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アルベルト・アインシュタインと同意見

“何かを学ぶためには、
自分で体験する以上にいい方法はない”

私もアインシュタインの意見に非常に
共感が持てる。

アインシュタインのこの言葉はそのまま
の意味と、もう一つの意味を含めている。

つまりはこの言葉を知っても無意味である
と彼は言っている。

彼は直接的には教えないという言葉も
あるように、彼の言葉は全て含みを理解
して欲しいと願っている。

それは考える力を養うためでもあり、
そこから持論も生まれる事を願っている
からだ。

言葉としてつづられているが、
正面から捉えても無意味であるという
のは、この言葉からは分かりやすく理解
できるようにならなければ、知識だけの
無知なる人になってしまう。

彼の教育方針は実に教える事への本質を
捉えていると言える。

文章を読んだだけでは、すぐに忘れてしまう。
それは熟慮してないからでもあるが、
体験、経験こそが一番の教え人となる事を
伝えるために、アドバイスを入れてある。

彼のような人の言葉を書く人はあまりいない。

彼が生きていた時代、彼は誰とも知らない人たち
から天才だとも言われていた。
それはある意味、侮辱とも取れる言葉でしかない。

一切、面識も無い人から評価されるのは実に
不愉快だと言える。

それならいっそ苦言の方がより嬉しいと感じるはず
だ。苦言ならアインシュタインを理解しようとして
多くの事を調べなければ言えないからだ。

肩書などで人の評価をする人間は、実に失礼なもので
しかないのだ。私の持論でもあるので、こうして
書いているが、それが間違いなら教えて欲しいと願う。

アインシュタインも同様にこの言葉から見えるのは、
体験もしてないのに当たり前のように話をするなと
言っている。

それほどまでに体験、経験をしなければ本質は
見抜けないものなのだ。

私は苦渋の末に心が壊れた友人を助けようと
した事はあったが、誰もいない公園で独りで
昼食を取っている彼の背中を見ただけで、
私にはもう助ける事は出来ない事を悟った。

それは私も体験したことがあったからだった。

仮に彼が死のうとしても、私の口から言葉は
出ない。今も出そうとしたが喉で止まっていて
言葉が出ない。

非情なる体験や、酷い目にあった人を理解する
には、同様のようなことを体験していなければ
本当には理解できない。

それはアインシュタインのように賢いとされた
人でもそう言っている以上、確かなものである
と言える。

彼は実体験からこの言葉を言っているからだ。

アインシュタインと言えば天才、賢い、等と
言った意見を言う人は多数いる。
しかし、彼がどんな目にあったかを知る人は
ほとんどいない。

人生に於いて、過程が多くを占める。
その過程の時間をどう過ごすかで人間は味が
出るように変わっていく。

何もせず、知識だけあっても無価値のように、
自ら体を投げ出して失敗し、そこで初めて
難しさや失敗から得るものの大きさを知る
ことになる。

私はもう数人分の体験を色々してきた。
それは生まれ落ちた環境と現実、最下層の
仕事をしている人と一緒に仕事をした事に
より、理解できた。

元ヤクザだからといって人間以下の扱い
をするような、たいして賢くもない人間は
大勢いた。

まずは考え、実行に移す事が大切になるが、
時間をかけ過ぎるのは良くないものになる。

限られた時間しか生きられないのが人間で
あるからだ。

だから大勢の人が、最後には哲学を知ると
言われている。それが「晩年の哲学」と
ゆうものであって、大抵は熟年離婚や、
定年した後に友人や同僚も、仕事をしていた
時には繋がりはあったが、何も残っていない
事に気づかされ、
「人生とは一体何だったんだろう」

と思うようになるのが、「晩年の哲学」と
総称して呼ばれている。

そうなれば後は下り道しかなくなってしまう。

だからこそ、時間がある今、そうならないよう
にしたいなら動くしかないのだ。

彼らが残した言葉は全て、体験をして書き残した
言葉しかない。だからこそ真実に一番近いもので
ある。我々は考える力を身につければ、多くの事を
知り、多くの友人に恵まれる事になる。

人間性に興味を惹かれる人や、本当の意味での賢さ
がある人の周りには人が集まるものだ。

勉強ができる賢さなど無意味なものだ。

私の従妹には10人以上医者がいるが、
少子高齢化社会の波は止まらない。

そして今は気づかなくてもいずれ気づく事になる。
人間としての生き方の間違いに。

私は苦すぎる体験をした。その中には裏切り、
嘘、騙す、道具とされる、死にさえ対して非情な
心を持つのが親の正体だった。

ある程度は分かっていた。愚かな医者だという
事は知っていた。だから友人も1人しかいなかった。
相手の人は私の叔父に当たる人だが、その人も
父しか友人がいなかった。

あくまでも自意識に関してだが、35歳くらいまでに
ある程度は人間性は決まってくる。
それまでに培ったものによって、そこから人生が
始まる。

書いていて持論ではあるが、人間性は決まって
いるので、何とか第二の人生を送る事になったが、
時間は作れるものであるので、後は自分の頑張り
次第で決まって行くだろう。

問題は何を求めて生きるかによる。
お金はやりたい事に対して必要なものであって、
豪遊など今更したいとは思わない。

全てはどれだけ自分の力をつける事ができるかで
決まるだろう。だから今は頑張る時間として、
出来る限り時間を作って、noteを書いている。

書き始める前はただの足掛かりの為にと思って
いたが、そうではなくなった事に気づいた。

ここはここで、私にとって大切な場所の1つで
ある事を知った。
誰もがそうなのかもしれないが、少なくとも
私はそう感じている。

これからも体験を重ねて、自分を磨いていこう
と思うようになった。

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