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本は読む為にあり、そこから思想を生み出す事に意味がある。洋画イコライザー1より

※私はエッセイや映画の事を書く時は、自分の記憶から
書いています。ですのでセリフや言葉に違いはあっても
同じ意味である事だけは確かなので、その点はご了承ください。

これはイコライザー1のあるシーンから
私的に感じたものです。

海外ドラマや洋画を私はよく見ます。
そんな中でも無意味な事はほとんどありません。
当然ながら、映画のジャンルで変わってきますが、
1シーンのたった1つのセリフからでも色々な事が
見えてきます。


主人公はデンゼル・ワシントンで洋画の中では、
ロバート・マッコールという名で主演しています。

そしてこのシーンに出て来るのは、クロエ・モレッツと
いう女優で、この作品の中ではテリーという名です。

私が主に見るのは、海外ドラマ、洋画、韓国映画が
主体となっています。CGによる作品も見ています。
GANTZ、バイオハザード全作品、鉄拳などになります。

今回はロバート・マッコールとテリーとの1シーンの
会話から見えるものを紹介したいと思います。
大抵の人は映画を見る時、重要な場面で無い場合、
気をゆるめている事が多い為、重要であってもそれに
気づかず、見てしまいます。


ロバートは毎夜、ある古びたどこにでもあるレストランに
行って、持参した紅茶を飲むのが日課でした。

テリーはまだ若く10代で、彼女もまたその店によく出入り
していました。ロシアのマフィアに目をつけられ売春を
させられていましたが、ロバートは基本的に積極的に話す
方では無く、その店で紅茶を飲みながら毎日、本を読むのが
日課でした。

ある日、いつも通り、ロバートは店に行き、いつも座る4つ席の
机のある席に座って、本を読んでいました。

テリーはいつもカウンターに座っていて、たまに彼女を女として
見る客から声をかけられていましたが、適当にあしらっていました。

ロバートはその様子を見る事も無く、本だけを見つめて読んでいた時、
テリーの方から話しかけてきました。

「何の本を読んでるの?」
カウンター席からテリーはロバートに話しかけましたが、
ロバートはわざと自分に言っているのかといった仕草をします。

「老人が大きな魚と格闘する話だ」

ほんの数秒程度の会話はここで止まり、客の車が来てテリーは
店から出る時、「続きをまた聞かせて」と言って出て行きました。

ロバートにとって、最愛であった妻が他界し、彼は妻が読破するはず
であった100冊の本を読む事で、妻を想い出しているように感じました。

次の日、確か彼女は殴られたようなあざが目元に出来ていました。
ロバートはそれに対して言葉は発さず、テリーは孤独であった為か、
彼の席に移動しようとすると、自分のほうから、

「ダメだよね」とロバートに声をかけ、

それに対してロバートは「問題ない」と言って彼女を席に座らせました。

時間軸は微妙ですが、この時、彼女はロバートに対して、

「どうなったの?」と言うと、彼は
とぼけたふりをして、彼女の反応を見ました。

「魚は釣りあげたの?」と彼女が言うと、ロバートは、

「釣り上げたよ」と言いました。

「ハッピーエンドだね」と彼女が言うと、

「船に│括《くく》りつけて、船を走らせたから血に引き寄せられた
サメに食べられてしまった」

「じゃあ釣り上げた意味はなかったね」と彼女が言うと、

「意味はある。魚は食べられてしまったが、老人と魚の闘いだった。
見事に釣り上げた事には意味がある」

彼女は何となく納得した表情で笑みを浮かべて、
一枚のCDを手渡してきた。
テリーの夢はミュージシャンになる事だった。
だが現実はそうならないと知りながらも、ロバートに聴いて欲しくて
手渡した。

ロバートは「ミュージシャンのテリーか」と笑みを浮かべて言った。

二人は一緒に歩きながら帰路についていた時、

ロシアンマフィアの車が二人の前方に停車して、男が降りてきた。

男はロバートにテリーといただけのお金を要求した。

テリーは「その人は関係ない」と言ったが、ロバートはお金を払った。
そしてロバートにこう言った。

「女が必要なら電話しな」と言って名刺を手渡され、テリーは
車に乗って男たちと去って行った。

この話の要点は実に分かりにくいものではあるが、非常に重要な事を
ロバートとテリーは話していた。

今回は答えを書く事にするが、読んでくれた人は考えてみて欲しい。

重要な所がどこか、1分でもいいので考えてみて欲しい。

答えは間隔を空けた場所に書く事にするので、
考えた後、見て欲しい。





名も無き老人と魚との闘いは、流しても問題ない程度の話
であるのに対して、名も無き老人の人生感を、まるで自分が
老人の立場になったようにテリーに伝えた。

答えはロバートはただ単に本を読むシーンでは無く、
本を読んだ後に、老人が巨大な魚を釣り上げた事の意味を
映画の本編とは別の位置にあるのに対して、
しっかりと本を理解しつつ、読んでいる事に些細な結末でも
意味のある事をテリーに伝えている。

二人の会話の中で、最初に話をしたのは「老人と魚」の話で
あったが、良い映画である事は、その些細な事から繋がりを
持ち、その本の話をうやむやにせず、魚はサメに食べられて
しまったが、老人と巨大な魚の闘いに意味があって、
魚を釣り上げたその諦めない意思の大切さをロバートは考えていた。

これは我々が日常を過ごす上でも、よくある事だ。
例えば、割り込みや、明らかにトラブっている光景を見た時、
どう思うかより、どうするかを優先する事に意味がある。

だが、実際、大抵の人は、見なかった事にして関わらないように
している。勇気は誰にでも持てるものでは無い。
助けに入ったり、割り込みに注意をする行動を取るには勇気が
必要になる。

ロバートも自分が出来るところまでは我慢した。
テリーが滅茶苦茶に殴られているのを病院で目にして、
彼は名刺にある場所まで足を運んだ。

そして自分の全財産でテリーを開放してくれと頼んだ。
しかし、奴らは納得せず、1ヶ月分か1週間分だと言った。

ロバートは彼らを簡単に殺せるが、殺さずに終わらせようと
したが、言っても分からないと知り、皆殺しにした。

ロバートにとってテリーの存在は非常に大きなものだった。
それは愛に近い感情ではあるが、愛するとはまた別の
「愛」だと言えるものだった。

彼は元CIAに所属していた有能な殺しのプロだった。
だが、嫌になって自分を死んだと思わせて引退した。

ロバートにとってテリーが声をかけてくれたのは、
彼の中で久しぶりに人と会話をしたものであった。

職場の仲間とはまた違い、彼自身が落ち着ける場所で、
知り合った大事な存在だった。
ロバートがテリーと食堂で話している時は、
彼は素を出せることのできる相手であったからこそ、
彼女を救おうとした。

洋画の時間は約90分程度しかない。
その中でどれだけ味を出せるかによって監督の腕や、
俳優の演技力も当然必要になるが、こういった経緯での
関係性を作るには、時間を要するものであるが、
内容を簡潔に言えば、「一人の少女を助ける」と言ったもの
にしかならないが、人間性を加える事により、忘れてしまった
何かを想い出せるはずだ。

既に高齢者なら気持ちだけでいい。だが、まだ人生を歩む
べき場所にいるのであれば、重い腰を上げて人生を満喫する
方が良い。

より良い人間になるチャンスとも言えるだろう。
人生を最後まで愉しみたいのであれば、そうすべきだと
私は思っている。

アインシュタインが日本に来た時、彼は日本人を絶賛した。
しかし、その反面で批判的な事も口にした。

要するに彼の頭の回転速度は速い事を意味する。
頭の中で物事を見極める時、無いと思った事は消していく。
そして残ったものが、正しいものだと一度は思うが、
国により人間性の違いは多いものであるが故、
彼は日本人を捉えきれずにいた。

そして彼は多くの事に挑戦もした。その中には多くの失敗も
あったが、成功もあった。

誰しもやらずして結果を出すのは間違いだと言える。
挑戦してみて、ダメならそれを受け入れて、他の事に挑戦する。

アインシュタインは実に分かりやすい人だと私は思うが、
彼を理解できないのは、おそらく彼の結果のみを見ている
からだと思われる。

人並み以上に好奇心があり、人並み以上に挑戦し続けただけで
あって、多くの結果を残した事は確かなものではあるが、
アインシュタインの凄い所は、常に探求心を持つ心だと私は
考えている。

人間には誰しも産まれた時は同じだ。成長していき思想を持ち、
どう生きるかで、人間形成をしていく。
そして誰もが許されない過ちを犯すが、その過ちに対して、
後悔とそれを許さない心を以て、前に進んでいく。

同じ過ちは可能な限りしてはならない。
もし、同じ過ちをした場合、3度目は無いと心に誓いを立てる
のが良い。自分の過ちの数だけ、多くの不幸を生み、
時には大勢の人を苦しめる事にもなる。

私はそんな人生は御免こうむりたいと思っている。
だからこそ、これまで以上に前に進んでいると実感できる。



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