いつかラスベガスの寿司カウンターで

同い年の韓国人のジョシュアは、いい友達だ。

韓国人の男の子とは10年以上いたアメリカでたくさん知り合ったけれど、ジョシュアが一番ハンサムだった。自他共に認めるぐらいヨン様に似ていて、背は韓国人にしては多少低めで170ちょっとぐらいだが、色白で眼鏡をかけた、細くて清潔感のある、ザ真面目くん。顔は整っているのに、カッコいいオーラを出さないから、目立たないタイプだ。

大学卒業後働いていたけれど、仕事を辞めて語学留学していた彼とは、クラスが同じで、仲良くなった。アメリカのあの街の語学学校の生徒は、医者やら弁護士やら知的レベルが高く、みんな大人で、ほとんどの生徒は働いていていた。彼も寿司屋でバイトしていた。そこで寿司職人として彼に仕事を教えていた人が独立して店を出す時に、ジョシュアも開店を手伝うために店をかわり、私もジョシュアに誘われて、サーバー(ウェイトレス)として一緒に働き始めた。

彼が他の街にいた時に知り合った、台湾人の女の子が彼を訪ねてきた時には、女の子を1人でもてなすのは荷が重かったのか、私もちょうどヒマだった1週間、がっつり毎日3人で遊んだ。ジョシュアの運転で湖に行った時には、働いてばかりで観光という観光をしたことがなかった彼はとても楽しんでいて、もっと出かけないと、としみじみ言っていたのが印象に残っている。忙しすぎる彼を少し気の毒に思った。

3人でレストランに行けばケンカになるぐらい、3人共自分が払う!とアジア人特有の奢り合いをした。私の家でジョシュアリクエストで、お好み焼きを作って3人で食べたりもした。あの時のお好み焼きは、あまり上手くできなかったけれど、当時のアメリカ人の彼氏と同棲していた家に、ジョシュアを招いて何度か食事をしたことがある。手土産として、食後に食べると体に良いから、と毎回フルーツを持ってきてくれて、皿洗いは全部やってくれる。韓国には徴兵制があるから、軍隊にいた時の癖で、毎回早く食べ終わってしまうジョシュア。気にしないでゆっくり食べて、悪い癖が直らない、といつも言っていた。とにかく気の効く男の子だった。
台湾の女の子を一人暮らしの家に泊めても手を出さない紳士で、毎週日曜日は韓国の教会へ通う、敬虔なクリスチャン。

ジョシュアに誘われて、ゲイパーティーにも行った。寿司シェフとしてカウンターでお客さんと会話するのが上手い彼の顧客カップルの家。今考えると、色白で細いジョシュアをゲイ仲間に紹介するつもりだったろうに、なぜか同僚で女の私を突然誘うジョシュア。韓国人のお誘いはその場のノリ、勢いだ。もしかして、ジョシュアも身の危険を本能で感じて、やっぱり、と思って私を連れて行ったのだろうか。それはわからない。ジョシュアはゲイではなく、偏見があるわけでもなかったけれど、芸術的ではあるけれど、ゲイの性的な写真が家のそこら中に飾られ、ゲイの写真集をオーナーカップルに見せられると、彼らがいない時には、困惑を隠しきれず、不思議な世界だ、を連発していた。男性ばかりだった気がしないでもないが、ゲイ慣れしている私は気にならなかった。
それでも私とジョシュアは、やはりアメリカ人の中に第二言語で飛び込むのは気後れし、リビングではなく、小さな部屋で2人で話していた。自分たちからは話しかけず、部屋に入ってきた人と話す、という感じだ。今思えば、あの褐色の肌の男の子はジョシュア狙いだったかな。小柄でチャーミングなゲイの彼は、何度も私たちの部屋に来て話したけれど、私とジョシュアはずっと一緒にいたから、彼の邪魔してしまったのかもしれない。あれも2人で差し入れしたビールがおいしい季節だった。

ジョシュアの友達のコリアンアメリカンの友達を通じて、元ネイビーの子たちとも遊んだ。元ネイビーのアメリカ人のバイト先のモーテルの夜のプールは平日の夜は貸し切り状態で、客のいないスイートルームで着替えさせてくれた。女の子は私だけ。なんかこういうシチュエーション、タイでもフロリダでもあったな。女1人で気にしないで水着になっちゃうパターン。色気ないから、誘いやすいんだろう。ほどよい?不細工加減だし。でも、何で誘われたんだろう?ジョシュアのお誘いは、いつも当日、突然、仕事帰りに行こう、となる。コリアンアメリカンの子にはおんぶ(ゲームの一環だったような)されたことを覚えている。でも紳士だった。私の胸が彼の背中に当たるから、際どかったけど。
これも暑い夏の忘れられない夜だ。

楽しかった。ジョシュアとの思い出はいい思い出ばっかりだ。

よくよく考えると、ジョシュアは私に気を許しすぎているのか、理由がわからないけど、機嫌が悪いときがあって、困ったこともあったのに。あ~ジョシュアの機嫌が悪いんだ、直ったかな?と思いながら仕事に行ったことが何度かあった。

男の親友というのもおかしいけど、それぐらい近い距離感だった。恐らく韓国人は人との距離が日本人より近く、ジョシュアは第二言語の英語で私と話しているにも関わらず、韓国人同士ぐらいの距離感で私に接していたんだと思う。もしかしたら、それが原因でイライラさせてしまったのかもしれない。
彼は私を頭では日本人とわかっているのに、韓国人だと思ってしまい、私が彼の求めるリアクションができないからイライラしていた?

わからないけど、いつか聞いてみたい。なんでときどき怒ってたの?と。

私が入籍する時には、結婚の立会人になってくれ、お花を持ってきてくれた。
それからしばらくして、彼はビザのスポンサーを探すために街を離れた。一緒に働いたのは一年弱か、半年ぐらいだっただろうか。
寂しかった。
さよならは言えてない。
電話で話しただけ。
3人で1週間一緒に過ごした台湾の女の子が去るときには、女の子と2人で号泣したけど、ジョシュアは泣くチャンスもくれなかった。

ジョシュアにはフラれている。確かフェイスブックのメッセージで、自分の結婚生活が上手くいかずに悩んでいた時に、話したいから時間を作ってと頼んだけれど、ラスベガスで朝から夜遅くまで働いて話す時間がない、と言われた。たぶん、本当にそうだったんだと思う。友達が多くて頼られる彼だから、もう遠くにいる私に割ける時間はなかったんだと思う。

でも、最近久しぶりにフェイスブックを開くと、2年前の私の誕生日にメッセージをくれていたことに気がついた。おめでとうの一言だったけど、嬉しかった。

もし、私がジョシュアと知り合った時にすぐ当時付き合っていた人と別れて、2人で日本食レストランを開くことを目標に頑張ろうとしたら、どうなっただろう。私からプロポーズしても、フラれたかな、やっぱり。彼の夢は奥さんがピアノをひいて、子どもたちと一緒に歌うこと、ささやかだけど、と言っていた。誠実真面目でハンサムなジョシュアならすぐ叶えられそうだったのに。

いつかまたアメリカに行ったら、ジョシュアには会いたい。本当にいい友達だったから。ラスベガスの寿司カウンターで話をできる日が、いつかくるだろうか。

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