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マーク・トウェインの言葉からの教育論

“アダムはリンゴを食べたかったから食べたのではない。
禁じられていたからこそ、食べたのだ”


この言葉は小説家として名を馳せた
マーク・トウェインの言葉になります。

代表作では、
トム・ソーヤーの冒険」は世界中で
売れた作品になるでしょう。

そしてこの言葉は実に人間としてアダムを
見ている点が、彼の社会風刺な思想と宗教
的な思想も見られます。

正直なところ、何とも言い難いものでは
ありますが、一応、アダムや神の知識を
使って、まずは神とアダムの関係から
説明していきます。

一般的に一番そうであるとされている
話をしていきます。

神は自分と同じ姿に似せて人間を創った
とされています。
アダムは土から創られ、アダムの骨折から
イヴは創られたと言われています。

そして、「禁断の果実」に関しては、
リンゴまたはイチジクであるとされています。

「禁断の果実」は別名「知恵の実」とも呼ばれ
ていて、蛇に騙されたイヴが先に「知恵の実」
を食してしまい、イブに言われてアダムは、
「知恵の実」を食べました。

そして、裸である事の恥じらいから、絵画等で
描かれているように性器を知恵の実の葉で
隠しているのは、そう言った意味があるのです。

ここで問題となるのは、エデンの園で暮らして
いた時には、アダムとイヴは永遠の命であった
ため、神より食べてはいけないと言われていた
「知恵の実」だけを食したものだと思われます。

この辺りは私自身で以前考えた事になります。
エデンの園には「命の実」もありましたが、
この実に関しては神は禁じていませんでしたが、
アダムは食した可能性も高いと思われます。

理由は、「知恵の実」を食した後、アダムは
地上に落とされたとありますが、イブに関する
記述は無く、アダムは約千年生きたと言われて
います。エデンの園のいたからこそ永遠の命が
ありましたが、地上に落とされた後も千年生きた
事により、命の実も食した可能性は高いと
言えます。

そしてアダムを祖として子孫が産まれていき
ますが、アダムが一番長生きをしたと記述され
ており、数百年は生きていた子孫はいましたが、
最終的には人間と変わらないほどしか生命の
灯火は無くなりました。

イヴに関しては、落とされていない可能性も
あります。追放されたとはありますが、
地上での記述は無いことからエデンの園から
追放されただけの可能性もあります。

その理由として上げられるのが、「命の実」
を誰も食べないよう第二位の天使に守らせた
事により、アダムは食べた可能性が高いもの
と考えられます。

マーク・トウェインの言葉では、

“アダムはリンゴを食べたかったから食べたのではない。
禁じられていたからこそ、食べたのだ”

とあるように、人間そのものの存在を指して
いると言えます。

禁じられていたからこそ、食べたのだ
言う事は好奇心があったといっているものに
なるので、人間として見ていたと思われます。

そして禁じられていたからこそ、食べたのだと
いう言葉は戒めも含まれています。

人は好奇心の塊でもあるので、やってはいけない
とされる事に対して、興味を抱くのが人間です。

しかし、行き過ぎた行為は結果として、
恐ろしい事になるという事を伝えています。

我々も特に若い頃は、ある程度、無謀でした。
しかし、現代のような無謀さでは無くて、
あくまでも今思うと、自らを戒めるような事を
してきました。

社会に対しての悪意ある行動などは
していませんでした。

若い時は誰しもが愚かな事をしますが、
社会や人生を壊すような愚かな真似はしなかった
はずです。

現代では若い人間であっても許されないような
行為にまで及んでいます。
そういった行為の末に、借金を返していく一生
になると言う事が、分かっていても行為に及んで
いるのは、非常に恐ろしい事です。

まだ行為的には愚かではありますが、重傷者を
出すような事件はたまに起きてはいますが、
今後、不況が続けば、また危ない真似をする
人は増える事になりかねないと私は思っています。

このマーク・トウェインの好奇心の戒めの言葉は
現代に非常に当てはまるものだと思います。

内容的にはマーク・トウェインが思っているような
陳腐なものではありませんが、今の若い人は陳腐な
上に、愚かな行為への自覚症状が足りていないもの
だと思います。

アダムが地上に落とされたように、現実でもその
責任は取らなければなりません。

その要でもある教育の見直しもしっかりとして、
厳しさを教える必要性があるとは思いますが、
日本は流されやすい生き物である上に、日本人は
特に弱い生き物です。

すぐに問題として、ゆとり教育などといった
間違った教育をして、その後に起こり得る事を
考えずに簡単に決めていきます。

その積み重ねが現在であり、自分の行動には責任が
伴うことを完全に教える為にも、そういった行為を
起こした若者、そしてその親には重い責任を課す
べきだと思います。

どうやっても犠牲者はでます。
しかし悪意ある行動をすればどうなるかを
しっかり教えるには、裁判で厳しい罰則を課す
のが一番いいと思います。

自分の責任は自分で取る。

そうする事により、親が子供に対する教育にも
関心が向くようになり、教育的な面でも、再教育
のように、正しい生き方を教えなければこの先、
誰もが損をする事になっていくと思います。

禁じられている行為はしてはならない事を、
教えなければならないほど、知能低下が見られる
のは非常に残念だと思わざるを得ませんが、
現実的に見て、そうするべきだと思っています。

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