やんやん

1999年から2003年までの 阪神タイガース、そして二次会や当時あった人間模様。 全…

やんやん

1999年から2003年までの 阪神タイガース、そして二次会や当時あった人間模様。 全て書こうと思います。 あの頃球場に通っていたみなさん。 二次会で大暴れしていた皆さん。 お元気ですか。 もう一度。 喉が枯れるまで叫び倒したあの頃のように。 noteを書籍化するのが夢

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1999年から2003年までの阪神タイガース その㊷

ボール、要りますか? 一塁にいたキヨが男にそう呟いた。 今日の甲子園に空席は無い。 売り子の声がかき消される程の大歓声だ。 いつもの右打ち。 ヒットを打ったのはこの男。 2001年10月1日の話をしよう。 タイガースを支えてきた男が引退する事になった。 和田豊。 この男だ。 引退の話を耳にした時は胸が熱くなった。 絶対に甲子園に行きたかった。 軍団はみんなで特別な日にしようと約束した。 この日は平日だった。 「体調が悪いなんて嘘やろ。正直に言うてみろ」

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      うわ、今年は多いなぁ。 軍団の一人がそう呟いた。 2002年3月17日(日) 阪神巨人戦。 甲子園でのオープン戦の事だ。 この年、タイガースの監督には星野仙一が就任。 球界は揺れに揺れた。 マスコミは連日タイガースを追った。 話題性は抜群だった。 この日。 オープン戦に関わらず沢山の客が入った。 ライトスタンドは完売。 レフトの自由席売場には行列が出来た。 何かが変わろうとしていた。 いつもの21号門前。 軍団はダベっていた。 「おう、時間や。開けてくれや」

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        はぁ、またか。 一本遅いのに乗れば良かったなぁ。 サラリーマンが大きくため息をついた。 車内がざわつく。 おばちゃんが笑う。 青年は呆気に取られる。 若者が笑いながらこちらを指差している。 タイガースファンの風物詩。 電車のドアが閉まった瞬間。 それはスタートする。 さっきまでホームで駅員の監視を遮り、 「いい子」を演じていた阪神ファンのスイッチが再びオンとなった。 タイガーがマントを靡かせ、鉄柵に登る。 集団の黄色と白のメガホンが揺れた。 「一般のお客さん!ご

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          大晦日。 23:00 八坂神社に集合せよ。 知ってるかい? シーズンオフ。試合の無い日に二次会。 この年が最初で最後。 あったんだよ。 2001年。 今年も毎度の如く最下位で終わった。 どん底のタイガース。 しかし、僕らのホームでの二次会のボルテージは過去最高だった。 とにかく面白かった。 とにかく笑った。 何を隠そう「アイパーの全盛期」だ。 アイパーのキレキレの二次会。 今のファンは知らないだろう。 彼が数々の名言を残したのもこの年だ。 長嶋さんが可哀想になる位ス

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          尼崎市。 男は市営住宅に住んでいた。 幼い頃に両親が離婚。 脚の不自由な母と二人暮らし。 生活は貧しかった。 男は朝早くから町工場で働き、 脚の不自由な母は内職を生業とした。 二人は汗を流し生活を支えた。 男の勤続は24年。 仕事を休んだ事は一日も無い。 ひたすら流れてくる機材を組み立てるライン作業。 職場では必要以上の会話は無かった。 休憩時も一人。 12時になるとそそくさと二階へ。 テレビから流れる連ドラ。 古いポットから急須にお湯を入れ、注ぐ。 休憩室で博打

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          僕らは日本シリーズに行けなかった。 アイパーは勿論、 暗黒時代に共に応援した仲間は誰一人球場に行けなかった。 最大の理由としてはこれだ。 ①日本シリーズのチケット販売は電話予約のみ ホーム•ビジターと共にそうだ。 定刻時間にチケットぴあの専門ダイヤルに電話。 繋がった場合予約番号を発行。 メモに控え発券する方法だ。 2003年。 今のようにネットでの抽選は無い。 軍団は皆で電話をかけたが当たり前の如く繋がらなかった。 タイガースが日本シリーズへ。 夢にまで見た舞台だ

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          抜け殻のようになった。 もう動けない。 9月15日の喧騒が終わる。 僕らは翌日、始発で自宅へ帰る。 泥のように眠った。 始発の御堂筋線。霞んだ目で携帯電話を見た。 沢山のメールが届いていた。 やんやん、やっと優勝したな。おめでとう! 観に行ってるの?どうだった? おれもテレビで観てた〜! 殆どが 『阪神をそんなに知らないニワカ』 からのメールだ。 バイト先、地元の友達、遠い親戚。 そんなに仲良くない奴。 フィーバーだったこの年。 長年連絡を取っていなかった友人から

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          カメラのフラッシュが光る。 場所は梅田ホワイティ。 試合後の二次会。 阪神ファンの歓声が響き渡る。 暗黒時代には考えられなかった人だかりだ。 メガホンが揺れる。 スリーコールが響き渡る。 マスコミは阪神ファンの二次会を連日大きく取り上げた。 そこにはアイパーの姿は無い。 とにかく。 とにかく寂しかった。 アイパーは阪神ファンの誇りだ。 またマジックが減った。 タイガースが優勝する。 もうすぐ。 もうすぐだ。 18年。 あまりに長く、苦しい時間だった。 阪神タ

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          9月15日のチケット。 それは前日に僕の手元にやってきた。 僕はこの日のチケットを持っていなかった。 タイガースにマジックが点灯し約二ヶ月。 胴上げは名古屋だろうと誰もが予想していた。 しかしまさかのタイガースは連敗。 マジック2のまま本拠地甲子園に帰ってきたんだ。 2003年。 思い出すと目頭が熱くなる。 毎日のように球場にいた人もいるだろう。 僕もその一人だ。 既に甲子園での前売り券は完売。 9月のチケットはプレミア化していた。 今のようにチケット売買サイトやメル

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          阪神にマジックが点灯した。 2023年の話ではない。 2003年7月8日の話だ。 忘れもしない倉敷マスカットスタジアム。 勢いの止まらない阪神タイガース。 阪神の優勝は現実味となった。 マジック点灯。 これは夢かな。 誰もが目を疑った。 阪神タイガース。 かつては地方球場の二次会も大いに盛り上がった。 この日も勿論。 噴水前には数百人の阪神ファンが集まりタイガースのマジック点灯を祝った。 駅まで続くヒッティングマーチ。 もはや巨人など敵では無かった。 いつしかジャ

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          色んな人がいた。 そりゃ、色んな人がいたよ。 野球場に偏見や差別は無い。 誰もが千円札を二枚用意すれば夢の中へ行け、 お釣りが返ってきた。 阪神タイガース。 夏場に最下位が確定している球団を応援しに来るなんてただの変態だ。 土日はともかく、平日でも毎試合来ている連中は普段何をしているんだろうといつも思っていた。 巨人戦や大型連休を除き、 当日券でフラっと入れたあの時代。 そりゃ、色んな人がいた。 まず、自宅が差し押さえられ甲子園に住んでいる人がいた。 通称「主」。

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          キヨは阪神に来なかった。 僕らは肩を落とした。 2001年もタイガースは最下位。 キヨがもし阪神に来たら。 どこの応援団が旗を振るのだろうか。 横断幕はあるのだろうか。 どんなヒッティングマーチになるのだろうか。 サテンのロングハッピを作りたい。 色んな事を考えたものだ。 シーズンオフ。 各メディアはキヨの動向を取り上げるも 巨人に残留する事が決まった。 只々、残念だった。 デイリーモバイルは沸いた。 的場が投稿。 その内容に感銘を受けた。 キヨ、あの時約束した

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          2000年。 伝統の一戦。 試合前のレフトスタンド。 阪神ファンと巨人の選手の罵り合いが今日も始まった。 笑いが起きる。 罵声が飛び交う。 とある選手がブチ切れる。 今では考えられない「巨人戦の風物」。 一瞬にして空気を切り裂き、 雰囲気を変える男がいた。 清原和博。 この男だ。 いつもの如く三塁側から現れ、 レフトへやってくる。 オレンジのメガホンが大きく揺れる。 「キヨ!キヨ!!!」 明らかに球場の雰囲気が変わる。 オレンジシートから三塁内野B指定、 そし

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          軍団の中で唯一、 85年の優勝経験者が存在した。 当時30代前半〜半ば。 高校生の僕から見ると随分と大人に見えた。 名前は「遠山さん」 遠山奨志を心からリスペクトしていた。 その為遠山さんと呼ばれるようになった。 遠山奨志に関してはWikipediaを参照して欲しい。今では野村再生工場で復活した選手の一人とされる。 一度二度と戦力外通告を受けた男が松井秀喜や高橋由伸をキリキリ舞いとさせる姿は暗黒時代のファンにとって魅力的だった。 遠山さんの人生。話を聞くと壮絶だった

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          1999年から2003年までの阪神タイガース その㉘

          灼熱の太陽が今日も野球場を照らす。 2000年の夏休み。 暑くて暑くて、とろけそうな夏の日。 少年はJRから阪神電車に飛び乗り甲子園へ。 直通特急に乗って25分、色んな事を考える。 停車駅から法被を着たファンが駆け込む。 今日タイガースが勝てば二次会でこれを叫ぼう。 このスリーコールはいいな。 デーゲームだから長時間二次会が出来る。 あの人は今日、来てるだろうか。 いつかサテンのロングハッピを作るなら、 バックプリントは誰にしよう。 駅を降りる。 小腹が空いた。 駅

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          1999年から2003年までの阪神タイガース その㉗

          阪神甲子園球場。 伝統の一戦の風物。 16:00頃から巨人の選手が試合前練習とアップを始める。 丁度レフトのバックスクリーン寄りの所だ。 巨人の選手が出てくると、 真っ先に集まり喜ぶのがタイガースファンだ。 罵り合戦がスタート。 「帰れコール」から始まり、 巨人の選手がこっちを見て笑う。 タイガースファンが罵り倒す。 一番乗りがアイパーだ。 「待たせたなお前ら〜!!!」 巨人の選手が一斉に笑う。 「出た!!またいるよあいつ!!海ぼうず!!」 アイパーは巨人の選手の

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