見出し画像

助けるとは・・・

意外と書物が好きかもしれないキイチロウです。

さて本日は幼少期から動物(ペット)に縁のあった私が今してること、をお届けします。

物心ついたキイチロウ少年(幼稚園生)の家には
1.犬
2.猫
3.金魚
4.ニワトリ(!)
がすでに同居していました。
狭い庭の奥にはニワトリが2匹「コッコ」言いながら歩いている日常でした。
奴らは躊躇なくうんこするし、たまに卵も生みやがります。
#茶色でおなじみの名古屋コーチンでした


個人的には動物全般好きでしたが、爬虫類系、昆虫系には興味はなく、大人になってから魚類系にも手を出しましたが、そもそも興味がなかったことに気が付き引退しました。

過去の飼育した犬猫は変わった奴らばかりだったので私にトラウマを植え付けましたが同時に命の大切さも教えてくれました。

飼育していた猫が逃げて自宅前ではねられてしまった経験から、動物を飼うというのどういうことなのか、責任感だけではない意味を涙ながらに学ばせていただきました。中2の夏でした。

2019年1月3日。有名神社にここぞとばかりの初詣とか全く興味のない我が家は名古屋城の麓「名城公園」いました。

子供たちと「ランチでも食うかね」と彷徨きながらこの後の予定を何して遊ぶか相談していたところ、長女たちが偶然にも近くに保護猫シェルターがあることを発見します。
#目標発見#花の木シェルター

余談ですが「猫カフェ」というビジネスモデルがあまり好ましく思っていない私としては、猫カフェに連れて行かない親父でした。
(関係者の方すいません、動物園と似たようなものと言われますが、辞めて捨てて逃げる経営者の話を何度も聞いたことがあるので)

ちなみに私は猫大好き人間です。
#俺の猫好きを甘く見るな

画像1
「俺をここから出してくれ!」

保護猫のシェルターで正月三が日からオープンしているとのことで(よく考えれば当たり前ですが)、まぁ見るだけならと興味本位で行くことに。

シェルターでは協力金を支払って後は好きなだけ見て弄れられるシステムだったので応援も兼ねて「コスパいいな」程度しか思っていなかったのですが、そこに展示してあった殺処分ゼロの文字、多頭飼育崩壊現場の後始末のことを知り、これはすげえなと思ったのが印象的でした。
#いつまで経っても人間は身勝手 #シェルター発起人は神

そんなこんなで戯れてスタッフさんとも話をすること数時間。
当然ながら引き取りシステムがあることを把握。
#嫌な予感しかしない展開

結局この日はシステムを聞いただけで「まぁご縁があったら」と言い聞かせ家に帰って相談だとばかりに帰宅。子供たちはほぼ引き取ることを前提にどうするかを相談。
 私の経験を踏まえて我が家で引き取った場合の大変さを熱弁する夜。
#動物はもれなく糞をする! #そう、私と同じだ!

まもなくして第2回目の訪問。めぼしい人懐っこい2匹を選んだ2匹が丁度次回の精密検査と去勢手術だったので結果待ちに。
これで伝染病や先天性病があると白紙撤回も可能というシステム(先住猫がいる場合などは感染ってしまうため)でしたが何とも言えない不安。
1匹でも病気がなければいいねと言いながら・・・

2月初旬に我が家に無事2匹到着。
オス2匹は元気ですぐに我が家に馴染みました。

画像3
「あそこを出てしまえばこっちのもんだ」

我が家は郊外位置する一戸建てに住んでおりますが、彼ら2匹には十分な広さ、生活範囲がありストレスも無いと思われます(`・ω・´)ゞ

さて題名です。
所詮犬猫、されど命。
私は漁で取られる魚もペットで売買される犬猫も、食べるための豚も同じ生命だと考えます。
犬猫は人間のように、おもちゃのように可愛がられ弄くり回し、飽きたら捨てる。
もう食べられないからと平気な顔で残される魚料理や焼き肉で炭化する肉片。
捕鯨すれば攻撃され、犬猫の殺処分は繰り返される。
スケールが大きくなりすぎてますが、要は何が正義なのかと私は子供の時から感じていました。当然私もこれまで生きてきた中で飯も残したしペットショップで熱帯魚を買った人間です。


それらの経験から動物を飼育することの意味やそれが人間のエゴであることしっかり認識してことに当たる必要があると考えています。
言葉にすると考えや思いがうまく伝わらないのでもどかしいですし、この手の話をすると批判も多いですが、同じ生命を預かるのであればペットショップで買うより保護シェルターから引き取る選択肢を取るべきだと考えます。
#どこで「買う」かよりどうやって「飼う」かを考えて

保護猫・保護犬を助けるという選択肢をもっと一般化して、ペットショップで高額な見栄えのいい犬猫を所有する、という目的がずれた認識をそろそろやめていきませんか?というメッセージを繋げられればなというのが私の想いであり、保護猫を引き取った時の決断の要として心に刻みました。

とまぁ偉そうなことを書いてしまったわけですが、私は犬猫を擬人化することに嫌悪感を持つ人間でして、彼らはやっぱり犬猫なのです。

良きパートナーとして一緒に楽しい生活が送れられれば、彼らを助けられた、とそう言えるのではないかなと彼らの寝顔を見ながら思うわけです。

画像3
「死んではいない、ねむいのだ」

この話には当たり前のように続きがございますので、その話はまたの機会に。

犬も猫も、その他の動物もみんな同じ生命。
出来ることから、一つづつ。

どっちかって言うとまぁまぁの猫派なキイチロウがお伝えしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?