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1999年から2003年までの阪神タイガース その㊷

ボール、要りますか?

一塁にいたキヨが男にそう呟いた。

今日の甲子園に空席は無い。
売り子の声がかき消される程の大歓声だ。

いつもの右打ち。
ヒットを打ったのはこの男。


2001年10月1日の話をしよう。

タイガースを支えてきた男が引退する事になった。

和田豊。

この男だ。


引退の話を耳にした時は胸が熱くなった。
絶対に甲子園に行きたかった。
軍団はみんなで特別な日にしようと約束した。


この日は平日だった。

「体調が悪いなんて嘘やろ。正直に言うてみろ」

担任の先生とのやり取りは今でも覚えている。

和田選手の為に作った大きなダンボール。
2001年タイガースカレンダーの和田さんを切り取り、貼り付け油性のマジックで17年間の感謝とメッセージを書いた。

全て手作りだ。
前日は寝なかった。
自分が出来る最大限の事はした。

それを見た先生が一言言ってくれた。

「午後の授業はええから、行ってこい。一つだけ約束しろ。羽目を外すんじゃないぞ」

僕の想いは先生に通じた。


この一言のお陰で僕たちはライトスタンドのチケットを取る事が出来た。

心配したが、軍団に会えた。
いつもの顔だ。

開門と同時に埋まっていく席。
通路。
焼き鳥の香ばしい香りに紙コップに注がれるビール。喫煙。特攻服。横断幕。
茶碗にサイコロ。
いつもの光景だった。


この日の座席はライトスタンドの前列。
開門と同時に座席は埋まった。
後ろを振り返ると壮大な光景だ。

『打の職人 和田豊 永遠に』

プロが自分の持ち場に用意し、大きく掲げた。
大きく、目立つ。

どのシートにいても見渡す事が出来る。
これは横断『幕』では無い。
後ろはしっかりとした木目で支えてあり、文字は鉄のように硬く薄い鉄板に自筆で書いたものだ。

気合いの入った字画は僕らを、
球場に来ていた全てのファンを魅了した。

畳む事は出来ない。
持ち運ぶのも大変だろう。
とてもじゃないが気合いの入り方が違う。
この日の為だけに用意した『本物』だ。



試合後の通路は和田さんのヒッティングマーチの大合唱となった。

そしてこの日の二次会に讀賣の悪口は無かった。
アイパーの涙を初めて見た。
壮大な二次会は、悪口無しで盛り上がった。
時代は暗黒時代の終焉と未来のタイガースを温かく迎えようとしていた。

駅から自宅への帰路。
何故か涙が出た。

2001年10月1日。

おれは忘れない。
讀賣のプロが和田さんのヒッティングマーチを延々と吹いてくれた事を。

おれは忘れない。
二次会で流した何百人と肩を組み流した涙を。
二次会で延々と歌ったヒッティングマーチを。
アイパーの見事なリードを。

おれは忘れない。
入来選手の全球ストレート。
松井選手からの花束。
キヨの一言。

そして、長嶋さんへの拍手を。

おれは忘れない。
ファンからの花束を一つ一つその手で受け取ってくれた和田さんの姿を。

生まれて初めて経験した二次会での胴上げを。



「タイガースは、きっと変わるよ」

二次会帰り、軍団の一人が額に汗を流しながら言った。

タイガースの野村監督を球場で見たのはこれが最後となった。




2013年頃、
『和田辞めろ』
『阪神をダメにしたのはお前だ』
『G滅』

球場で堂々とご丁寧に『手作りのダンボール』で掲げていた奴ら。

お前らは阪神ファンじゃない。
お前らはあの時代を知らない。



お前らは
もう球場に来ていない。




続く

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