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1999年から2003年までの阪神タイガース その⑮

今日は豊橋でのドラゴンズ主催のゲームが行われる。

地方球場には長い間行っていない。
僕の記憶だと、2001年の西京極・倉敷。
後はファーム主催の姫路市民球場ぐらいか。

あの時代のファンなら分かるだろう。

地方での試合は「熱い」と言うこと。

何が熱いって?
もちろん「応援」以外の事だ。

外野はほぼ常連で埋め尽くされるものの、
あまり顔を見たことのないファンもいる事が魅力。
自由席がメインだった為徹夜組。
球場の周りには露天にダフ屋も多かった。

手書きのポップ。
氷で冷やされキンキンに冷えた缶ビール。
パラソルのアイスクリーム。

年に一度しかないこの興行。
地元の人にとっては魅力的だろう。

さて、ここからがリアルな話。

地方球場の阪神ファンは酷かった。
まず乱入。勝っても負けても虎命
・・・とかいう意味不明なワードでは無い。

勝っても負けても乱入だ。
2001年8月。西京極での試合。
この日もタイガースは大敗を喫した。

負け試合が確定した瞬間にグラウンドに降り注がれるメガホンと乱入。
焼きそばやビール・パイプ椅子も投げられた。
紙おむつやポコニャンのぬいぐるみまで投げられている。
乱入した客を必死で追いかけ回す警備員。
自転車でグラウンドに乗り込み
選手のヒーローインタビューに向かって全力疾走。それを追いかける警備員を見るとコントのようだった。

巻き起こる敵チームへの帰れコール。
出待ちで怒るタイガースファン。
選手が急いで引き上げる。

とにかく地方での試合の阪神ファンは気性が荒かった。
選手も地方で試合をするのは嫌だっただろう。

しかしまだSNSも無く緩かったあの時代。
甲子園に比べ警備も希薄であり、
ある程度の事は許容範囲だった気がする。

チケットは完売していなかったように思うが、
フェンスを乗り越え観に来ている客も沢山いた。
今だから言える事だが、
野球が好きな訳ではなく
ただ単に暴れに来ている客も多数いた。
まるで年に一度のお祭りだ。

怒りも収まった頃。
西京極での試合の帰り道。
球場外で投げ捨てられたメガホンを運んでいるおっちゃんに遭遇した。

「あー、疲れた。今年も荒れたね。高校生?もったいなから、好きなの持って帰りな」

まだ新しいメガホンだ。
喜んで持って帰った。

「来年も阪神がここに来てくれたらいいね」

おっちゃんの後ろ姿が寂しかった。
苦労人のように思えた。

おっちゃんは阪神が西京極に来てくれる事が嬉しくて仕方ないそうだ。
町が変わったように元気になる、と。

露天で働く人、警備員、スタッフ、そして物販。
プロ野球は仕事を生み出し、利益を上げ、その土地にお金を落とす。
魅力的な興行だと話していた。

「今日は200個以上。拾うのが大変だったよ。
投げ捨てられた方が儲かっていいよな!はっはっは!」

笑いながら話すおっちゃんのTシャツは汗でびしょびしょだった。
額にも大量の汗。
脚が少し、不自由な方だった。
涙を浮かべているように見えた。



その日から僕は阪神がどんな試合をしても
メガホンをグラウンドに投げるのをやめた。



負け試合。
肩を落とす軍団。
スイッチはオフ。
それでも翌日には球場へ向かう。

今日も静かにみんなで帰った。



駅で広島の格好をした12球団男に会ったのも
それはそれでいい。


2001年。地方球場での思い出。



続く

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