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アルベルト・アインシュタインの誰もが知る言葉の意味

”知識より想像力だ、
知識は有限だが、
想像力は世界をも包み込む”

誰もが知る言葉です。

しかし世界中でこの言葉を活かしている
人は一体何人くらいいるでしょうか?

言葉を真に理解している人なら
この言葉を実践し、活かして生活を
より良いものへと変えているはずです。

しかし、今、世界では苦しみの色で
塗りつぶされています。

それが人間の本質であるので、当然と言えば
当然と言えるものではありますが、
それに反して、負けずに闘い続けている人も
存在します。

ただ、今はあまりに多くの負の力である、
憎しみや苦悩、苦難、怒り、殺意が飛び交う
感情が多すぎるせいで、見えないだけであって、
頑張り続けている人は必ずいます。

いつの時代に於いても、陰にはそういった人々が
必ずいて、何にも負けずに生きています。

負の感情に支配されずに、正を信じるのでは無く、
自分を信じて自分に負けずに闘っている人たち
です。

負が蔓延した世で、正を訴えかける事も大事では
ありますが、我々、人類本来の生き方は、結婚して
子供を創り、幸せと不幸を噛みしめながら、年齢を
重ねていき、少なからずの人に何かしらの影響を
与えて、寿命か病気によって死を迎えるまでが
人生と言えます。

今の世で正を公言しても、一瞬で消えてしまうほど
世界は不幸に満ちています。

我々に出来ることを成し、本来の生き方である
生き方をすることが、人類に課せられた使命と
言えるでしょう。

それすらも今は脅かされている日本ではありますが、
その心を持ち続ける事が大切です。
今、アインシュタインの言葉を実践できる人は
限られた極少数の人たちだけです。

仮に今、頑張れば負による老化促進で、死はより
近いものとなるでしょう。
だから、今は耐え忍ぶ時だと私は思っています。

闘うだけが闘いではありません。耐える事もまた
闘いと言えます。心身の痛みに耐えて今を乗り切る
事に力を注ぐことが、今は必要だと思います。

愚痴らず、ありのままの現実を受け入れるしか
今の私たちに出来ることはあまり無いと言えるでしょう。

それだけでも、平和や安全に慣れた日本人には
簡単なことでは無いと思います。
習慣的、日常的なものが崩れ去ると、人間はどうしたら
いいか途方に暮れて、大抵の場合は政府、自分に近しい
負を与えた人物に怒りの感情を発します。

しかし、そういう時こそ、

”知識より想像力だ、
知識は有限だが、
想像力は世界をも包み込む”

彼ら偉人の言葉は助けとなり、自分の成長も促すものと
なります。アインシュタインだけではなく、大勢の苦しみ
を乗り越えた人々が応援してくれています。

それらの言葉を理解する事により、彼らの手助けの手が
見えるようになっていきます。

想像力は年齢に関係なく、色々な形で助けとなります。
時にはそれにより幸福から遠ざかる時もありますが、
それは自分で決めて動いた結果である以上、責任は
言葉にあるのではなく、自分自身にあることを認め
なければなりません。

彼らの言葉はいつの時代に於いても通用するものが
多くを締めますが、その言葉を使う現代の人により
間違った解釈をすれば、当然ながら結果も変わります。

想像力はあらゆる事に対して力を発揮しています。
それにより幸福感を味わうこともできます。
好きな人を想像するだけでも人は幸せになれます。

想像力の豊な人は、発想も豊かです。
その力を使えば、彼の言う通り世界を包み込む
事も可能です。

アインシュタインの言う想像力とは、あくまでも
現実的な事を指しています。
つまりは人類に可能な事であると彼は言っています。

例えば、ネットの普及、今ではAIの普及により、
世界は変わりつつあります。その他にも、本当に
成功しているのかは不明である冷凍睡眠、一時は
世界中で話題になったクローン技術、3Dプリンター
、ここ近年で数多くのものが生まれました。

ドローン等は戦争が拍車を強め、進化し続けている
ものとなりました。

世界は現実的に必要な事に力を入れます。
それが仮に超能力であっても、日本人は笑うでしょうが、
現実に、中国やアメリカ等では政府が力を入れて
いたものでした。

今でもその研究が続けられているかは不明ですが、
過去にあったのであれば、今あっても不思議では
ありません。

それはある種の想像力と言えます。
どのようにすれば、議題の答えを得ることができるのか?
そう言う風に答えを出すためには、と言う疑問から
答えの一つであるかもしれないが、可能性は低いもので
あっても、真剣に取り組みます。

日本人は現実的でありながら、現実逃避をする種族に
なってしまいました。当然ながら責任の多くは過去に
あります。

過去が酷ければ、未来はもっと酷い状態になります。
しかし、立ち直そうとする人も常にいます。
対立とまではなりませんが、当然ながら簡単に解決
できるものではありません。

理由は長い間、ぬるま湯につかっていた事が大きな
要因となります。

例えば、明日から法律が現国民にとってあまり
良くない場合は当然反発します。
それは当然だと言えます。

それまでそういった処置を取った事が無い日本が、
危機に直面してから行動するので、反発は生まれるのは
当たり前です。

特に不正が目立つ日本政府に対しての信頼は薄いもの
であることも重なり、国民は不信に思うのも普通の
考えだと思います。

日本はいつも後手に回るので、問題が浮上した時に
対応しようとするので余計な反発を喰らいます。

この問題は、国家規模だからでは無いので、実に日本
政府が愚かなのかをしているのかが目立ちます。

独り暮らしの人でも、家庭を持つ人でも、貧困に苦しむ
人でも、そこ何かに対しての愛情があれば、誰もが
工夫を凝らして生きています。

犬や猫、男性、女性、同性愛、お金、大切なもの、
これら全てに共通してあるものは愛です。

だから皆、苦労していても頑張れるのだと
私は思っています。

政府は国に対して愛情を語る事は滅多にありません。
いつも未来や、現国民に対して声は発していますが、
これまでの不正などがある以上、その声は国民に
なかなか届きません。

しかし、内部での争いをしていても時が経つだけで
あって何も進みません。歩み寄りが今は大事だと
思います。それもまた難しいものだと思いますが、
進まなければ共倒れになるだけです。

日本という国がどうなるかは今にあります。
日本人として日本を見つめ直す時は今だと私は
思っています。

アインシュタインの言葉は世界平和の夢を託して
いる言葉です。それが限りなく不可能に近いもの
だと知っていても、彼は言葉の裏側にその意味を
残しました。

”知識より想像力だ、
知識は有限だが、
想像力は世界をも包み込む”

有限である知識では世界が平和になる事は不可能
ではあるが、想像力は世界をも包み込む。

想像力とは未来を見通す力の意もあります。
想像力を以てすれば、世界平和も成す事ができると
彼は夢を託して言葉として述べました。

それほどまでに困難であることも意味しています。
想像力には良い夢や平和な未来なども描けます。

自分の頭の中だけでしか想像できませんが、
誰もがそういった想いに駆られたのであれば、
不可能では無いという意味が入っているのが
見えます。

過去の彼らの言葉は人類にとっては遺産です。
活かさずして生きるのは、実に惜しい行為でしか
ありません。

日本人は本来、意思の強い人達でした。
その力は決して失われた訳ではありません。
人間が進化するには膨大な時間を要します。

逆から考えれば、戦後から約70年しか経たずして、
あれほどまでの信念や強い意志が失われたと
考えるほうが矛盾していると言えます。

国民性が変わったことは確かにありますが、
深い心の底にはまだ残っていると私は思いたい。
日本政府に対しては異議はあるが、
日本国民の一人として、限りある命という力を
自分の活かせる事に対して使っていきたいと思う。


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