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映画『四月になれば彼女は』感想1〜満ちてゆく

「みなみてた」ゼロになること軽やかに満たされてゆく萩の言葉に
「みてる」はもとは「満てる」。意味は逆で「無くなる」という意味の方言。田植えを終えたとき、苗代から苗がなくなり田に苗が満ちる。(「知っちょる?山口のことば」をご参照ください)

藤井風さんの『満ちてゆく』がエンドロールに流れる映画『四月になれば彼女は』を観た。←オススメ🌸

♪手を放す 軽くなる 満ちてゆく〜

過去の恋愛では、互いに手放せなかったものがある。それは私。愛を失う不安でいっぱいになった心にはもう、あなたを受け入れる隙間はない。
「あのときのわたしには、自分より大切なひとがいた」藤代のことが大切だった瞬間があった。しかし春は「わたし」を選んだ。映画では父親の存在が大きい。
春も藤代も恋愛の苦しさから逃げた。
弥生も逃げた。しかし、春の手紙とウユニ、プラハ、アイスランドの写真。作品を動かす美しいものの存在が、三人の心を動かしてゆく。
「愛を終わらせない方法、それは何でしょう」
それは、愛を失うことを恐れる私のこころを手放すこと。手を放すとは、逃げるのではなく自分を解放すること。それが難しいけれど。

「なれば」とは仮定でも希望でもなく
          映画の帰り満ちてゆく月


エンドロールの『満ちてゆく』よかった!月は満ちまた欠ける。「なれば」は必然。
また観に行きます!

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