして新しい土地に着き、仕事をして、百万円貯まるとまた旅に出る。海へ、山へ、町へ、転々とし、そこで人と出会い、交流し、そしてまた旅に出る。その旅路を、この歌はとても丁寧に紐解いているし、何よりこの歌には癒しがある。旅を続ける彼女へ向けられた癒し。

それでも、この映画のラストシーン、キャリーバッグを引いた鈴子が歩道橋の上でふと立ち止まる時、そして彼女がどこまでも、何処までも澄みきった青い空の中にいて、そして最後のあの台詞を口にする瞬間に私の脳裏に強く想起されるのは、くるりの「ばらの花」


この映画がこういうラストシーンになるのは、実は最初から決っていた。
冒頭の取調で、刑事から言われたこと、そしてそれを聞いて鈴子が思わずぽつりと漏らした一言。あの時点で、この話がこういう結末になるのは、実は分かりきっていた。そもそも劇中で本人も言っているように、鈴子は「自分探しの旅」なんて最初からしていない。この話の核心は最初から明かされている通り、「百万円貯めて、ひとりで生きていく」、ただそれだけだ。

だからラストシーンで彼が追いつくはずがないし、彼女が彼が追いかけてきたことに気づいて振り返るはずがないのだ。これはそういう映画ではない。そして彼女の最後の台詞に全てが集約されている。これは逃避行であり、彼女が逃げているのは根本的にどうしようもないことからだ。そしてそれは、彼女がひと所に留まっていると必ず追いついてくる。だから彼女はまた旅に出る。そしてそんな旅人に似つかわしい歌を、私はひとつ知っている。

安心な僕らは旅に出ようぜ
思いきり泣いたり笑ったりしようぜ

このフレーズは癒しではない。赦しでもない。そしておそらく救いでもない(これは何を救いと呼ぶのかによって変わるかもしれないが)。全ての物語が救いで終わるだなんて思わないことだ。彼女の次の行先はわからない。旅に出ることで、何か成長したり、回復したり……そういうことじゃない。必ずしもそうである必要はない。ともかく確実なのは、彼女はまた旅に出ること。そしてそんな旅人のための歌がひとつあること。


ところで鈴子は前科者である。

そういうわけで、昨日この映画を観てきた。

殺人の前科のある若者が、ポーランドの田舎町で司祭に成りすます。

前科がある者は聖職者にはなれないと規律で定められている。しかし彼は嘘と偶然から小さな町の司祭の立場を得て、そして彼自身の言葉と、信仰でもって人々の信頼を得ていく。そして、ひとつの事を成す。

それで問題は、この話にハッピーエンドはあり得るのかということ。そうだ。ハッピーエンドなのか、ではなく、そもそもこの話はハッピーエンドになり得たのか。

それを救いと呼ぶのなら、あるいは救いはあるのかもしれない(誰にとって、というのはこの際置いておく)。しかし揺るぎない事実として、彼は紛れもなく殺人者であり、彼の軀には罪人のタトゥーが入っている。告解は過去そのものを消してはくれない。

彼は聖人か、それとも悪党か。彼は司祭として振る舞うが、酒も煙草も止めないし、自己流の説法は彼の少年院での――罪人としての――経験から来るものだ。そして同時に、彼によってもたらされたものが確かにある。となれば、そもそもの問いの立て方のほうが誤りであろう。それに……、これは英題の「Corpus Christi」、そしてポーランド語の原題「Boże Ciało」からして明らかであるから、別に言ってもいいだろう。そもそも彼が重ねられているのは「聖職者」ではない。彼の軀には罪を示す刺青が――傷が――入っている。

そして私たちは最終的に、最も根本的なことに直面する。それは信仰について――特に彼らの信仰についてのことだが、即ち「神は”ただ”見ている」、ということだ。ラストシーン、彼は走り出す。彼がどこに行くのかはわからない。

ともかく、美しい映画だった。特に主演のバルトシュ・ビィエレニアはとても美しかった。
エンドロールに歌はなかった。劇中で彼が讃美歌を歌うシーンはある。

そしてこの映画を観終わった時、私の脳裏に浮かんでいた歌が一つある。

人殺し 銀行強盗
チンピラたち 手を合わせる 刑務所の中
耳をすませば かすかだけど
聞こえてくる 誰の胸にも 少年の詩は

ブルーハーツにサブスクは無い。CDを買うんだ。


そう、それで結局のところは、彼と彼女はそれぞれ前科者であって、そして最後にまた旅に出たということ。彼と彼女がどこへ行くのかはわからないということ。そして一番重要なのは、私たち自身が前科者であるか否かに関わらず、私たちの胸に傷があるか否かに関わらず、ふいに旅に出たくなることがあるということ。

それで私たちは時として、理由も目的地もなく旅に出ることがある。あるいは、旅に出なきゃいけなくなる。あるいは既に旅に出てしまっている。どこに行くか決めてない。どこに行くのかわからない。そういう時。そういう時には癒しとか、赦しとか、救いとかそういう言葉は似つかわしくないような気がする。そして私はその時に似つかわしい歌をひとつ知っている。

安心な僕らは旅に出ようぜ
思い切り泣いたり笑ったりしようぜ

これは救いである必要はないからだ。

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