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ポジティブになるのが正解とは限らない

みなさまこんにちは。

いちかわです。

いつも貴重なお時間を割いて
僕の記事を読んで下さって
ありがとうございます。

突然ですが今回は
生意気にも

「コラム」

なるものを
書いていきたいと思います。

と言いますのも
ナミさんといちかわの
セルフカウンセリングシリーズ
をつらつらと書いている時に
なぜかふと
僕がメールカウンセラーとして
活動していたころに
クライアントの方から
よくいただいていた

「もっと
ポジティブになりたいのですが
どうすればいいですか?」

「こんなにも
毎日が辛くて苦しいのは
全部私が悪いんでしょうか?」

「自己肯定感や自信のつけ方
的な本を読んでも
一向に良くなりません。
もう私はずっと
このままなのでしょうか」

といった質問が
想い起こされまして。

そこで
もし同じような疑問や
悩みを持った方がいたとして
上記の質問に
不肖いちかわの回答が
少しでも悩みを解決したり
重荷を軽くするための
一助になるのなら
書かない理由はないよな。

と思ったので

「コラム」

として
少しづつ掲載しようと
決めた次第です。

あと正直に言うと

「なんかコラムって
ビジネス書っぽくて
カッコいいよなぁ!」

「なんか文筆家みたいで!」

という
小学生みたいな憧れも
めちゃくちゃあります。

すみません御託が過ぎました。

形式としてはマガジンにある
Q&A集に近いものになりますが
是非最後まで
お目通しいただけますと幸いです。


「もっとポジティブになりたいのですがどうすればいいですか?」


カウンセリングをしてますと

「ポジティブになりたいです」

といった目標を掲げる方や

「どうすればポジティブに
なれるんですか?」

という質問をされる方が
いらっしゃいます。

その方たちのお話を
よくよく聞いてみますと

「ネガティブな自分と
いいかげんさよならしたい!」

「ポジティブになれれば
今の生きづらさから
開放されるはず!」

「生まれ変わって
人生をやり直すためには
ポジティブにならければ!」

そういった理由で
ポジティブな性格になるのを
目指している方が
多い印象でした。

そんな

「ポジティブになりたい!」

というみなさまのお気持ちは
僕なりにですが
とても理解できるんです。

以前の僕も
うつや醜形恐怖で
悩んでいた当時は
喉から手が出るくらいに
ポジティブな思考回路を
欲していましたから。

ですが
いろんな本を読んだり
様々な人とお会いして
お話を聞いてきた経験上

「ポジティブになりさえすれば
世の中生きやすくなりますよ」

とは
どうしても言い切れないなと
思うようになったのです。


本当にポジティブ=善なのか


それではここで

「ポジティブになっても
生きやすくはなるとは限らない」

という言葉の意味を象徴する
たとえ話をひとつ
ご紹介させていただきます。

読者の皆様には

「ポジティブも度が過ぎると
このような弊害が生まれるのか」

といった視点で
ご覧いただければ
話が腹に落ちやすいと思います。


たとえばここに

“会社の仲間内でやる飲み会に
誘ってもらえなかった”

という出来事があったとします。

その時に
普段からポジティブに
捉える人であれば

「私の仕事っぷりが
神すぎるせいで恐れ多くて
誘えなかったのかな!」

「私になにか
サプライズをしたくて
作戦会議でもするのかな!」

「みんな水臭いなぁ
次回は私も強引に参加しちゃお!」

といった具合に
考えると思います(推測)。

反対に
ネガティブに偏った
捉え方をすると

「みんなから嫌われてるから
誘ってもらえなかったんだ」

「私は会社のお荷物なんだ」

「みんな私に対して
‟早く辞めてしまえ”
って思ってるに違いない」

「…もう辞めようかな」

といった風に考えがちです。

一見すると
ポジティブな考え方のほうが
前向きで明るい印象を持てますし
反対にネガティブ思考のほうは

「考えすぎだよ」

「まだそうと決まったわけじゃ
ないじゃない」

と思わずフォローを
入れたくなってしまいますが
だからといって

「何事もうじうじと
ネガティブに考えるのは
精神衛生上あまり良くない!
これからは
ポジティブ思考を身につけて
前向きな気持ちで
進んでいくべき!」

と結論付けてしまうのも
いささか早計に過ぎると
言わざるを得ないのです。


想像と現実は全くの別物


確かに
飲み会に誘われなかったとしても
くよくよ悩んだりせずに
前向きに考えた方が
ストレスも少ないかもしれませんし
気持ちも楽でしょう。

ですがもし仮に
ポジティブ思考のスタッフが
飲み会に誘われなかった理由が

「まわりから煙たがられている」

「そこそこ嫌われている」

といったものだったとしたら
どうでしょうか。

加えてその事実を
ポジティブなスタッフが
風の便りで
知ってしまったとしたら。

「え…
私って崇拝されるレベルだから
畏れ多くて
声かけられなかったんじゃなくて
ただ単に嫌われてたの!?」


思いもよらない事実に
少なからず
傷ついてしまうはずです。

「でも
まわりから煙たがられていたり
嫌われていたりする事実を
一切見聞きしなければ
ポジティブなスタッフが
悲しい気持ちになることは
ないんじゃないの?」


ここまで読んで下さった方は
お気づきになったかもしれません。

確かにそうなのですが
ここでポジティブなスタッフが
嫌われているという事実や
まわりの反応・態度を見ずに
現状のスタイルを貫いたら
どうなるでしょうか。

きっと

「空気が致命的に読めない奴」

というレッテルを貼られ
まわりから
さらに白い目で見られることになり
最悪の場合

「孤立」

を招いてしまう恐れもあるので
やはりまわりの状況にも
目を向ける必要があるのです。


いかがでしょう。

これまでの例は全て
可能性の話に過ぎませんし
ポジティブな勘違いが生んだ悲劇
という捉え方もできますが
それでも

「ポジティブになれれば
気持ちを楽にすることができる」

とか

「ポジティブになれば
世の中生きやすくなる」


一概には言えない理由が
おわかりいただけたかと思います。


大切なのはバランスのとれた考え方


以上のようなお話を
クライアントの方に話すと
十中八九こう言われます。

「じゃあどうすればいいの?」

ポジティブなスタッフが
事実に向き合えば
傷つくことになるし
事実に向き合わなければ
それはそれで
空気が読めないとされて
まわりからさらに
煙たがられる存在になる。

もう八方塞がりじゃないですか

と。

ですがあくまでも
上記の飲み会のお話は
ポジティブ思考の
デメリットを挙げただけで

「ポジティブになっても
ろくなことがない」

と言いたいわけではありません。

僕が言いたいのは

「バランスのとれた考え方が大切」

だということです。

「バランスのとれた考え方」

とは
飲み会に
誘われなかった事実に対して

「私が神だからかな」

とか

「畏れ多くて誘えなかったのかな」


偏った考え方をするのではなく

「次は誘ってもらえるだろう」

とか

「たまたま
スケジュールが合う人同士が
その場に集まった結果として
飲み会が企画されたのかも」

とか

「いつものメンバーで行く
定例会みたいなものなのかな」

といった
ポジティブでも
ネガティブでもない
中立的な立場で捉えるのが
バランスのとれた考え方です。

言い換えるなら
頭を柔らかくして
物事を多角的に
捉えられるようにする思考法で
これはトレーニングを積めば
誰でも身につけられます。

(具体的な身につけ方は
今後の投稿で
お伝えしていく予定なので
是非とも参考にしてみてください)。


まとめ


「事実はない。
あるのは解釈だけだ」

というニーチェの
有名な言葉もありますが
上記のようなケースで言うと

「事実や状況を整理せずに
物事を勝手にポジティブに捉えて
自分なりに解釈してしまうと
自縄自縛に陥りかねない」

もっと簡単に言うと

「なんでもかんでも
ネガティブに捉えてしまうのも
考えものだけど
逆になんでもかんでも
ポジティブに捉えまくれば良い
ってものでもないんだね」

「ポジティブに考えるのが
正解とは限らないんだね」

ということを
長々とお伝えしてまいりました。

繰り返しにはなりますが
僕はネガティブもポジティブも
否定するつもりはありませんし
ポジティブになれば大丈夫!
と安直なアドバイスを
するつもりもありません。

物事を
いろんな角度から見た時に
自分の気持ちが落ち着いて
楽になれる選択ができれば
それでいいのです。

みなさまがより生きやすく
穏やかな気持ちで
過ごせますように。

おしまい。

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