“分かり合える”という事に寄せて

皆さま、明けましておめでとうございます。
昨年はお世話いただき、ありがとうございました。
今年も色々なことにチャレンジしていきたいと思っております。
本年もよろしくお願いいたします。

標題の”分かり合える”という事について、考えています。
僕は自分が見たり経験し感じた事を他者と共有したいといった思いがあります。その先には他者との異論や同感という展開があって、
それらの展開には、生きるという営みにつながります。
”生きる”ということを、前へと結び続ける力になっているのだと信じています。
なので、生きていく上で分かり合えるということは自然なことなのだと思っています。

"分かり合える"とは、
人同士が互いを理解し尊重しあうこと
を意味します。
https://thesaurus.weblio.jp/content/%E5%88%86%E3%81%8B%E3%82%8A%E5%90%88%E3%81%88%E3%82%8B

僕らの鳴らす音楽というものは、永遠を一瞬へ納める行為と認識しています。
永遠とは一瞬の連続、一回きりである一瞬の連続であります。であるとすれば、今という時間を感じ体現する行為とも言えます。
しかしそれでは、作り手と聞き手の関係は、ブロードキャストなやりとりで終えてしまいます。

僕の音楽で実現したいことは、”分かり合える”ことです。そのためには、マルチキャストに通じることなのです。

インターネットでたまたま目にした下記の明示、初めて見た時、「はっ」としました。
・服に個性があるのではなく、着る人に個性がある。
https://www.fastretailing.com/employment/ja/uniqlo/jp/career/regional/about.html

日系企業として世界展開されているファーストリテイリングの理念のひとつとして、
提供する側ではなく、ユーザーが主役なのだと理解しました。
流行や自己の表現に対して構造的な脱却を図る上で非常に興味深いです。
自己表現の一つであるファッションにおいて、服が着る人を選ぶのではなく、着る人が服を選ぶという言葉、
従業される方の視点はさておき、この理念にはとても共感します。
これは暮らしの中にある普遍の現れであると感じました。

この”分かり合える”という感覚は、
作り手として、何かモノを求めるというより、互いを理解し尊重しあう行為であると思っています。
音楽で言うと、作り手と聞き手の意思の疎通であり、
聞く人に個性があるが故に、そこで鳴っている音が意味づけられてゆく事なのだと感じます。

また、音楽の産業的価値や価格という面においては、
自由過ぎる競争が世の中を悲惨にしたとか言いますが、責任の半分は黙ってきた側にもあるのではと受け止めています。
“分かり合える”という行為を追求することに、最適な解答があるのではと思っています。

先ゆきの見えづらい時世ではありますが、
自身の表現の目的を見違えぬよう、
見失わぬよう。

健やかなひとときを新年お過ごしください。
ありがとうございました。


最近書いた曲の歌詞の一つです。

想いの射程から そう、確認できること
一度きりの生を 唯々諾々と従うも
あなたに与えられた 使命を感じ取る
儚さ憂い 自由過ぎる競争か
博愛が他者との目くばせに堕ちるとき 遺伝子が向かう先

日々の繰り返しにも ずっと 複雑に絡まリあう世界
その一部を見るよりも もっと 果てしなく出逢うはず

時間の移り変わりにも ずっと 複雑に絡まリあう 世界
全て与えられているんだ 明日へ導く

日々の繰り返しにも ずっと 複雑に絡まリあう世界
その一部を見るよりも もっと 果てしなく出逢うはず

時間の移り変わりにも ずっと 複雑に絡まリあう 世界
全て与えられているんだ 明日へ導く

多勢に流されずに きっと 複雑に絡まリあう世界
全てがある

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