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「徳川家康、謎めいた面影の向こうに隠された真実。歴史の迷宮で解き明かす、新たなる物語の扉が開く。」

徳川家康は、日本史上最も有名で影響力のある人物の一人です。彼は戦国時代を終わらせ、江戸幕府を開いて、約260年間続く平和な時代を築きました。しかし、その偉業に対して、適切な評価がされてきたとは言い難いです。家康は、豊臣秀吉の死後、豊臣体制の重臣という立場にあって、どのように天下を見通し、政治的な戦略と決断を行ったのでしょうか。

野村玄氏の『新説 徳川家康~後半生の戦略と決断~』は、この問いに答えるために、家康の後半生に焦点を当てた新しい評伝です。野村氏は、一次史料に基づいて、家康が直面した課題や選択肢を丹念に分析し、家康の人間性や思考を浮かび上がらせます。野村氏は、家康を単なる権力者や英雄としてではなく、時代の変化に対応しながら、自らの立場や目標を見極め、柔軟に対応した「人間」として描きます。

本書は、以下の五つの章から構成されています。

第1章では、豊臣秀吉の没後、家康が大坂城に入るまでの経緯を追います。家康は、秀吉の遺言に従って、五大老の一員として、豊臣家の後継者である秀頼を補佐する役割を担います。しかし、家康は、豊臣家の重臣たちとの関係を円滑に保ちながら、自らの権力基盤を強化するために、様々な工作や交渉を行います。家康は、大坂城に入ることで、豊臣家の正統性を借りながら、自らの権威を高めることに成功します。

第2章では、家康が奥州に視線を向けた理由を探ります。家康は、関東に移封された後、奥州の伊達政宗や最上義光との関係を重視します。家康は、奥州の大名たちを自らの傘下に置くことで、関東の安定化や豊臣家の牽制を図ります。家康は、奥州の大名たちに対して、経済的な利益や政治的な配慮を与えることで、彼らの忠誠心を得ます。

第3章では、家康の後半生の政治判断の規定要因として、豊臣家との関係を考察します。家康は、豊臣家の重臣として、豊臣家の正統性を維持することに努めます。しかし、家康は、豊臣家の内紛や弱体化に乗じて、自らの権力を拡大することも目指します。家康は、豊臣家との関係を維持しながら、自らの権力基盤を強化するために、様々な政治的な手腕を発揮します。

第4章では、関ヶ原の戦いと山中の戦いにおける家康の戦勝とその実態を検証します。家康は、関ヶ原の戦いで、豊臣家の重臣たちの多くを味方につけて、石田三成率いる西軍を破ります。しかし、家康は、関ヶ原の戦いでの勝利をもって、天下を統一したとは考えませんでした。家康は、関ヶ原の戦いの後も、豊臣家との関係を維持しながら、自らの権力を確立するために、様々な政策や措置を行います。家康は、山中の戦いで、上杉景勝を屈服させることで、関東の安定化と奥州の支配を確実なものにします。

第5章では、家康による幕府権力の構築と継承を追います。家康は、1603年に征夷大将軍に任命されますが、豊臣家の正統性を尊重する姿勢を崩しませんでした。家康は、幕府の権力を強化するために、大名や武士に対する統制や監視を強めます。家康は、幕府の継承にも配慮し、自らの子孫を将軍に据えることで、徳川家の権威を高めます。家康は、1616年に死去するまで、幕府の基礎を固めることに尽力します。

本書は、家康の後半生における政治的な戦略と決断を、豊富な史料や論拠に基づいて、明快に説明しています。野村氏は、家康の人間性や思考を、時代の背景や状況に照らして、理解しやすく解説しています。本書は、家康に関する通説や俗説を払拭し、家康の実像に迫る新しい評伝と言えます。

本書は、日本史に興味のある人はもちろん、ビジネスマンにもおすすめです。本書は、家康の政治的な戦略と決断を、ビジネスの視点からも学べるからです。家康は、自らの立場や目標を明確にし、時代の変化に対応しながら、柔軟に対応した優れたリーダーでした。家康の戦略と決断は、現代のビジネスにも応用できると思います。本書は、家康の後半生を通して、ビジネスの教訓を得ることができる一冊です。

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