ポーレンたかし

「花粉の話」を聞いてくれた年配の方から、「あなたは幸せ」と指摘され、定年のモヤモヤが消…

ポーレンたかし

「花粉の話」を聞いてくれた年配の方から、「あなたは幸せ」と指摘され、定年のモヤモヤが消えました。仕事として「花粉の世界」に身を置き、これまでの50年間に知り得たことを紹介して行きます。小さくて多様な形を持つ花粉に興味を持ったことで、世界が広がりました。

最近の記事

私のお気に入り5 済州島その4 めぐりあい

 済州島の話、4回目になりました。表紙遠方にハルラ山、黒い岩石海岸は溶岩と海の「めぐりあい」の現場です。昔々ハルラ山には多数の寄生火山(オルム)があり、円錐形の丘や小山があちこちにあり噴火していました。  さて、日本の温暖な地域の指標となるハマオモテ線をもとに、始めた旅行記ですが、済州島では北方系植物のハマナスと出会いました。ハマユウ(ハマオモテ)とハマナスが自生する房総半島と似ていると、思い至りました。  房総半島の太平洋側は黒潮と親潮の出会う場所です。東日本大震災のとき

    • 私のお気に入り4 済州島その3 榧の森

       済州島3泊4日の旅を振り返りながら、気ままに思いついたこと記します。  民俗自然史博物館(Natural Heritage and Folklore of Jeju Island、「榧の森」、海女博物館、城邑民俗村、サンヒョンウォン樹木園、溶岩海水産業化支援センター、済州大学農経研究所、市内デパートを見てきました。  博物館の運営は、日本でも集客能力など多くの課題を抱えているようですが、設立者の理念が大切であろうと考えました。空港から程近い場所に、民俗自然史博物館がありま

      • 私のお気に入り 3 韓国済州島その2

         表紙写真は、多分、五島列島上空からの海域です。この海域が、アマダイの漁域であることなど、記します。済州島訪問以来、このブログ作成を契機に学び直せたことが、改めて嬉しい。2016年9月に民俗学者の高光敏先生とお会いした際のメモについて記します。高先生は、同年7月に日本の研究者(赤坂憲夫氏)と知り合い、東北芸術工科大学に招かれたばかりでした。  私たちとの出会いは、ソウル大学に留学経験のある同僚のMさんが、訪問先の済州大学で熱意を持って交渉した結果、実現することになりました。そ

        • 私のお気に入り 2 韓国済州島その1

           ドラマ「チャングムの誓い」の中、流罪となった島は、椿や常緑樹、海岸の黒い岩などどこか不思議な世界でした。雪が降っていても暖かく、緑あふれる自然や整形されていない石垣など南の島を思わせるものでした。また、日本の対馬、壱岐とつながる国境の島であり、架け橋として親しみを感じていました。今回は、火山島である済州島の水事情について記します。  表紙には、ハルラ(ナ)山(海抜1950m)が見えます。(2016年 9月5〜8日済州島を訪問)。 1 ハマオモト線(小清水卓二、1938)

        私のお気に入り5 済州島その4 めぐりあい

          私のお気に入り 1 

          これから、 「花粉と歴史ロマン」から離れて、さらに自由にこれまで気にしていたこと、気になること、お気に入りの物事を記録していこうと思います。 1 自己肯定感を高めてくれたドラマ「チャングムの誓い」  最初は、有名なドラマです。これまで再放送を録画して見てきました。 最近、ドラマのいくつかのセリフが気になり、思いをめぐらした結果、受け取れるものの一つに「自己肯定感」があるのではないか?と考えた次第です。  歴史書の一節に示された、ご褒美をいただいた医女「大長今」からイメー

          私のお気に入り 1 

          花粉と歴史ロマン 最終章 

          1 春が来た。  紅梅が咲きそろった。今年もこの木が春を告げてくれた。節分までの1週間、寒さと暖かさが交互に現れますが、房総では春が始まります。28日、仙台から来られた旧友は梅の盛りに驚かれていた。何年かぶりでしたが、時を超えた再会になりました。 このnoteを始めた頃、忘れかけそうな写真やメモを元に記事を作成することが楽しかった。楽しみの「花粉と歴史ロマン」も、そろそろ題材がなくなってきました。  最終章では、これまで扱ってきた記事の中で溢れてしまったいくつかの思い出を

          花粉と歴史ロマン 最終章 

          花粉と歴史ロマン 連続と不連続

           1月1日 能登半島を地震と津波が襲った。12年前の3.11を思い出した。あの時、愛犬とともに内陸の高台に逃げた。翌日自宅に戻り、家族全員の安全を確認できたが、家内の実家とは連絡が取れなかった。3月15日になって親族から救援の要請があり、原発事故が進行する中、ある程度の覚悟を持って家内と現地に向かった。高速道路は途中水戸まで利用できたが、出口では救援目的のため無料になったが、事務的には強行突破になった。  被災した家並みが続く国道6号線を北上し、避難先にたどり着くと親族は皆元

          花粉と歴史ロマン 連続と不連続

          花粉と歴史ロマン43 幻の寄り道

          1 もう帰れない  表紙写真は、今は立ち入ることのできない福島県浪江町の西方、葛尾村に通じる高瀬川渓谷の自然林です。震災の前年(2010年.10月)に撮影しました。モミが特徴的な中間温帯林です。  2011.3.11の放射能汚染により立入できなくなった高瀬川渓谷は、降り注いだセシウムによって600年間(Cs137の半減期30年を20回繰り返すと震災前までの水準に減少します)、人為から隔離された自然環境となり阿武隈山地に残されました。  降り注ぐ日差しは、自然美の回帰を促す優

          花粉と歴史ロマン43 幻の寄り道

          花粉と歴史ロマン42 幻のコケスギラン③

          はじめに  11月3日、町民文化祭で御殿まりをいただきました。シツケ糸(躾か?)で、ぐるぐる巻にされてから球に整形された後、様々な模様が刺繍されています。このシツケ部分が、ブナ科の椎や栗の花粉の表面構造に似て見えました(変)。  そもそも、「幻のコケスギラン」のタイトルから始めたnoteでしたが、玉野溜池の調査以来、コケスギランを検出できぬまま、より新しい時代のブナ林の移動経路に関心が移りました。花粉分析では、属レベルの識別が普通ですが、ブナとイヌブナの識別は、光学顕微鏡でも

          花粉と歴史ロマン42 幻のコケスギラン③

          花粉と歴史ロマン41 幻のコケスギラン②

          1 はじめに  表紙の写真は、檜枝岐村ミニ尾瀬公園からみた燧ヶ岳です。手前の山ではブナの黄葉が進んでいました。春に来た時と世界が変わりました。日本の美が、現実に目の前にあること、実感できる幸せを感じました。檜枝岐の人々は山や川が中心となった自然環境に寄り添って、生活できている。お墓(廟と呼ばれている)や石仏は、日常的に祖先や過去が現在と融合していることを教えてくれます。そして村を流れ下る豊富な水と奥山から運ばれる空気は休むことなく清浄な環境を更新し続けています! さらに温泉

          花粉と歴史ロマン41 幻のコケスギラン②

          花粉と歴史ロマン40 幻のコケスギラン①

          はじめに  表紙写真は、檜枝岐村ミニ尾瀬公園から、燧ヶ岳(海抜2356m)を撮ったものです。雪の残る山肌の尾根沿いに針葉樹、雪の残る斜面に落葉樹が分布しています。手前は雪融けのブナ林、新緑の季節を迎えていました(5月12日)。  亜高山地帯には、針葉樹と落葉樹の混在した森林が分布しますが、過去の寒冷期に年平均が8℃低下した時代を想定すると、気温帯が約1,500m降下しますので山地帯上部の森林が地上の世界に現れることになります。  現在、2300m付近までオオシラビソ(モミ属)

          花粉と歴史ロマン40 幻のコケスギラン①

          花粉と歴史ロマン 武蔵野と雑木林

          1 思い込み  1975年9月上野から特急「ひばり」で着いた仙台、路面電車(市電)が走っていた。初めての東北、北杜夫が過ごした大学の町、ケヤキ並木に包まれた涼しい空気に包まれていた。宿泊先の旅館で、食事を片付けにきたおばさんが、残した漬物を素手でつまみ、「塩辛かった?」とパクリ、その後、布団を敷きに来たのはバイトの大学生だった。ダイエーがあった。高知のダイエー店でバイトしたこともあり、懐かしさで入ってみると、建物の中は愛想のない従業員、期待していた笑顔が少ないな、と感じた。

          花粉と歴史ロマン 武蔵野と雑木林

          花粉と歴史ロマン たとえば、たとえば 

          1 2023年、8月の月  夜明け前なのに、月光が西の空に満ちていました。8月は月の最接近とともに、二回の満月が見られました。夜半の異常な明るさに、ひょっとして視力が回復したか、目を凝らして指の指紋の判別を試みましたが無理でした(😆)。  同日、夜、これぞ「盆のようなお月様」、自然物としての真円は、普遍を感じさせてくれますね!   鉛筆スケッチならば、左はぼやけた2Bの月、右は2Hか、二度寝を楽しみながら、花粉を学び始めた頃に中村先生から受けた覚え方のヒントを思い出し、実体

          花粉と歴史ロマン たとえば、たとえば 

          花粉と歴史ロマン 日光と尾瀬

          1「時を戻そう」 1965年  中学校の林間学校で初めて日光に宿泊し、切込湖、刈込湖を見た! 大自然の美しさに触れた思いだった。幼い私には何の予備知識もなく、ただただ自然美に触れる経験ができた。切込湖と刈込湖は、湯本温泉の北側、「薄暗い林を抜けたところに輝いて現れた空間だった」ような幻想が今も甦り、もう一度訪ねてみたいところです。宿泊先に戻り、誰もいない洗面所の冷たい水で顔を洗っていると、水を流したままの洗面器に、熟れたスモモが目に入りました。あの時、我慢したものか?定か

          花粉と歴史ロマン 日光と尾瀬

          花粉と歴史ロマン 天上大風

           良寛さんが、田舎の童子に「凧に何か書いてくれ」と頼まれて、その場で書いた書が「天上大風」だったとか、また、農家の庭先のムシロの上で書いたものともされています。  この逸話が示すように、左右に二文字づつ半紙に書かれた作品は、爽やかに大空に舞う凧を思わせるものです。この作品をモチーフにして、作られた土産物の容器が、家にありました。また、丹治先生作の掛け軸など、「天上大風」から連想しました。 1 家にあったお土産の竹籠  明治生まれの祖父母は、九十九里で出会い夫婦になりました

          花粉と歴史ロマン 天上大風

          花粉と歴史ロマン 「桑海の変」

           令和5年度 九十九里郷土研究会の総会で私の講演に参加された山本郁夫(寒苦)様より、いただいた絵手紙です。「桑海の変」とは、なんのことだろう。 1 「森が動いた」中村先生の古生態学  50年前に高知大学で受けた中村純先生の講義で受けた一言「森が動いた」は、動かない森を動的に扱う「推測の科学」であった。以来、時間と空間を圧縮できる「花粉」の魅力に惹かれ今日に至りましたが、34年間の教員生活の中で、十分に伝えられませんでした。それが、退職してから社会人とくにシニアの方々からは

          花粉と歴史ロマン 「桑海の変」