テンプレート

周りの「人間」を自分と同じ生物だと認識できなくなったのは一体全体いつからであろう。

 彼らにはテンプレートが存在する。行動という面においてそういう部分が垣間見れるのは、SNSで一定の需要がある「あるある」をみて、

「ああ、昔こんなことがあったな」

と感慨に浸るあなた自身を想像すれば分かるだろう。

 それは言葉にも存在する。即ち、自分がいった言葉に対しての返答には、何種類かのテンプレートがあるのだ。

 自分の夢を語れば、応援してくれる人もいれば、馬鹿にする人もいる。心配事を他人に相談すれば、慰めてくれる人、説教する人、その人の気持ちになって何をすればいいかアドバイスしてくれる人。何も言えない人も勿論ね。

 そんな人達を見ては、

「この話このパターンか」

とため息混じりに、自分自身も世の中を生きるための処世術として身につけた会話デッキで対戦する。
なんと、退屈な日々であろうか。

 そう、思っていたのにな。

 カレは違った。イケメンで高身長で勉強もできて、誰もが憧れる完璧超人!とは全く縁のない人だった。ニヤケ面で、不器用そうで、女の子とは会話すらしたことが無さそうな人。

 カレと初めて話したのは、高校1年生の梅雨の頃。私たちは同じ茶道部の部員で、その日は部室の掃除を任されていた。

 茶道部室の隣は学校のプールがあり、水泳部が練習をしていた。するとカレが、

「小中でやった、水泳の授業楽しかったなあ 
当時の友達がオレの頭沈めてきてさオレ溺れかけたもん」

 何を言ってるのか理解できなかった。私の知るテンプレートだったら、ここは話し相手である私のことについて聞いたり、天気の話をしてどうにか会話を持たせようとするところだろう。

 カレの台詞は、穏やかな日常回が終わり、ストーリーに緊張感を持たせるスパイスとして。主人公の敵役がその回の最後に使うと効果的な、そんな台詞だった。

 いやそもそも、水中に頭を沈められて、、楽しかった?
普通に考えたら、カレはいじめられてたんじゃ?

 そんなカレが気になってしまった。好きになったって言うのかな。いつも用意してた会話デッキは通用しない。カレの考えてることも分からない。頑張って話しかけようと思っても、迷惑だったらどうしようとか、つまらないやつだと思われたらどうしようとか。知りたくない、でも知りたい。

 そんな自分が、私がつまらないと思ってたテンプレートの中にいることに気づいた。

 カレのことが知りたくて、いつも会話デッキで対応してる友人に相談する。デッキにない私の言葉は酷くおざなりで、まとまりも無くて、それでも相手には伝わって。太陽の日の出で、時間の経過と自分たちの眠気に気づくくらい、夢中で話し込んでいた。

 気づいたんだ。周りを同じ「人間」として見れなくなったんじゃない。私が周りと同じように踏み込むことをしなかっただけなんだ。

 もうテンプレートは要らない。自分が最善だと思う行動で、言葉で、カレを振り向かせられたらと思う。

 私の世界が前のめりになっていく。

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