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花粉と歴史ロマン 天上大風

 良寛さんが、田舎の童子に「凧に何か書いてくれ」と頼まれて、その場で書いた書が「天上大風」だったとか、また、農家の庭先のムシロの上で書いたものともされています。
 この逸話が示すように、左右に二文字づつ半紙に書かれた作品は、爽やかに大空に舞う凧を思わせるものです。この作品をモチーフにして、作られた土産物の容器が、家にありました。また、丹治先生作の掛け軸など、「天上大風」から連想しました。

1 家にあったお土産の竹籠

油紙が貼られた竹籠の入れ物。多分、何かお菓子が入っていたのか?大事に保管されていました。
底の裏地に天上台風が印刷されていました。

 明治生まれの祖父母は、九十九里で出会い夫婦になりました。詳細は語らずでしたが、祖母の出身地で商売を始め、関東大震災、下町の大空襲の中、生き延びて位牌を守ってきました。位牌には、戒名の横に没年が記されており文化元年(1804年)が最古で、続いて天保7年(1836年)、明治10年(1879年)没とありまた。この後から戸籍に俗名(権太郎)が示され、安政2年(1855年)生まれの長男(初太郎)、さらに、その長男が明治17年(1884年)生まれ(常太郎)、末子に明治33年(1900年)生まれの祖父(衛)と続きました。町誌によると明治22年創業の〆粕製造業者の中に(常太郎)が出ていました。初太郎の時代なのに5歳の長男の名前になっているのは?です。

 さて、明治生まれの祖父母は、位牌と共に昔の物を残してくれました。津軽塗りのお膳など今でも使えます。この竹籠「天上大風」に何が入っていたのか?油紙が貼り付けられており、お煎餅のような新潟のお土産の容器だったと思います。書体が忠実に印刷されており、昔の職人さんの手仕事にも誠実な風情を感じます。

良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日1758年11月2日) - 天保2年1月6日1831年2月18日))は、江戸時代後期の曹洞宗僧侶歌人漢詩人書家。号は大愚。名は栄蔵[1]

https://ja.wikipedia.org/wiki/良寛

 良寛さんと同じ時代に生きていた先祖も、おそらくは良寛さんのことを知っていたと思うと、親しみが増しました。
 さて、良寛さんのメッセージは?、凧揚げは風が弱いと上がりません。高く上げたい子供達に対して、低地では風が弱くても「大空の高いところには凧を受け止めてくれる風がいつも吹いているんだよ。」で、しょうか? 九十九里のいわし漁が不振になって、故郷を後にした祖父が、ある程度、商売で成功し70歳を過ぎて戻ってきた故郷は、先祖あっての土地でした。

 良寛さんの書体を鑑賞することにしました。比較のために、次の2と3に続きます。

2 安岡章太郎著 「天上大風」

安岡章太郎 随筆集、題字は岡本光平、2003 世界文化社発行

 以前、題名だけで買ってしまった本ですが、ほとんど読んでいない積読。
改めてページをめくると最終章に、後書きに代えてとして「天上大風」があり、漱石が主治医の森成麟造宛に書いた手紙に、良寛の書や筆跡に関心を持っていたことが記され、漱石の良寛に対する思いや、医師森成麟造の考古学者としての一面などネットサーフィンを楽しみました。
 さて、本の題字ですが書家の作品でダルマ図(白隠禅師)とも関係がありません。書体の印象としては、白隠の図の賛「どふ見ても」の通りの意味不明です。
 おそらく、本の著者紹介にある「どこかシニカルでユーモラスな味わい」が表現されたと考えました。とにかく、良寛さんに、ねだった子供達にとってもこれでは喜ばなかったと思います。逆に良寛さんの書体の爽快さが理解できました。

3 丹治思郷作「天上大風」

 2002年に開催された神戸大学の須田先生の追悼展(兵庫県民会館)で、目に止まったのが思郷先生のこの作品でした。

掛け軸に表装された作品です。

 会場にいらした丹治先生に、この作品が目に止まったことをお話しすると、「君に受け取ってもらいたい作品だった」とのお返事、50歳の時のことでした。以来、我が家の床の間に飾られた書は、時の経過とともに書体が生活の一部になりました。
 良寛の作品は墨が濃く文字の輪郭が明瞭なのに比べて、この作品の各文字には風が吹き抜けるような、淡くかすれた書体になっています。

 先生から頂いた「君に」の言葉は、作品の意味に意識が移り、4回目のシベリア調査が終わったばかりで、勤務先の立場に不満を感じていた私の野望を諌めるような気分になリました。これでは、書美を見出したことにはなりません。先生は「ヒントを与える」ことに、常々配慮されていました。書体から発せられる先生の「ヒント」とは?これを受け取るのは、今後も私の責任です。

 先生の書に対するお考えは、ご著書「瑠璃帖」に解説されていますが、「書美は、対象者に感動を与えることが第一の条件であり、最終的には作品と鑑賞者とが一体化しなければ、書の美を得たとも、作品をつくったとも言い難いのである」とされています。

2011 5月12日 発行 (株)民報印刷 

3 作品「天上大風」からのヒント

 この作品から得た「感動」は、会場内の作品の中で一際目立つ美しさでありました。書体だけでなく白色の生地に表装された作品全体が美しかったのです。
また、以前の祖父が建てた家の床間ではなく、新築した家の床間に置かれたことも作品を鑑賞できる環境が整ったのではないか。
 先生の作品を身近に置くことが、書美の理解につながることを期待されたのではないか?もちろん、良寛が示した「天上には大いなる風が吹いている」の意味に示される「高い理想の大切さ」も大切ですが、その高い理想に美があるとしても、その美の輪郭は、不明瞭ながら一貫した流れが見出されることを表現されたかったのではないか?安直な答えを求めがちな私が感じるところです。

 定年を機に、名刺を必要としない立場になって、名を成すことから解放されたことが大きい。天上とは、俗世間を健全なものに導く理想の場かも知れない。ストレスに満ちた世界だけでは、夢や憧れを持ちにくい。「推し」を持つことが人生を豊かにするとも、…………..来年2月に女王様が東京ドームに現れるとか、家内が嬉しそう。 以上、ここまで、ご愛読ありがとう!


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