見出し画像

1999年から2003年までの阪神タイガース その㉝

阪神にマジックが点灯した。

2023年の話ではない。
2003年7月8日の話だ。

忘れもしない倉敷マスカットスタジアム。

勢いの止まらない阪神タイガース。
阪神の優勝は現実味となった。

マジック点灯。
これは夢かな。
誰もが目を疑った。

阪神タイガース。
かつては地方球場の二次会も大いに盛り上がった。
この日も勿論。
噴水前には数百人の阪神ファンが集まりタイガースのマジック点灯を祝った。

駅まで続くヒッティングマーチ。
もはや巨人など敵では無かった。
いつしかジャイアンツを揶揄するスリーコールの面白味は無くなった。

二次会の醍醐味。
それは弱いタイガースがやっとの思いで巨人を倒し、終電までジャイアンツの悪口で盛り上がる事だ。

阪神ファンのジャイアンツに対する執着心は長けていた。
監督や選手の家族構成から性事情まで揶揄する。
日テレやオフィシャルスポンサーまでバカにしていた。
二次会どころだけではない。
ホームでは試合前に直接選手に叫んでいた。

2003年には確実にそれが消えかかっていた。
もはや巨人など眼中に無かった。

んじゃ、二次会って何よ。
現役のヒッティングマーチを歌うだけ?

かつての二次会で指揮を執ったアイパーが暗黒時代、こう言った事がある。

「阪神がもし優勝したらどないなるんやろなぁ?」

誰もが想像出来なかった。

大阪はどうなるのか。
道頓堀はどうなるのか。
そして、僕たちの二次会はどうなるのか。

残念ながら2003年を最後にホーム・ビジターと共に二次会は衰退した。
ホームに関しては2003年のマジックが点灯したあたりから。

話を少し早送りする。

2004年以降。
僕はあれだけ愛していた阪神のはの字も出さなくなった。

球場の雰囲気はガラリと変わり、
応援の「プロ」は球場からいなくなった。
ファンは完全に入れ替わった。

「おれ実は阪神ファン」
これ、何回聞いたかなぁ。

大根やバナナにまでタイガースのロゴ。

この頃からユニがファッション化した気がする。
目立とうと大学に着てくるバカもいた。

タイガースカラーではないピンクのメガホンにユニ。

僕はもう私生活で阪神のロゴを見るのも嫌になった。

新しい友人と会話をしていると、野球の話題になる事がある。

「やんやんはどこのファンなの??」

「う〜ん、贔屓のチームは無いかなぁ」

このくだりは何回も続いた。
阪神の話をするのが面倒だ。

ニワカに甲子園に行こうと誘いを受ける程苦痛なものは無い。

分かるかな。
きっと分かるはず。
あの頃のタイガースファンなら。

2005年の応援歌には心の底から落胆した。


タイガースを奪われた。
どうする事も出来ない何かに。



タイガー。
アイパー。
戻ってきてよ。


続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?