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花粉と歴史ロマン42 幻のコケスギラン③

はじめに
 11月3日、
町民文化祭で御殿まりをいただきました。シツケ糸(躾か?)で、ぐるぐる巻にされてから球に整形された後、様々な模様が刺繍されています。このシツケ部分が、ブナ科の椎や栗の花粉の表面構造に似て見えました(変)。
 そもそも、「幻のコケスギラン」のタイトルから始めたnoteでしたが、玉野溜池の調査以来、コケスギランを検出できぬまま、より新しい時代のブナ林の移動経路に関心が移りました。花粉分析では、属レベルの識別が普通ですが、ブナとイヌブナの識別は、光学顕微鏡でも何とかなりました。ブナ林を対象にすることはできたのです。ただし、ブナ科各種の区別は困難です。やはり、見えない「ブナの移動経路」も幻のように思えます。研究対象から、亜寒帯針葉樹林は消えたのですが、その後、「ブナの移動経路」を探索する中で、再会することになりました(偶然か必然か?)。 

1 扇状地

 遙かな尾瀬の入り口の檜枝岐村へは、那須塩原駅から約100km、自動車で2時間半です。起点となる那須塩原市はおしゃれな牧場やレストランの多い観光地になっていますが、江戸末期から始まった那須野が原の開拓によって作られた場所でした
 
那須塩原市の元になった扇状地は、末端部を除いて地下にある厚い砂礫層のために水が浸透してしまい、農地に不向きな土地であったそうです(水土里ネットHPより)。下の図は水不足を克服するために作られた網目状の用水路です。那珂川と箒川の間に張り巡らされた用水路ができるまでは、土地も痩せており農耕に適さない場所でした。

水土里ネット http://www.nasu-lid.or.jp/area/map/より、用水路が網目のように走っています。

 扇状地についての理解があったなら、花粉など微化石が含まれる堆積物探しも、平地を対象にしないで済んだのですが、……….。太平洋側平野部では小河川の後背湿地に狙いを定めていたのは正解でしたが、内陸部では扇状地や氾濫平野を見る知識が必要でした。今更ですが、ものを知らない自分を知りました(恥を知れ!)。
 筑波山に分布するブナ林は、どのような経路で山頂に到達したのか、共同研究者を得て、筑波山周辺の水田の土壌の調査を始めました。しかし、検土壌による試掘では適した場所が見つかりません!またか!(汝自身を知れ)
 ところが、低地ではなく鬼怒川の中流域の丘陵内にあった溜池で堆積物が得られました。ここで再び、亜寒帯性針葉樹の世界を目にしました(めぐりあい!)。

2 南那須町(那須烏山市)

 栃木県北部、宇都宮の東北部は、那珂川、鬼怒川、荒川が運んだ堆積物が標高20m程度の河岸段丘を形成し、旧河道の支流が河岸段丘の中を南下しています。

鬼怒川東部の氾濫平野の延辺部には標高20m程度の河岸段丘があり、段丘内には旧河道の水系が残されています。その中に江戸時代に築造された溜池(大溜)がありました(地理院地図を編集)。

 現在が含まれていている完新世(以前は後氷期とも呼ばれていた過去約1万年間)、東北地方に分布域を拡大したブナ林は、太平洋側の平野部や内陸部ではどのような移動経路をとったのか? 各地の水田を狙って平地の探索を続けましたが、いずれもサンプルとして不十分なものでした。
 たまたま、丘陵地内の溜池の側の水田で試掘すると、思いがけなく検土壌が1mを超えて突き刺さりました。花粉ボーラーでのサンプリング開始!3m近い柱状コアが取れました!しかも、花粉分析の結果、五葉性マツ属・カバノキ属・トウヒ属などからなる針広混交林が約2万年前に存在し、約1.4万年前のトウヒ属を主とする花粉帯も識別されました! しかも、ブナも低率ながら含まれていました。ただし、堆積物の上部は現代に近い過去のもので、表土付近が撹乱されており、時間的に不連続な情報となりました。残念!ここでもコケスギランは検出できませんでした。

3 益子町 

 陶芸家のWaさん(急須の専門家です)とは、高館山のブナをきっかけにして交流が始まりました。益子は里山に囲まれた平和で長閑で品格のある町です。下の写真は地蔵院(本堂は室町期の建造物)です。江戸時代を越える昔の建造物には、飾りが排除された朴訥な気品がありました。この付近には、低地のブナが分布しています!。

筑波山に繋がる八溝山系にはブナ林が分布し、さらに低海抜地にも孤立した分布が知られていました。教員生活が安定し学会にも参加できるようになると、気の合う仲間と出会いました。彼らと共に、ブナ林の分布域の形成を調べました。 筑波山のブナ林の移動経路を求めて、周辺のサンプル採取に取り組みました。ところが、ところが、筑波山周辺では連続した堆積物が発見できません。

 益子町益子の深田谷地と呼ばれる湿地をWaさんから紹介され、掘削の許可をいただきました。高館山の北斜面の沢沿いの半径5mの小さな湿地でした。高館山にはブナの小径木が散在する群落が確認されていました。
 窯業には大量の薪を必要とすることから、森林破壊の形跡を花粉分析によって探ろうとしました。共同研究として私を含めて三名の組織ができつつあり、互いの予定を調整しつつサンプリングを実施し、その後の分析を分担するなど協働作業は楽しかった(7さん、池さんありがとう!)。
 結果は論文に公表されましたが、私の担当はシイやクリと識別される花粉のみを、自作の器具で抽出し(note「 花粉を捕まえろ」を参照して下さい)、走査型顕微鏡による識別を行いました。結果の概略です。この地域の森林の様相をもとにした時代区分です。
 1窯業に伴う森林伐採の影響が現れた時代
    (AD 1500以降:スギ林・二葉性マツ・シイ/クリ)
 2クリ栽培が行われていたらしい時代
   (AD900〜AD1500:シイ/クリ・落葉性コナラ亜属・常緑性アカガシ亜属)
 3自然破壊が顕著では無かった時代
   (AD900以前:常緑性アカガシ亜属・落葉性コナラ亜属)
 ブナ花粉ですが、5%以下の低率ながら連続的にAD1500年頃まで検出されており、小規模なブナ林が維持され、クリ林の拡大以降も分布していたようです。

4 クリ栽培の可能性(「花粉と歴史ロマン 改訂版 くりの謎」 参照)

シイ型花粉の紐状(畝)と近所のパン屋さんのクリームパン

 クリの花粉表面の形状をいかに理解するか?畝と表現された表面の線状彫文ですが、身近なものとして目にしたのがクリームの入ったワッフルでした。全然違いましたね。自分なりに、畝の太さだけでなく模式化したものが下の図です。

A:糸状(ツブラジイ型、B:ひも状スダジイ型) 
クリはこれらと違い、畝の輪郭が不明瞭です。太さはスダジイ型なのですが、輪郭は点線で示すことで表現しました。

 生物の主要な分布域の個体群に対して、その分布域から外れた個体群のことはメタ個体群と呼ばれています。現在の気候環境がさらにブナにとってより適した状況に変化した時、分布拡大の起点となると想像されます。
 益子町の高館山に残るブナの調査で興味深い森林の世界を見てきました。植生帯の境界域の現実です。筑波山や加波山では、ブナとアカガシが斜面方位に応じて群落が接しているのです。北方で阿武隈高地につながる八溝山地が南方へ半島状に延びた南端に位置する筑波山、このルートを規模の小さなブナ林が中間温帯林域に他種と混在しながら移動経路を維持してきたものと考えられました。



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