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キタダ、詩を読む。…VOL.9 自作について①

  美作のはてうつくしく脊(せ)は撓(たわ)み芒(すすき)ひとすぢほどきゆく風  キタダヒロヒコ

 短歌の友人の批評を得て、推敲した一首です。初案は「一日の果て…」でした。「どこかの果て… にした方が下句の『ひとすぢほどきゆく風』がやわらかに流れるような気がします」との一言に、ためしに…と地名を入れてみました。ふいに、この歌が思い出されてきます。

  幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく  牧水

 「美作(みまさか)」が反射的に思いうかんだので入れてみたんですが、こうしてみると他の地名はありえないという気がしてくるからふしぎです。旧国名にした理由は、その方が時間的にも空間的にもおぼろなひろがりを感じさせるような気がしたから。

 いろいろ考えてみたんですが、四音の旧国名、意外とないんですね。「下野(しもつけ)」「上野(こうずけ)」「備中(びっちゅう)」「越前(えちぜん)」…いずれもこの歌には合わない、もしくはいまひとつ…という気がします。

 「美作」の名のやわらかさ、おぼろさ。くりかえし舌頭にころがしていると、「みまさか」と「たわみ」の「み」、「すすき」ほかのサ、カ行音が響きあっているのも感じられます。逆にいえば、これらの語彙のたたえる音韻と詩情とが、私の脳裡から「美作」の一語を呼び出したのかもしれません。

 同じ岡山県でも、「備前」は県都岡山を含む瀬戸内海側のひらけた地域というイメージ、「美作」は内陸部の山、盆地、川、芒…というイメージがあります(思い込みかもしれません。岡山県人の皆様、ごめんなさい。でも、地名のもつイメージ、喚起力というのはなかなか強力なのも事実です)。

 私は実際に美作地方を旅したことはないのですが、かえってその方がいいのだと思います。実際のどことは限らない、詩的イメージのなかの「美作のはて」。実在の固有名詞を使っていても、現実のその土地を超えた「言葉で作る世界」をうみだせるということなんですねえ。そういえば、俳句では固有名詞を絶妙にあしらった名句に出会うことが少なくありません。

 ふと思いましたが、この歌、旧国名でなく県名で「岡山のはて」としちゃったら台無しですよね。めちゃくちゃ散文的な歌になっちゃう。それはもう歌とはいえない代物なのです。

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