キタダ、詩を読む。…VOL.5 キタダ、古典を読む。「扇の的」(平家物語より)
【扇の的で有名な那須与一は、義経の命令を断っていた!!】
源平の戦い・屋島の合戦(1185年2月)で「あの扇を射落とせ」と命じられた与一。
「てまえの力では及びませぬ」と一度は義経に対し断りをいれます。
が、これに義経が激怒します。
「このたび東国を発ち、平家追討に参加した者は、
みな義経の下知に従わねばならぬ。
無理というなら、即刻鎌倉へ帰ったがよい」
武士にとって主君の命令は絶対。
かりに断って郷里に帰ったとて、
君命にそむきおめおめと帰ってきた奴、との汚名を着てまで、
のうのうと生きていくことは到底できないだろう。
かといって…あの扇を射落とせるとは、とても思えない。
72mあまりもある距離に加え、折からの強風。
扇は片時も静止せずにひらめき、
少しでも近くへ、と海へ10mばかり馬で乗り入れはしたが、
馬の胴へと打ち寄せる波。
波のたび、不安定に崩れる足場…。
そして、一発で射落さなくては、源氏の東国武士としての名が折れる。
源氏の名誉とおのれの運命のすべてを背負い、
進退窮まった与一は故郷の神々に祈り・・・
そのあとはご存知のとおり。
神に祈り終わったあと、
「うれしいことに風も少し吹き弱り、扇も射やすくなっていた」というのですが、
これは心象風景なのかもしれませんね。
いずれにしても、神に祈ったことで心が定まり、
寸分の狂いもなく与一の矢が命中したあと、
扇が美しく虚空にひらめき、水面にばさっと落ちるまでの
スローモーションを思わせる描写は、
(与一を含めて)すべての人が息をのみ、また与一が味わったえもいわれぬ安堵の表現としても読むことができると思います。
ただ、このあと戦争の非情を感じさせる場面が展開します。
それで構想するのですが、この「扇の的」と「敦盛の最期」で平和教育ができないかと。
「主君の命令に従うほかはない」…戦争遂行目的に向かって動き出した集団においては、個人の意思は圧殺される。
この「扇の的」でも、与一のみごとな腕前に対して、敵でありながら感極まって平家の男が船上で舞を舞う。
与一は、「ご命令であるぞ、射よ」と言われて、今度はためらいなくその男を射殺す。
それに対し、「ああ、よく射た」と言った者、「心無いことを」と言った者がいたと書かれているが、後者は、源氏の武士がひっそりと口にしたものでしょう。
おおっぴらにはいえませんよね。なんせ「ご命令」ですから。
「敦盛の最期」でも、熊谷次郎直実はわが息子ほどの年齢である敵の敦盛を逃がそうとします。それは敦盛の両親の悲しみを想像したからでしたが、
姿を見せた味方の手前、助けることはできず、自らの手にかける。
そして、戦後、武士としての生き方に疑問を持ち、出家する。
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「平家物語」という古典のなかの、現代にも通じる心情を読み取っていこうとするなら、
いったん戦争遂行目的に向かって動き出した集団においては、個人の意思は圧殺され、おおっぴらに疑問を表明することが許されなくなったり、戦場では、憎くもない相手を手にかけなくてはならなかったり、戦争の後も、自分のしたことを背負って生きていく…現代で言えば、PTSDを患う元兵士などもそう…人が出てしまったりする、いやおうなしに、そういうことを考えることにつながっていくのではないか。そう思うのです。
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