第54話 最期の時に人間は何を思うのか

ある程度以上賢く、色々な経験を経て、人生の最後の最期を生物は何を思うのかを私は聞く機会は今までで何度かあった。

人生の意味を私は、今でも知りたいと願っている。しかし、この答えを答えれるには、それなりでなければ無意味な回答しか貰えないだろう。

最初に生物と言ったのは、愛犬のアニーは人間の言葉を理解していた。それは確かだったと今思い出しても、そう思える。私がアニーの傍に行くと息も絶え絶えで生きていてくれた。周りには邪魔な家族がいたから聞けなかった。だから私は「今までありがとう。もういいよ」と言った。

愛犬の彼女は私の言葉を聞いていた。声をそうかけると撫でていたお腹がすぐに冷たくなっていった。私の人生で多くの助けになった。本当に私を癒してくれた。

二番目は祖母だった。もう幾日も持たないと言われ会いに行った。邪魔な親族が大勢いた。だから聞けなかった。人生の最後に何を思うのかを、人間とは何かを聞きたかった。こればかりは自分では幾ら考えても分からない。

多少の事は分かる。大勢の人はおそらく、その時の状況や心境で答えを言うだろう。しかし、それは意味の無い答えだ。最後の時に、人として生まれ、何を感じ、何を思うか、最後の集大成とも言える人間という生物として生まれた意味の片鱗でもいいから知りたかった。

私はその答えを見つけなければいけない事になった。ほんの数年前に起きた事から、あらゆる嘘にまみれた歴史の真実を探したり、本当の歴史を自らの心をえぐるように痛みを伴いながら調べていった。今でもその答えを探している。それを知らずして私は前に進む事は出来ないからだ。

怒りに任せて、親や子を殺すニュースは見かけるが、カッとなったら人間の本性の一面が現れる。そういうものの中には無い答えを知りたい。生きながらにして、私は何度も殺された。いっそ殺して欲しいとも思った。収拾がつかず、医者としての名声もあった父は癌になり良い病院に逃げ出し、母は父を追った。そこに愛情的なものは一切無かった。

私が愚かなら今頃、刑務所に入っていたのだろう。私を散々苦しめた上、勉強しか出来ない頭の悪い父にしては驚くほど、正に命を削って私を騙すために全てを賭けた。

そして私は騙された。私に癌を告知し、弱きになった父を見て、世間では常識とされている最後の最期に人は贖罪の心が生まれるという逸話を信じてしまった。自分の愚かさを私は呪った。弟を殺せと言われた時は、父を叱った。そこまで悪化している弟を何故すぐに退院させる母を説得するのが人としての道であろうと。

父が母に言えない事は承知していながらも私は言った。父も母も弟も親族も、誰もが自分の事しか考えてない。その上、皆、英才教育のせいで頭はすこぶる悪い。勉強のみに多くの人生をつぎ込み、考える力を身に着けないままの人生である為、本当に馬鹿で愚かな者しかいない。

世間は誤解している。誰もが得意な事や詳しい事は持っている。医者もそれと同じだ。ただなるのに勉強ばかりするだけの差でしかない。医者の世界の事はよく知っている。白い巨塔というドラマが昔あったが、あれも現実だ。叔父はあの偉そうに先頭を歩く医者をしていた時期もあった。医者になったなら身体的に辛い人達を助ける為に一生を捧げるべきだ。

目的と目標が交差していて、乱れている世界に私はいた。完全に壊れた世界だった。子供時代から悪意ある行為を平然と教えられてきた。全ては医者にする為に。私の生きて来た世界ではよく聞く話ではあるが、主に三種類に別れる。

まずは、親のレールのまま大人になり、子供の頃には間違いだと気づいていても、大人になった頃には、その間違った世界に染まっていて、親が常に上にいる為、親が死ぬまで逆らえないが、すでに逆らう思想は持っておらず、その虐待的な行為を子供に対して続ける。

二つ目は、幼い頃からの勉強をさせるための虐待や、友人も出来ない程の孤独になり、相談も当然出来ない。常に親の目が光っている。子供ながらに疲れ切ってしまい、自殺する。当然、隠蔽されるが、完全には出来ない。私も子供時代、塾で出来た、その子も親が医者だった。いつも私たちは疲れていたが、黙々と親の言う通りの間違った教育を受け続けていた。今だから分かる。自殺を心に決めたら、今まで溜まった疲れが消え失せて楽になれる。今だから私は分かる。自殺をしたからだ。一切の迷いも無く、実行できる。あの時もそうだった。あの子も、私と同じで1歳違いの兄弟で通っていた。いつも通り、塾が終わって五分くらい話した後、「またね」と言って別れた。しかし、次に会う事は無かった。自分の部屋で首吊り自殺をしたからだった。当然、驚きはしたが、気持ちは理解できた。残された弟は一人で通うようになり、前ほどは話さなくなった。そして、弟はきっかり一年後、兄の部屋で全く同じように同じ日に首吊り自殺をした。世間には出ない事は滅茶苦茶多い。

三番目が私のように、希ではあるが、親の教育に疑問を持って生きる。確率にしたら1%以上はあるかなと思う程度だ。楽な道では無い。それしか言えないほどキツイ。何を書けばいいのかすら分からなくなる。

だからこそ、答えが必要なのだ。答えの予想は全くつかない。しかも、少数しかいないだろうし、『死』というものだけで拒絶する人も多い。私の話は色々した。私が歴史を深く追求したのも、似た状況下にあって、どうすれば生き残れるのかを探すためだった。

誰もが簡単に『死』を答えにした訳では無い。本当にそれしかないから選んだというより、それしか見つからないだけだ。それしか道が無いと分かると本当に気楽になれる。それまで悩んでいたのが嘘のように生き返る。自分が死ぬその時も笑顔で死ねるだろう。私は見つからないはずだったが、見つかって終わった。

今は生きる為に頑張っているが、呪縛は解けてはいない。だから答えを求めている。私は考えて分からない事は人生で無かった。しかし、親の恐ろしい考えを知り、私も崖から落ちるように底の無い闇に落ちた。今も落ち続けている。

私は自分の中で幾つもの誓約を立てる事で、何とか生きている。私は警察にも話したし、悩み相談のような所にも話したし、その手のサークルのような悩みを打ち明ける場所なども考慮したし、実際、悩み相談のような場所にも話したが、私の人生は異例すぎて、それに酷すぎる為、共有も出来ないし、何よりも信じられないだろうと私は結論づけた。それを伝えると相手も納得していた。

私は答えを探しつつ、待っている。永遠に答えは見つからないと知りながら、それでも待ち続ける。そうしないと危険だからだ。もう三日食べていないが、私はストレスの極みまで行った。体内にある臓器の全てが悪い。西洋医学でも東洋医学でも治す事は出来ない。

答えを見つけるしか私に生きる道はないのだ。無いと分かっていても、それは私の世界がまだ小さいだけであって、答えは必ずある。人間は自分の知識の範囲内でしか想像も、予測も出来ない生き物だ。私の知識でもまだ足りないのは、『神様、やりすぎだろ?』と正直思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?