noteの続け方
noteが書けない…とは言い訳。
なんでもいいから書けばよいのだが…。
noteに遊びに行けない日々が続いている。
元々かなりズボラな性分。自覚あり。
最近、あまりスマホを見なくなってしまった。
依存的になりやすい私にとっては健康的なのかもしれない。
だが、なんとなく味気ない。
忙しい日常に浸ると、感性がカラカラに渇く事がはっきりとわかる。
育児、家事、仕事は生きていく上でどれも必要だとはわかっていてもしんどい。
家事なんて、ほぼしていないに等しいが洗濯物を箪笥にしまう作業が正直辛い時がある。
お皿を洗って元の場所に戻すという事が辛い時がある。
朝重たい体を奮い立たせて起こして、着替えて、メイクすることが辛い時もある。
しかし、日々は続いて、理不尽な事なんかに我慢したりしながら必死だ。
忙しさも、必死も、どこか「無」に向かっているような気がする。だから心の渇きを感じるのだろうか。
noteを始めた頃は、同じ考えの人や同じ感性の人を求めていたし、自分の描いた作品を通して人間性を高めてみたいなんて「意識高い系」な事をしていたのだけど、方向性を見失って、張り切ると空回りして、誰かに無理に近づけば近づくほど傷ついたし、傷つけた。
きっと、分かり合える友達が欲しかったのだ…。
友達とは窮屈になるものではないから、そして、簡単にいなくなるものではないから、鼻息を荒くして必死に繋ぎ止める事はない。
自然に、心地よくあれ。
noteを始めてから出来た友人達はとても優しく、温かい。
乾いた感性に潤いをくれる場所が、noteだったりする。みなさんの日常から溢れ出す芸術の泉に少しだけ入らせていただく。
あまりおでかけできていないけどそのうちあなたのところへまいります。
最近、水族館に行ってきた。
誰かが、ネットの世界を「電子の海」と表現していて、それがとても好きだ。
深くて、神秘的で、自由で、美しいけど、注意しないと沈んで息ができなくなる感じ。
東北は、暖冬だった冬の帳尻合わせをしているかのように三月は寒い日が続いている。
ひんやりした空気が実はとても好きだ。
体を壊さぬ程度に過ごそう。
熱しては冷やして、乾いたら潤して。
そうやってnoteを続けようと思う。
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