「武器よさらば」から見える戦争という概念


1.契機

自分は幸運にも人生の中で「戦争」というものを体験したことはない。しかし、昨今の国際情勢から素人目にも戦争が起こるのではないかと思うような時が以前にもまして増えてきた。誰かが言っていた「戦争は悪だ」という言葉をただ信じているだけでは戦争を体験していない世代は先人たちが学んだ「戦争は悪」ということをないがしろにしてしまい、同じ過ちを繰り返すと考える。戦争とはいったいどのようなモノなのかということを学ぶ (1)べく、アーネスト・ヘミングウェイという一つの主観から描かれた「武器よさらば」(2) を選んだ。

2.「武器よさらば」を一読したうえでの仮設

 「武器よさらば」の作中では戦争という概念に対してのヘミングウェイ(3) の思考が表れていると考えられる場面が多々存在する。その中でも特に興味深いのがフレドリック が他者と戦争というものの本質について議論する場面である。
 第九章にてフレドリック(4)が部下の一人であるパッシーニと戦争の性悪さについて議論する場面である。それはパッシーニから始まる。

「戦争より始末の悪いものはありませんよ」
「敗北はもっと始末が悪いぞ」

フレドリックは敗北のほうが始末が悪いとパッシーニは戦争のほうが始末が悪いと考えている。戦争に対する知識が一切ない者からすると、他者が武力をもって自己を犯さんとすれば武力をもってそれに対抗するというのは至極まっとうな考えだと考える。つまり、他者に対して抵抗をせずに敗北することが最悪の結果だということだ。フレドリックも同様である。だが、パッシーニは戦争。つまりは抵抗することのほうが始末が悪いと考えている。ただの喧嘩であればフレドリックが正しいと考えるが、これは戦争である。抵抗することによって敗北よりも多くの人間が死に、悪ければ国も安定を失くす。つまり戦争とはそれほどまでに過酷な環境であり、敗北よりも始末が悪い最低のモノであるということが考えられる。また同章にてパッシーニは敗北よりも始末の悪い戦争について次のように述べている。

「あなたはわたしらに好きなようにしゃべらせてくださる。じゃあ、聞いてください。戦争ほどたちの悪いものはありませんよ。われわれ、搬送車で働いている者には、こいつがどんなに性悪か、わからないんです。それがわかったときには、みんな頭がおかしくなっているので、終わらせることなんざできないでしょう。戦争の性悪さが分からずじまいで終わるやつもいます。将校たちをひたすら恐れている奴らもいます。戦争を支えるのは、そういうやつなんですね。」

戦争の性悪さとは「搬送車で働いている者」には分からないと述べ、分かる者は頭がおかしくなるとも述べている。これこそが戦争の始末の悪さの理由である。「搬送車で働いている者には分からない。」ということは前線に立ち敵を殺し、仲間を殺されるというを体験しなくてはその性悪さは理解できないということだ。仮に前記のような体験をしたとしても、体験した者は頭がおかしくなり終わらせることができない。これらのパッシーニの言葉から戦争とは未知のドラッグの様なものではないかと推察される。未知のドラッグは体験してみなければ、それがどういったものかは理解できない。しかし一度体験するとそこからは抜け出せずに止まることなく地獄へと転がり落ちていく。戦争とはそれほどまでに性悪なものだということがフレドリックとパッシーニのやり取りから推察される。
 次は第十章にて負傷 (5)により病院にいるフレドリックと神父(6) が会話する場面である。神父はフレドリックに対し「戦争が見えていない。」と述べ、続けて「たとえ傷を負われても、あなたには見えていないんだ。」とも述べている。フレドリックは自らが重症を負い部下が死ぬ瞬間を目の当たりにした。十分にパッシーニの意図する戦争の性悪さを理解するだけの体験をしている。にもかかわらず、神父はフレドリックに対して戦争が見えていないと言い、フレドリックもそれを否定しない。これについてはパッシーニの述べたことの方が正しいと考えられる神父は言葉がある。

「どんなにひどかったか、きっと信じられないでしょう。でも、あなたも最前線にいたわけだから、どんなにひどいか、ご存知でしょうけれど。この夏、大勢の人が戦争の実態を理解したんですね。永遠にわからないだろうと思っていた将校たちも、いまは分かっています」(7)

フレドリックが前線を退いている間に神父たちは前線にて熾烈な戦闘を経験した。その結果として大勢の人間が戦争の実態を理解した。つまり戦争の実態を理解するための方法の一つにはパッシーニの言葉から推察されるように最前線での戦闘を経験するというと考えられる。
 パッシーニは戦争の性悪さを理解した者は頭がおかしくなると述べていた。それを裏付ける場面がある。第二十五章においてリナルディ(8) は夕食の際に場を盛り上げようと神父をいびり始めるが、フレドリックが神父の側についたことに対して異常なほどに神父に悪態をつく。その後も脈略のないことを話し続けたり、みんなが自分をお払い箱にしようするなどということを述べていた。以前のリナルディは好男子でユーモアがある優秀な外科医というイメージだった。とてもではないが前記のように取り乱す人物とは思えなかった。
これらのことからパッシーニが第十章で述べたように、戦争とは過酷な戦闘経験の末にその実態を理解することができ、理解したものには何らかの変化が生じる。悪ければ人が変わったかのように狂うこともあると仮定することができる.

 3.戦地におけるヘミングウェイの体験

3-1.当時の背景
アメリカは一九一七年の四月にドイツに対して宣戦布告(9)をした。ヘミングウェイの友人であるヘンリー・S・ヴィラード(10)(以下ヘンリー)は第一次世界大戦に参加した理由についてこう述べている。(11)

まだ徴兵年齢に達していない学生たちは、自分にかのうないかなる手段を講じてでも祖国に奉仕しようと、学び舎に背を向けていた。彼らは一丸となって、ドイツ皇帝を縛り首にしてやろうという意欲に燃えていたのだ。
中略
それはいかなる犠牲を払い、いかなる危険や苦難に直面しようとも、絶対に達成すべき人類の目的だった。それはすべての戦争を終わらせるための戦争であって、それに勝利すれば、もはや戦争は一切なくなるはずだった。(12)

この記述から当時のアメリカではドイツ軍が悪であるということを妄信しており、その絶対的な悪を滅ぼすためには戦争という過酷な状況下に自己を投じることも辞さない覚悟が見受けられる。さらにヘンリーはもう一つの理由として同書にて以下のようにも述べている。

どんな理由があろうと、わたしは、われらの時代に上演される最大のスぺクタルをリングサイドから見守るチャンスを逃したくはなかったのだ。われわれ多くの若者にとって、ヨーロッパの戦争は、血沸き肉躍るドラマが上演される巨大な舞台のようなものだった。詩人のアーチボルト・マクリーシュの言葉ではないが、それは、あたかもいま評判の芝居を観にいくように、パリという場所から“観にいく”何物か、だった。

前記した文章した文章とは打って変わり、ここには信念や責任感といったものは全く感じられない。さらに、彼らにとってのヨーロッパでの戦争とはあくまでリングサイドから観るものであり、決してリングに上がって演じるものではなかったということが考えられる。つまり実際に銃を握り戦闘を行うわけでもなく、比較的に安全で大学を留年する必要のないほどの短期間の赤十字ドライヴァーは彼ら(13)にうってつけの役職であったと考えられる。

3-2.赤十字ドライヴァーの役割
赤十字ドライヴァーの役割とは前線で負傷した兵士たちを後方の病院まで運び出すことにあった。主な責務は「ラブ・アンド・ウォー」のジェイムズ・ネイグルのそれが詳しい。

彼らが命じられていた責務は三つあった。そのうち最も危険なのは負傷兵を前線から“スタメント”もしくは“サニタ”と呼ばれていた救護所まで運ぶことだった。二番目の責務はこの救護所から後方の野戦病院まで負傷兵を運ぶこと。三番目の責務は、負傷兵を野戦病院から陸軍輸送センターまで運ぶこと、だった。

この文面からのみだと、前線に赴く責務以外は容易なものに見える。しかし応急処置を施されているとはいえ負傷兵である。いつ死ぬかも分からないような人々を黙々を運び続けるという行為は肉体的というよりも精神的な疲労が予想される。しかも彼らは、まだ徴兵年齢に達していない大学生が主だった。それほどまでに若い彼らが生と死の間にいる人々を運ぶことの精神的苦痛は計り知れない。

3-3.移動酒保
ヘミングウェイは赤十字ドライヴァーとしてだけではなく、移動酒保勤務も行っていた。これは最前線のすぐ近くのトレーラーから戦闘で疲れた兵士たちに、熱いコーヒー、コールド・ドリンク、タバコ、チョコレート等を配ることが任務だった。最前線を走り回って兵士に様々な物資を届けるので、これは当時の赤十字の任務の中でも最も危険なものだったといえるだろう。実際にイタリアで最初の犠牲になった赤十字将校マッキー少尉(14)はこの任務中に迫撃砲弾により死亡している。ヘミングウェイはこの任務中にマッキー少尉と同様に迫撃砲弾により負傷している。彼と迫撃砲の間にいた兵士は死亡し、他にも多くの負傷者がでたという。ヘンリーによると彼は迫撃砲の中身を両足に浴び、近くにいた重傷を負った兵士を背中に負い、後方まで運んで行った。その際に機関銃弾を膝に受けたという。(15)戦場で一命を落としかける感じについてヘミングウェイはヘンリーに対し、こう述べている。

「あれは溶鉱炉から熱風が噴き出してきたような感じだったな。それから耳を聾すような轟音に包まれてーーー膝のあたりに、生暖かい粘りついたものを感じたね。ぼくは血まみれになっていたんだ。それは、ぼくの血と、あのイタリア兵の血だった。呼吸をしようにもできなかった。うなじを一撃されたような、うっと息がつまったような、あの感じは、いろんな人間がいろんなふうに表現しているけどね。ぼくがもしあの頃ハジ・ババという伝説的なペルシャ人のことを知っていたら、彼の生々しい表現がぴったりだと思っただろうけどね。こういう表現なんだ。それはーーー“私の魂が口の中に飛びだしてきた”」

ヘミングウェイはリングサイドよりも、さらにリングの近くで戦場を体験した。これは戦争を理解するには十分な体験だったのだろうか。もし彼がこの経験によって戦争を理解したならば、彼の頭はどうおかしくなったのだろうか。

4. 戦争状態における人生観

「武器よさらば」では徐々に主題が戦争からキャサリンとの恋愛へと移り変わってゆく。戦争における人生観ついて描写している場面に興味深い文章が第三十四章にある。

もし並外れた勇気を持ってこの世に現れる人間がいると、この世は彼らを殺してでも撲滅しようとする。そして当然のことに彼らを殺してしまう。この世は彼らを一人残らず撲滅する。その惨劇の後で、強者となって生き残る者もすくなくはない。だが、撲滅できない者がいれば、この世は彼らを殺してしまう。善良なる者、温厚なる者、勇敢なる者を、この世は等し並みに殺してしまう。それ以外の人間にしてもいずれ確実に殺されるのだが、そう急いで処理されないだけの話なのだ。

この一文は人間の一生について述べているものだと考えられる。並外れた勇気を持つ者や善良なる者たちは、そうではない人間よりも早くに命を落とす。フレドリックの周りがそうであった。果敢にも将校である彼の前で敗北のほうがマシだと述べるパッシーニ、、寝る間も惜しみ他者のために食事を用意したり、見ず知らずの役にも立ちそうにない娘たちを車に乗せてやるほどに善良なアイモ、野戦憲兵に向かって愚劣な尋問をやめて殺せという中佐。彼らはみな、フレドリックの目の前で死んでいった。フレドリックは彼らと同じ運命をたどってもおかしくない状況であったにも関わらず、結局は生き延びている。つまりフレドリックはそう急いで処理されない人物であり、彼らは善良なる者、温厚なる者、勇敢なる者なのである。第十一章にて神父は戦争を起こしたがらない連中についてこう述べている。

「絶望的だったことは一度もありません。でも、ときどき私は希望を失います」

戦争を起こしたがらない連中とは善良なる者、温厚なる者、勇敢なる者である。つまり、この世は彼らを一人残らず撲滅する。しかし強者となって生き残る者も少なくない。だから絶望てきではないが、この世が彼らを執拗なまでに撲滅しようとする様には希望を失うのである。

5. 結論

武器よさらば」にて幾度か話題に上がる戦争の本質だが「戦争状態における人生観」にて記述したフレドリックの言葉こそがそれであると考える。フレドリックの周りにいた善良なる者、温厚なる者、勇敢なる者たちは彼の目の前で死んでいった。彼らと同様の状況下にあったにも関わらずフレドリックが生き延びた理由は何だったのであろうか。少なくとも野戦将校に殺された中尉と違う点は逃亡である。フレドリックは彼の武器ともいえる軍隊を捨て逃亡したのである。それによって彼は生き残ることができた。逃亡をした後の生活が幸福であったかは疑問だが彼は少なくとも生き残ったのである。敗北よりも始末が悪く、経験しなければ本質は見えず、経験すれば頭がくるってしまう未知のドラッグのような戦争から、フレドリックは武器を捨てることによって逃れられたのである。戦争から逃れられる唯一の方法は武器を捨てることなのである。

注釈

 1.この論文では「学ぶ」とは英語での「learn」と同様に、物事を知りそれを身に着けるという意味で使用することを強調しておく。
2.ここでの「武器よさらば」とは新潮文庫より出版された、アーネスト・ヘミングウェイ作 高見浩訳の作品を指す。
3.小説「武器よさらば」の作者。アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)
4.「武器よさらば」の主人公
フレドリックは前記した彼とパッシーニの会話の後に迫撃砲弾により重症を負った。なおこの迫撃砲弾によりパッシーニは死亡している。
5.フレドリックの友人。フレドリックが物語の最初にいた戦地にいた神父
第二十六章においてヘンリーが回復し、前線に戻り神父と会った時の会話の一部。
6.フレドリックの友人。フレドリックとは同室。外科医で中尉。
7.「武器よさらば」のヘミングウェイ年譜より抜粋
8.彼はヘミングウェイと同様に赤十字軍の傷病兵輸送車のドライヴァーとして第一次世界大戦に参加した。また、黄疸にかかった際にミラノにある赤十字病院に入院した。ヘミングウェイとはそこで出会い、友好を深めた。
9.「ラブ・アンド・ウォー」内の第一章イタリアにおける赤十字ドライヴァーより抜粋。
10.これらの文章はヘンリーによって書かれたものであるが、これは当時のアメリカの若者たちの中で蔓延していた世論の風潮ともいえるものであると考える。
11.ヘミングウェイは大学に進学せずに新聞社にて記者として働いていた。なので期間等は彼にとってはあまり関係がないと思われる。
12.ヘミングウェイがイタリアで最初に負傷した赤十字の兵だとする文章が多くあるが、実際はマッキー少尉が最初の犠牲者である。
13.ヘミングウェイの負傷に関しては様々な説があるが、前記したものは、ほぼすべての説に明記されているもので、機関銃弾に関してはレントゲンの写真もある。これらのことから彼の負傷に関して疑う余地はないと考えられる。

参考文献

 武器よさらば / アーネスト・ヘミングウェイ 作 / 高見浩 訳 / 新潮文庫
 ラブ・アンド・ウォー / ヘンリー・Sヴィラード,ジェイムズ・ネイグル 作 / 高見浩 訳 / 新潮文庫
 ヘミングウェイ全短編 / アーネスト・ヘミングウェイ 作 / 高見浩 訳 / 新潮文庫

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