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「今の社会にモヤモヤすることがあるということ」=「自分の生活を徹底的に見直す必要があるということ」に気づいた話

2023年になり、やりたいことリストを書こうとしていたら、ふと気づいたことがあります。
今までの何冊も自己家発本を読んでいたのに、やっと気づけたこと。(もっと早く気づきたかった…)


それは

「こんな社会だったらいいのに…」「都会の人はいいなあ」「こんなお店があれば流行るのに…」と思い浮かべていたこと
=自分の生活で満足していない部分
=自分の(当たり前だと思っていた)生活を見直して、本当にできないのか1つずつ真剣に考えなければいけない部分


であったと言うことです。

まさしく、昨日noteでも紹介した
澤円さんの著書「あたりまえを疑え」の言葉通りです。


どう言うことかというと、
私は今まで、社会に不満に思うことや、こんな場所があったらいいのに、と思ったことがいくつかあります。

例えば子どもたちの保育園期であれば…
平日は仕事、仕事後や休日でも、家事をしながらも四六時中子どもたちと一緒にいるのが大変なママが、一息つけるカフェであったり、その日に急に預かってくれる託児所があったらいいなと思っていました。また、昔は地域の人たちみんなで子育てをしていた、隣近所の方も預かってくれたりしてたと言う話を聞いては、そんな社会ならいいのにと悲観したり。

また最近で言えば…
子どもたちは地域のスポ少でスポーツをしているのですが、もう少し子どもたちの心を育てるよう意識してほしいなあ、他の近くのスポ少でもみんなそんな感じだし…やっぱり都会の子たちは、スポーツする環境を選ぶことができていいなあと思っていました。

自分に関しても…
あまり外交的でないけど、ふと立ち寄って話をしたい時だけ、マスターと話をできるようなカフェがあるといいのになあ、でも近くのカフェはそんな感じじゃないしなあとかウジウジ思っていました。
だから「居場所作り」「地域共生」とかのワードがニュースなどで取り上げられているのをみると、私の地域でもそんな取り組みがあってもいいのにとか思う訳です。


でもこれって自分がモヤモヤしていることを、社会や環境のせいにしているだけなんだって今更ながら気づいたのです。(本当遅い…)

「家のローンもあるし、どうせ自分の環境では叶わない」「現状でできることの中から、妥協しながらも選択して生活していくしかない」と思って環境を変えることなんて考えてもいなかったのです。無意識ですけど、それが当たり前になりすぎていたことに気づいていなかったのです。


「本当に変えられないの?」と疑って、どんなことができるかを真剣に考えたらいいだけだと思います。

子育て期であれば、探せば色んな子育てサークルもあっただろうし、どうしても急な時は、近くに住む友達やママ友に子どもを見てもらうことができたであろうに、「迷惑だろう」と勝手に判断して行動しなかっただけかもしれない。

今であれば、子どものスポ少の環境に満足していないのであれば、「この辺にはないだろう」と思うのではなく、まず真剣に探してみる、そこでもし少し遠くてもいいところがあるのであれば「送迎が無理だ」とすぐに諦めるのではなく「果たしてこの仕事、働き方が
自分や家族にとって最適なのだろうか」と疑ってみることが大切だと気づきました。

そう思うと、自分でほぼ無意識に「無理だ」と考えもしなかったことってたくさんあるんだなと言うことに気づきました。


で、他にも勝手に決めつけて諦めていることってないかなあ?
自分のことなのに社会のせいにして、勝手にモヤモヤしていることないかなあと考えていると出てくる出てくる…

そして変えられそうなこといっぱいあるある!
ということがわかりました。

そしてその結果、今の仕事を来年辞めようという決断することができました。
モヤモヤしながらも本当に辞めようと決断することはできないだろうなと思っていたことだったので、自分でもびっくりしながらも、新しい生活スタイルになることを想像すると楽しみで仕方ありません。(もちろんまだあと1年はしっかり今の仕事も頑張ろうと思いますし、次の仕事が見つかった訳でもありませんが…)


もしこれを読んでくれた方が、
今の社会にモヤモヤすることがあれば、
それは「自分の生活を徹底的に見直せばもしかして解消されるかも?」と思って、生活や環境を見直すきっかけになれば嬉しいです。









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