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【新聞記事】 「論の芽 わかりづらいカタカナ語 なぜ使うの」を読む

2024年2月2日(金)の朝日新聞に、社会言語学者の井上逸兵さんのお話が掲載されていました。

「わかりづらいカタカナ語」・・・・普段から私も困っていたことです。わからないカタカナ語はググったり、ウィキペディアで調べたりします。
一度調べてもなかなか記憶に留まらず、同じ言葉を再び調べることもあります。
ほんと、わかりづらい・・・・

井上さんのお話の中で二つのことが印象に残りました。

一つは次の文です。

言語には、情報伝達のほかに、その言葉を使うことで「自分は何者なのか」を示す機能があります。

朝日新聞2024年2月2日11ページ

初めは、サラッと読み流しましたが、「ん?!」と思い、反芻したところ、非常に納得がいくお話でした。
ビジネスで使われるカタカナ語がまさに「自分は何者なのか」を知らしめる働きをしているというのです。「私は『イマ風』の仕事の仕方をわかってますよ」と、その分野に詳しい人物であることを示しているというのです。
なるほど〜。

カタカナ語に限らず、その言葉を使うことで「自分は何者なのか」を示すことは日常でもあります。
私自身のことを考えてみてもそうです。

障害に関する専門性があるため、障害に関することを話す時に専門用語を使い、「私はこういったことに詳しいんですよ。得意な分野なんですよ」と示しているのですね。

知的障害があり、話し言葉をうまく使用できない子どもさんを相手にした時、私は音声言語だけでなくボディランゲージを使用します。「私はボディランゲージを使う人ですよ。ほら、話し言葉だけよりもよくわかるでしょう?私だったら伝わりますよ」と示しているのですね。


もうひとつ印象に残った文はこちらです。

カタカナ語を使うのは悪いことではありません。一方、行政が安易に使うのは問題があります。行政の役割は、必要な情報をわかりやすく万人に伝えることです。意味がわからない言葉を使えば、当然、情報伝達ができない。さらに自分は排除されているという感覚まで生み出してしまう恐れがあります。

朝日新聞2024年2月2日11ページ

コロナ禍での「ステイホーム」という言葉。私の母は意味が分からず、私に尋ねていました。置き去られそうになっていました。

確かに、この言葉は、私たちにとっては簡単な英語を組み合わせた言葉なのですぐにイメージが沸きます。若者だったら、さらに馴染みやすいものだったでしょう。
若者文化として使うにはよかったのでしょうが、日本国民をまとめる行政のことばとしてはよくなかったのかもしれませんね。

ここで、再び、カタカナ語に限ったことではない、自分の周囲を見直して思ったことがあります。
自分の勤務する、知的障害のある子どもを教育する特別支援学校に当てはめてみました。
知的障害のある子どもを教育する特別支援学校の役割は、必要な情報をわかりやすく子どもに伝えることです。意味がわからない言葉を使えば、当然、情報伝達ができない。さらに自分は排除されているという感覚まで生み出してしまう恐れがあります。」
主語を変えても、全く同じことが言えるのです。
関わる大人が、子どもたちの理解できる言葉を使うことで、子どもたちにきちんと情報が伝わります。逆に理解できない言葉を使うことで、情報が届かず、大人の独りよがりの判断で生活を強いることになるのです。そして、「わかってもらえない」という失望。その失望の言葉すらも「わかってもらえない」厳しい状況もありえます。
子どもたちが理解できる言葉やボディランゲージの使用は必須です。

私は、井上さんのお話から、言葉の使用について改めて考えることができました。


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