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ミケランジェロ・ブオナローティの苦悩

誰もが知る名であると言える人物で、
彼は多才に恵まれた人物であった。
彫刻家、画家、建築家、詩人などで
大いに活躍した人物であった。

西洋美術史上に於いても、ダ・ヴィンチ
と同様にルネサンス期の典型的な天才と
称されていた。

“天才とは永遠の忍耐である”

この言葉はミケランジェロの言葉である。

これまでも天才や万能の人の事を書いて
きたが、彼のこの言葉に関してはまず、
天才や万能についての知識が必要になるので、
そこから説明していきたいと思います。

理由としては、大勢の人が勘違いをしている
ので、そこから説明していきたいと思います。

まず断言する事があります。
天才に関するあらゆる事は、凡人には不可能
と言う事を念頭に置いて頂きたいと思います。

大抵の場合、凡人が彼等に対して意見を述べて
いる事が不可能だと知らずに、得た知識を自分
なりに考えて意見を出していますが、
大抵の人は、現代に於いても近しい人物や、友人
恋人、会社の同僚、上司、部下等の事をしっかりと
理解できているのであれば、天才を理解する事は
不可能では無いと言えるでしょう。

天才を理解するには最低限、それくらいは難なく
理解しなければ語る事はできません。

人間そのものを理解する事自体、難しいもので、
天才に近いほどの思想、頭の回転速度、苦悩を
知ることは、凡人の理解を越えたものであって
仮に理解できるのであれば、凡人では無いと
言えるでしょう。

例えば、人の苦しみが理解できるのか?
と問われれば、大抵の人が分かることは、
その物事だけであって、苦しむ感情は理解でき
ません。

この点に於いては天才も同様に、他人の苦しみ
を真には理解出来ません。同じ境遇、そして体験
をしていなければ、人間は天才であれ凡人であれ
それは理解を超越した事だからです。

天才と言っても色々なタイプがいます。
ただ総合的に見て、頭の回転速度や物事を紐解く
速度が凡人よりも遥かに速いため、誤解されやすく
嫌われやすいのが一般的だと言えます。

天才の本人からすれば、何故分からないのかが
本当に理解できないため、その様子も顏に出るため、
誤解されてしまいます。

ただ凡人の中でも理解を示す人もいます。
そう言った人は大抵、向上心が強く、自己啓発の念
も持っている人になります。

頭脳の違いを理解する事は、凡人での賢さでは無く、
理解をしようとする愛情的なものに近い思い遣り
になってきます。

感情面では天才の場合の方が苦悩に満ちてます。
人よりも優れているからと言っても、それは
あくまでも思考速度が速い事が主軸となり、
人が1つの物事を考える時間に対して、大きく
時間を短縮して答えを出せる為、彼等にとっての
普通と凡人の普通には大きな溝が存在します。

しかし、必ずしも天才が成功する訳でもありません。
凡人よりも苦悩も多いですし、人に相談する事も
難しいです。その上、信頼している人に裏切られる
ような事もあります。

このように天才だからといって、全てに於いて
突出している訳では無く、人間としてはそれほど
大差ないものです。

あくまでも仕事や趣味、センスやユーモアに関して
は、才能がある人が多いですが、一個人の人間
として見れば、人間としては少し気難しい人と
言える程度であって、多少賢い人からすれば、
天才だと見抜けますが、人としての成長は天才で
あるが故、遅いものとなりますので、性格が合えば
友人となれますが、難しい性格の場合は避けるのが
一般的です。

一見しただけでは、嫌われやすいのが天才では
ありますが、彼等は何故嫌われるのかを真に理解は
できないのも悩みの一つでもあります。

大抵の場合は天才と呼ばれている人たちは、滅多に
いません。あくまでもテレビ等ではそう名付けた
方が見てくれる人が増えるので、タイトルや
キャッチコピーをつけているだけのものであって、
特別、賢いと私的には思った事はありません。

一芸に秀でている面以外では、普通の人という
印象を受けました。天才にせよ凡人にせよ、
学び続ける事をやめた時点で、時代により、
その才能は消え失せていきます。

そういった点では、天才と呼ばれる人たちは
実に可哀想だと思えます。
一度の失敗でさえ、周りから叩かれる度合いが
凡人よりも遥かに多いので、精神的な苦痛も
伴う事になるからです。

正直、私個人の意見ではありますが、
天才や万能という言葉も過去の人間が
名付けたものである以上、その言葉に
最適な人自体、存在するのかは微妙な
所だと思います。

確かに今も昔も優れた人はいます。
しかし、全てに於いてかと問われると
そうではないと断言できます。

そもそも人間には誰もが秘密として
持っているものがあります。

それさえも公言して、全てをさらけ
出してまでいる人間は無に等しいと
言えると思っています。

才能等も開花させるのは、自分自身の
努力の賜物であって、才能があるか無い
かは、どこを基準にして判断するのかも
難しいものです。

遅くに開花する花もあるので、人が人を
評価するには、全てを知らなければ
正当な評価はできません。

最近はよく耳にしますが、例えば、
高校か大学の野球か何かの監督が、
男性生徒に対して性的な事をしていた
のをネットニュースでみましたが、
確かに、三大欲求の1つではありますが、
そういうサイトもありますが、
リアルには勝てない点に於いては、
私も理解はできますが、やってはいけない
事であることは明白であるので、
パワハラで自分の欲求を満たすような
真似が長続きする訳は無いので、
自己解決への道を探すしかない事くらい
わかりそうなものだと思いました。

今、松本人志さんが色々叩かれていますが、
明らかにするべきでは無い行為は結婚を
していながら、そういった遊びをしている
点と、余りにもケチ過ぎる点だと思いました。

仮に豪華な食事やお酒で対応していれば、
悪い噂が立つ事はかなり少なかったとも
思いましたし、一番はやはり結婚していながら
知名度もある人がそんな事をすれば、
絶対に外部に漏れるので、長続きはしないと
いう事を理解できなかったのが不思議で
なりませんでした。

特に素人という点で、まず劣勢に立たされ
やすくなります。仕事として来ていた女性なら
話は変わりますが、まあ、リアル的な楽しみ
方をしたかった気持ちは分かります。

しかし、かなり愚かな行為であった事は
確かなものだと思います。

それなら結婚せずにするべきだと率直に
思いました。

松本人志さんも天才だと周りからは
言われてましたが、所詮はこの程度だと
言う事が分かった以上、これまでのように
生きていく事は難しいものだと思われます。

私は絶対的に合って話をした事が無い人の
評価はしない事にしています。

偉人に関しては事実であろう事から、
その人物像を創り上げて、行動と発言の一致
からいつも話を書かせて頂いています。

現代に於いては合わずして、人の評価は
しない事にしています。

理由は上記に述べたように、誰しもに秘密が
あり、それは普通は世間に出ませんが、
時として世の人の知るところとなる事も
あるので、そうしています。

ミケランジェロは確かに芸術家として
高い評価を受け、ルネサンス期に大いに
活躍した人物ではあります。

そして西洋美術に多大な影響を与えた
事実がある以上、周囲から天才と呼ばれて
いただけに、苦悩も多かったと思います。

現代では呼びたい人は勝手に呼べばいい
だけですが、時代背景を考慮すれば、
天才と呼ばれる事により、色々な難題が
生じたのは明らかだったと思います。

天才と呼ばれるだけあって、考えも答え
を見つけるまで探し続けます。
その答えが例え無いものだとしても、
考え続けます。

その苦悩は苦痛なほど彼を苦しめた事だと
言えるでしょう。

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