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母乳と私と助け舟

       


昔々のお話です。

四半世紀前に、母乳育児と布おむつが素晴らしいと
林祭られた時代がありました。

そんな時代の、真っ只中に
一人の女性が、初めての出産を迎えようとしていました。

彼女は、結婚してすぐに流産を経験し
待望の妊娠、出産を迎えました。

いい母親になろう、元気な子どもに育てよう
子どもにとって、いいものを全て与えよう
そう、心に決めていました。

出産する病院は、母乳育児、布おむつを
推奨している病院を選びました。
彼女には、それが子どもにとって一番いい
育児だと思っていたからです。

出産が始まりました
なかなか進まない分娩に
医師から、陣痛促進剤を勧められました。

彼女が求める最高の出産は
自然分娩だったので
彼女は自然分娩で産んであげられないことに
落胆しました。

陣痛促進剤を使って25時間の死闘の末に
3465グラムの赤ちゃんを産みました。

出産後の体の疲労は著しく
初産だったため、過度の緊張もあり
出産後は身も心も放心状態でした。

しかし、選んだ病院は
母乳、布おむつ育児を推奨している病院です。
産んでから数時間後から授乳は始まり
12時間後には同室になり
体が回復するまもなく育児が開始されました。

母乳は十分出ない(当然ですが)
赤ちゃんは、大泣きする  (これまた当然)
空腹で寝ない (そうでしょう)
彼女は焦る、泣き止ませるために抱っこする
一日中、抱っこする
疲れる・・・・母乳は出る筈もなく
落ち込んでいくの悪循環でした。

もちろん、こんな状態で
育児を楽しむ余裕もなく、育児ノイローゼ
一歩手前に陥りました。

5年後、性懲りも無く二人目を出産しました。

二人目の病院は、臍帯血を保存するため
一人目とは別の病院で出産しました。

二人目は、臍帯が首に3重に巻かれていた為
少しだけ、赤ちゃんが出て来る時に
ドクターの助けを借りましたが楽に出産できました。

今回も母乳で頑張ってやらなきゃなって思っていたら
看護師さんから
「出産で疲れてるだろうから、ゆっくりと
一日休んでね」と言われました。
彼女は「母乳は?」というと

「お母さんの体が一番大事、お母さんが回復したら
母乳は勝手に出てくるから、それからで十分だよ」

" うっそ〜、それでいいの〜? "
と思いつつも、体を休められることに安堵したのでした。

1日、ぐっすり寝て
ご飯を食べたら元気が出ました。
母乳はすぐに出なかったものの
ある程度、回復した身体のお陰で
" まあ、これから出るだろう " と心に余裕が見られました。

不足分は粉ミルクで補って
満足している赤ちゃんは、ほとんど眠っていました。
彼女も休息を取ることができ
" 可愛いな、嬉しいな " そう感じることができました。
子どもは、すくすく育ちました。

3人目の出産は余裕のよっちゃんでした。
何が余裕かというと
「お母さんの体が一番大事」
という言葉に、実践が伴って確信に変わっていたからです。

41歳、低地胎盤の大量出血。
5歳上のお兄ちゃんもいる訳だし
無理しない育児が最高の育児だってこと

そう思って子育てしたら
全く拘りのない、らく〜で、楽しい
育児ができたな〜って自己承認。
もちろん、子どもは元気ですくすく育っています。
本当に望んでいた育児を手にすることが
できました。

チャンちゃん♪ おしま〜い。


最後まで読んでくださって、ありがとうございます。またの訪問をお待ちしています : )