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私のお気に入り 2 韓国済州島その1

 ドラマ「チャングムの誓い」の中、流罪となった島は、椿や常緑樹、海岸の黒い岩などどこか不思議な世界でした。雪が降っていても暖かく、緑あふれる自然や整形されていない石垣など南の島を思わせるものでした。また、日本の対馬、壱岐とつながる国境の島であり、架け橋として親しみを感じていました。今回は、火山島である済州島の水事情について記します。
 表紙には、ハルラ(ナ)山(海抜1950m)が見えます。(2016年 9月5〜8日済州島を訪問)。

1 ハマオモト線(小清水卓二、1938)

 ハマユウとも呼ばれるこの植物は、幼い頃、住んでいたいた都営住宅の庭にあり、その株の子孫が今でも自宅の庭で毎年、花をつけてくれます。

我が家のハマオモト(花弁が赤い)毎年よく咲いてくれます。
ところが、インドハマユウであることが判明!駆除いたしました。

 さて、ハマユウの分布地を示す「ハマオモト線」は、関東地方から九州北部の太平洋側平野部の温暖な常緑樹林域に引かれていますが、済州島南部が含まれており、温暖域の指標種として興味が湧きました。
 小清水氏の論文が出版された1938年(昭和13年)、年表を見るとチャップリンの「モダン・タイムス」が上映され、前年の1937年には、盧溝橋事件が起こり日本が中国全土に戦線を拡大し、戦争への足音が響き始めていました。このような時代にあっても、自分の興味に正面から向き合える研究者の真面目さや境遇に、若い頃憧れました。

ハマオモト(ハマユウ)Crinum asiaticumの分布地図(黒い点)は、点線が年平均15°c、実線が冬の最低気温の平均がマイナス3.5°cの等値線の南部に、ほぼ一致することを示した論文(小清水、1938)です。済州島の南部にも分布が示されています。
宿泊先(ダモル・ペンション)済州市ジョンチョン邑ハムドク27街32-8
付近の海岸地にも植栽?されていました。属名(Crinum)はcrinon(ユリ)、
種小名はアジア特産の意、ヒガンバナ科です。対馬には分布地がありません。

 さて、常緑広葉樹林の分布を研究対象にしていた若い頃、分布域を等温線で表現する方法はわかりやすく、特に疑問を持ちませんでした。ただし、小清水氏の論文(1938)でも、ハマオモトの分布地は黒色の点で示されており、線で決められた範囲は分布域ではないのですね。今風に言えば気候的分布可能地域でしょうか?
安易に判断してしまうのは不徳のなせる技、これ特技だったかも(過去形か?笑)。気候条件だけではなく土壌条件なども重要です。これは、共存する複数の植物群から生態的に考察されるべきですね。複数の要因の組み合わせから、背景にある環境を意識するべきでした(砂浜、潮風への耐性etc)。

左:ハマオモト(ヒガンバナ科)の花(千葉県が北限)、右:ハマゴウ(シソ科)千葉県の海岸地にも普通にあるとか、砂の動きの少ない場に生えるとか
知らなかったなあ!
ハマオモトの大群落を抜けて海岸に出る海女の人たち:海女博物館に展示されていた写真です。
これほどの群落、ウェットスーツ姿から、近年に撮影されたものと思います。ぜひ見てみたい!

2 済州島へ

空港出口の植え込みの中に、水汲み姿が

 2016年9月5〜8日、職場の同僚二人と成田第1ターミナル 4F(大韓航空)で待ち合わせ、KE718便(9時45分発、12時45分着)、たぶん五島列島上空を経て、済州島国際空港へ、現地では(農業経済学の先生)が出迎えてくれました。空港玄関前の植え込みには、水汲みの壺を背負った女の人の像が立っていました。これは、あのチャングムが、水を求めに海岸や山に出かけた時と同じ壺のようでした。木材資源が不足していたのか、桶や樽の加工技術の問題なのか?日本との違いを感じます。
 一方、済州市の中心部は、整然とした常緑樹の並木(クスノキ、ホルトノキ、スダジイ)が見られ、森林が成立することに何の問題もないように思えました。

済州市の街路樹
しかし、…………。
空港ロビーに展示されていた村落内の井戸でしょうか?雨水の貯水槽かも?
城邑民俗村で、樹幹に流れる雨水を貯める仕組み

3 済州島の水事情

 「チャングムの誓い」、チャングムは済州島で医術を学び始めました。島では水が乏しく人々は塩分の多い井戸水を利用していました。チャングムは、患者のために海岸の水汲み場に出かけます。そこは兵士が管理しており、なぜか一般人は利用できない。そこで、わざわざに向かいます。
 山上には火口湖がありますが、さすがに遠すぎます。チャングムがいた海岸(海村)から向かった場所として、河川の源流付近(山村)なら水の流れる川もあるだろうけど、ここでも遠すぎる。中間山地(陽村)の湧水地でも遠いのですが、映像では湧水地だったと思います。ドラマならではの体力、湧水地まで水瓶をかついで水を確保して戻ってきました。
 現在でも川の下流には水が無く、主な機能は洪水時の放水路のようです。

左下に橋の影が写っていますが。水が流れていません!岩だらけの川底

 火山島である済州島の降水量は、ハルラ山の北側(約1,500mm)と南側(約19,00mm)で降雪量の差がありますが、森林が成立するためには十分と言えるでしょう。一方、森林帯の境界の高度は北側で低く、南側では上昇します。これは海流による年平均気温の差(北側の済州市18.9℃、南側の西帰浦市20.2℃)でしょうか?
 ハルラ山にはサイシュウシラベの寒帯林(1,500mから1,750m)、シデ類・コナラ林などの温帯林(700~1,000m)、その下部に暖温帯林(250〜350m)が成立していますが、低地で水が流れる川は観察できませんでした。海抜500m付近で、潜流(地下水)となって海村の井戸になったり、海中湧水となるためです。平地の村落では、エノキやケヤキの大木が街角に保存されていますが、「穏やかな山が多いことから人為の影響が及びやすく、牧草地維持のための森林伐採など、森を育てない」歴史があり、「大きな船が出入りできる港がない」、ことから「ハルラ山の材は細く」、「杉」は対馬に求めていた(高先生より)そうです。

上流域の川、水たまり?
マツムシソウ属か?房総ではススキ草地などに普通に分布する。花粉の形は特徴的なのです。

 済州島は火山島であり、噴火によって流れ出た溶岩、火山灰からなる表土は水はけが良いために水も養分も土に蓄えておくことが困難であり、深井戸を掘る技術を持たなかった時代から今日に至るまで、水田稲作はできませんでした。この点、伊豆諸島と共通します。耕地の割合も30%に満たず、水田はわずか0.59%(1984年)です。人為的に稲作の拡大も試みられたようですが、失敗に終わったとのことでした。帰路、空港に向かう川の河口に沿って、水田らしきものがありました。高先生にお聞きしたところ、「ミナリ」と発音されているようでした。
どうやら、セリらしいことがわかりました。

ググると「高城川」河口らしい

4 海岸林は馴染みのある世界でした。

ハマビワとヒサカキ 海岸の風衝植生、この他、トベラも
マサキとトベラ

 南部の海岸地、南済州郡の西帰浦市には、瀑布があり海に注ぐ滝を見ることができるそうです(現地に行けませんでした)。
 一方、済州島東部のテクノパーク内にある溶岩海水産業化支援センターでは、古語バラヌール(Bara:海、nul:地)のブランド名で、「済州水」が製造・販売されていました。地下130mから汲み上げられた水で、「悩みの種であった済州島の溶岩塩水が産業資源に生まれ変わった」(東亜日報 2013.7.30)の記事を頼りに訪ねました。

「済州島と土地が作った水」
左:岩礫上のハマヒルガオ、右:ハマナス(テクノパーク植栽)

終わりに

 この調査旅行は、自然資源と民俗に関する取材が目的でした。訪問先の樹木園など日本の若者にとってあまり人気のある場所ではないのですが、韓国の若者は多く訪れており、楽しそうに友人同士で歩いていました。若い人が、特に商業経済に取り込まれることなく自然に近い環境を好んでいるように思えました。日本でも新宿御苑や浜離宮が遠足先であった時代、思い出します。韓国の人たちの素朴さ、好きになりました。民俗村はさすがに観光客のための施設でしたが、日本のテレビドラマで学習したという説明員の日本語の堪能さには、驚きました。

参考文献:金崎一夫「済州島の自然と産業」(岡田学園女子大学論文集23、1989)、泉 靖一「済州島」(東京大学東洋文化研究所、1966)訪問先:民俗自然史博物館、「千年の森」カヤ原生林、海女博物館、城邑民俗村、樹木園、溶岩海水産業化支援センター、済州大学農経研究所、民俗学研究者の高光敏先生(国立木浦大学校)、タクシーの運転手様、皆様、お世話になりました。


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