自分の手を汚さずにネガキャンする簡単な方法を教えます

ある漫画がTwitterでバズった。

曰く作者は映画館のスタッフとのことで、「#映画館ではよくある事」というハッシュタグに、自身がスタッフとして遭遇したトラブルや困りごとをエッセイ漫画にしていくつか投稿していた。そのうちの一つ、10月22日に投稿されたものが、現在は削除されているものの5000以上のリツイートをされたのである。内容は次の通り。

ある時、一人の成人男性客が作者の窓口に来て、プリキュア映画のチケットを購入し、その際に「近くに女児のいる席」を希望してきた。「小さい女の子に囲まれて映画を観たい」と要望する男性客を明らかにヤバいと判断した作者は、他のスタッフに助力を求めようとするが、他のスタッフも窓口客の応対に追われていて手が離せそうにない。自力で対応することにした作者は、この男性客をZ-11番の座席に通した。12番を飛ばしてZ-13,14番はエグザイル系のお父さんとやんちゃな娘の親子に売った席であり、通路を挟んだ隣も前列も家族連れや団体客で、ここに配置しておけばなんとかなるだろうとの判断だった。ところがこの件をSL(セクションリーダー。まあ上司と思えばよい)に報告したところ、その対応は差別だと言われてしまう。SL曰く、隣に女性客に座ってほしいと言うのは男性なら当然の希望であり、要望通りに女児に囲まれた席に案内するべきだったと言うのである。自分のやったことは無自覚な差別だったのかと思い悩む。

以上が当該漫画の概要であり、そしてこれを読んだ読者から非常に多くの意見が寄せられた。客の要望は明らかに異常であり、女児を守るためにとった対応なのだから差別ではなく何も問題ないと言う人もいれば、事案相当の案件なのだから自力で解決せようとせずに上司か保安要員を呼ぶべきだったという人や、あるいは「そういった対応はできない」とあくまでマニュアル然として突っぱねればよかったと言う人もいる。その一方で、何も悪いことをしていないのに映画館側に勝手に厄介客を押し付けられたエグザイル系親子への同情や、漫画内で自身の自画像は羊風のデフォルメキャラクターであるのに対し男性客をステレオタイプなオタク風に描き、SLにわざわざ「独身男性」と書き添えている点などへの指摘も相次いだ。かくしてこの漫画は対応の是非や差別か否かについて非常に大きな議論を巻き起こしていった。

諸君はこの件についてどう思うか。周りの人と1分間ディスカッションしてみてください。嘘だ。話を続ける。


この漫画は前提がおかしい、ということにはぜひ気づいてもらいたい。

チケットを窓口で売っている、というのは実のところ別にそこまで大きな問題ではない。確かに最近の映画館、特にプリキュアのような大衆映画をかけるシネコンは自動券売機が配備され、窓口まで行って「大人1枚」なんていうのも昔の光景になってきたが、とはいえ自動券売機の普及が一気に進んだのはここ10年くらいの話だし、プリキュアの映画は2005年からやっている。件の漫画も作者の新人時代の話とのことなので、「プリキュア映画のチケット購入に窓口が長蛇の列」というのもまるっきりありえない話でもない。というか実際にあった。問題はその後である。
「大人1枚、女児に近い席で」さてこの要望、あなたなら通しますか?いや倫理的にできるかの問題じゃなく、可能か、不可能かを聞いているんだ。言い方を変えよう。あなたの目の前にはスクリーンの座席表、最低でもZ=26×14=364の座席が並んでいて、それぞれ空席を示す白か、予約済みを示す赤ないし黒で表示されている。さて、この予約済み席のうちの任意の一つに座っているのが男性か、女性か、大人か、子供か、判別する手段が果たしてあるのだろうか。「スクリーンの近くの席」はわかる。「通路側」とか「真ん中らへん」とか、「いい席で!」もまあいい。だが「誰々の隣の席」という注文には、最初からそいつと連番で買ってくれとしか答えようがない。飲み会の席順じゃあるまいし、どの席にどんな奴が座ってるかなんて、映画館の一スタッフに分かるわけがないのである。ましてや「女児」ともなるともうお手上げだ。言うまでもないが女児というのが単独で映画館の座席にポツンと座っているというのは相当なイレギュラーで、普通女児というものは親と一緒に観に来る。というわけで「大人1枚、子供1枚、D-15と16番」連番席だ。さて問題です。D-15に座っているのは親?それとも子供?どっちのチケットを子供料金で売ったのか、思い出してみよう。日に500人から1000人は出入りする映画館で、長蛇の列ができるほどの大人気映画のチケットのうち、特定の回のどの番号をどういう客に売ったかを覚えているということは、果たして人間に可能なのだろうか。エグザイルパパに売ったチケットの番号を覚えていただけでも驚異的だ。そしていくら記憶力がよくても、自分以外のスタッフが売ったチケットがどういう人間に渡ったのかを知るすべはない。

理解いただけるだろうか。この漫画は作者が超能力者でもない限り絶対にありえない話をしているのである。「女児の近くの席に通す」なんてことは、いい悪い以前に根本的に不可能なのだ。だからまあ最大限ありえたかもしれない話を拾うのならば、「映画館にヤバイ客が来たのでとりあえず隅の方の席に隔離した」までであり、それ以外は全部創作だろう。ちなみに個人的には他にもありえない話が多すぎて「映画館スタッフの私」から全部創作だと思う。

ということでこの漫画はバッサリ嘘と切り捨てられ、作者は「プリキュア映画お気持ちスタッフ」との蔑称を賜ることになったのでした。めでたしめでたし。



この記事のタイトルを思い出してほしい。本題はここからである。

この漫画の作者を指して「プリキュア映画お気持ちスタッフ」あるいは「プリキュア映画スタッフ」との呼称は、現在Twitter内でかなりの範囲に広がり、このワードを含む言及が大量に投稿されているのが確認できる。

この文字列を、この一件について知らない人が目にした場合、どういった印象を受けるだろうか。

あたかも、プリキュア映画の製作スタッフ、具体的には東映アニメーションのスタッフが炎上しているかのように見えないだろうか。
あるいは「プリキュア映画の漫画」「プリキュア映画の件」などとぼかして言っている人もいるが、これも同じだ。プリキュア映画の公式が何か問題を起こしたかのように見えてしまう。

この漫画の最も悪質な点はこれである。「プリキュア」という具体的な作品名を出していることだ。このせいで、この漫画に言及すること自体が、その内容や立場にかかわらずプリキュア公式への多大なる迷惑になってしまうのである。この話題が広まれば広まるほど、言及する人が増えれば増えるほど、炎上しているのは漫画のほうであるにもかかわらず、プリキュア映画へのネガティブキャンペーンが進行する。

現在、プリキュアシリーズ最新作「映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!」が公開中である。公開日は10月23日。この漫画の投稿は冒頭でも述べたように10月22日。新作映画の公開日の前日である。このタイミングで「プリキュア映画に女児目当ての変質者が出没した」と言う真偽不明の、しかも過去の情報が流布され、「プリキュア映画」という文字列を含んだネガティブな投稿が大量に発生した。これは極めて深刻な検索汚染の発生と言わざるを得ない。

厄介なのは、「映画館に変質者が出た」という情報をプリキュア公式側が嘘だと断定するのが極めて困難だという点である。そして漫画の本題は変質者ではなく「自分の対応の是非」であり、これ自体をプリキュアへのネガティブな発信とは言えない。一方で「プリキュア映画」の検索結果を汚染し、結果的にプリキュア映画のイメージを落としかねない文字列を含んだ投稿をしているのは、プリキュア映画ではなくこの漫画に対するコメント、しかもその多くはこの漫画を切って捨てる批判的な側なのである。

ここで断言しておく。この話はオタクの話でも、差別の話でも、劇場痴漢の話でも、プリキュアの話でも映画館の話でもエグザイルパパの話でもない。
特定の作品名を入れて、ありもしない「是非」の話をその辺の燃えやすそうなところに適当に放り投げれば、あとは自分で手を下さなくともオタクたちが学級会を始めて、勝手に作品のネガティブキャンペーンをやってくれるという、凶悪なメソッドの話である。

仕掛けた本人は最悪でも「嘘」で済み、安全に抜けられる。ちなみに件の漫画の作者はこの漫画を削除、アカウントの削除も仄めかしている。結局のところこの作者にそんな大それた悪意があったのかは分からない。単にバズ狙いの盛りまくり創作実話漫画を描いただけで、こんな大事になるとは思ってなかったし、プリキュア公式がどんなに迷惑をこうむるかも全く考えていなかった、という可能性だって十分にある。しかしそんなことはどうでもよく、このメソッドは応用していくらでも使えそうだ。適当な沸点の低い連中、例えばオタクとフェミニズム、オタクと表現規制といった年中学級会やってるようなところに、任意の作品名を盛り込んだ、それっぽい賛否両論巻き起こりそうな創作実話を放り投げ、あとは放っておくだけでいい。こんな雑な話ですら釣られるやつはごまんといたのだから、もう少し巧妙にやれば最後までバレないかもしれない。映画のように初動が肝心という相手ならけっこう効くのではなかろうか。当たればもうけもの、外れても大した痛手はない。この記事を読んだ諸君が、このメソッドを”使ってみる”のもよし、あるいは釣られないための用心にするもよし、それは各々にお任せする。

最後に、匿名の業界エッセイなどというものは所詮ゴシップ誌に登場する「業界関係者」だの「事情通」だの手合いのようなものだ。生贄にされたエグザイルパパに黙祷。

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