このごろ、何を書いてもエモくなってしまう

まぁ、タイトルの通りなのだけど最近はそんな感じだ。

理由としては、ゆっくりと思考を深める時間が増え、かつ自分の身の回りを整理する時間が増えたからかもしれない。あまり生産性を考えなくなった。

自分語りの感傷に浸りながら書く文章が最近多い。それは独善的で、啓蒙的であり、見る人によってはあまり心地よくないのかもしれない。一番見て欲しいのは数年後の自分だからだろう。

多分、この感情や想いは今の不安定な状況の今だからこそ持つことのできる贅沢なものだと思う。

こうした状況だからこそ、友人たちと不安や希望なども含めて今の自分たちを共有できている。未来が全くわからないと今に集中することしかできず、前ほど将来について思い悩むことが減った。

正直、この先どうなるかわからない。今いる居場所がなくなる可能性もある。でも、その不安定さの中でも、微細なことにも感受性を働かせて日々を過ごせている。そして、何か新しいことを学び、創作に時間を捧げることができるのは幸せだ。

現時点での生産性から少し距離をおき、数年後どれだけの人に対して、またはどのくらいの深さでその人たちと過ごすことができるかに重点を置く。そのための準備期間として今を割り切って平安に過ごす。

散歩をしたり、プログラミングの勉強をしたり、友人たちと電話したり、Zoom×〇〇をしたり、漫画を読んだり、Youtubeを見たりなど、ゆったりしている。前ほど焦燥感に駆られて生産的なことのためだけに行動することが少なくなってきた。

これは、僕にとってはすごい大きな変化だ。これまでは何か生産的なことをしていなければ生きている意味を見出せなかった。そして、それは人からの愛を真っ直ぐに受け入れられない状況を作り出していた。いつか離れていってしまうかもしれないという思いがより一層自分を孤独にした。10年以上その思いに囚われていた。

でも、そうした孤独を感じることはこの三月四月においてはあまりなかった気がする。
それについては、明確に理由があるのだけど今は書くタイミングではない気がする。とりあえず思うのは、今は幸せでありその幸せは程度の差はあれ普遍的なものであると思う。永遠を時間軸にとってもそう思う。

なんか取り留めもない文章になってしまったので、今日はこのくらいにする。やはり最近はエモい文章しかかけない。


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