第43話 神の視点 全知視点

全ての人物を常に第三者目線である外から捉えながら、尚且つ、全ての人間の視点に同時に立つことの出来る視点の事を言う。

私は第四の視点までしか見る事は出来ない。神の視点と言われるこの視点は
全ての人間の視点にも同時に立つことの出来ることから、そう呼ばれる。

自分が見ている相手の視点も見れる為、見落とす事の無い視点と言える。

私は多少ならば相手の心を感じる事により読む事は出来るが、映画などでよく人の心が聞こえるせいで、苦しむ人が出る事があるが、その気持ちはよく分かる。

私は今まで付き合った相手に、心を読まれているようで怖いと言われた事が何度かあった。それからはなるべくバレないようにしてはいるが、人の心が読める事に変わりはない。読みたく無くても分かってしまうのは苦しい事なのだ。相手の心が手に取るように分かると、悲しみも辛さも人並み以上に分かるのは、助けになることもあるが、大抵は辛い。

この神の視点を、仮に人間が持てば一瞬で精神は破壊されてしまうだろう。
このような話は単純ではなく、Xーメンのプロフェッサーと呼ばれる世界一の頭脳を持つミュータントでも、何度も苦しむ姿が描かれている。

それは人の苦しみが叫びのように心に入ってくるからだ。良い事を感じる人もいるが、単純な数字的にすると圧倒的に苦しみの声のほうが多いからだと言える。

このように多くの映画やドラマ、漫画やアニメに至るまで、哲学的思想から生み出されて描かれている事は多くある。それはある意味、その言葉の意味は理解していると言える。理解していないと形を変えることは難しいからだ。人間はもう多くの事を学び過ぎた。次の段階へ進む時に来ている。

以前、もう何年も前になるが、Xーメンのように完全体としたミュータントでは無いが、人間の進化したミュータントは既に実在はしている事を知った。映画のようにあからさまでは無いが、人間はより優れた人間へと変化する時代を迎えている。その数が今の人間を上回れば、法的にも色々変わって来る事になるが、X-メンでも言っているが、人間がその進化した人間を受け入れられるのかが問題になる。

また殺戮が始まるのか、それとも受け入れて、世界全体がバトンを次世代の人間に渡すことが出来るのか? 人間は基本的に生態系ピラミッドの頂点にいるが、それが変わる事になればどういう行動に出るのかは恐ろしい事だ。
脅威にさらされた人間は、狂気に走る事は歴史が証明している。

その時までの世界は徐々に近づいている。どうなるのかは現実にならないと分からないが、恐らく争いが生まれる事にはなるだろう。
神の視点が必要になるが、それは存在しない。AIの進化も進んでいる。

今、私たちの世界は、自然界も明らかな異変を起こし出している。あらゆる分野で変化が進む中、我々の選択肢は一体何が最善なのか、神の視点でも無い限り、それは見ることは出来ないと言えるだろう。

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