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鍵っ子

子供の頃、我が家は共働きだった。
父親はタクシーの運転手をしていた。
仕事が「明け番」の日は日中も家にいたけれど、仕事の時は夜も仕事でいなかった。そして、母も夕方までパートで働いていた。
なので、学校から帰ると家には誰もいなかった。私は首から鍵をぶら下げて学校に通い、帰宅すると玄関の鍵を自分で開けていた。
ひとりっ子だったので母親が帰るのを1人で、当時の私は何をして待っていたのかな。

小学校2年生になる頃に、1人でバスに乗れるようになった。
バスで15分位のところに母方の祖父母が住んでいて、学校から帰るとランドセルを置いて、小さなバッグに少しのお金を持って、祖父母の家に行っていた。
母も仕事が終わると祖父母の家に来て、夕飯をみんなで食べて、銭湯に行ってから母親と家に帰った記憶がある。
そう言えば、私は学校をよく休んでいたのだけれど、そんな時は祖母の家に泊まって数日を過ごしていた。体が弱かったのではなく、心が弱かったのだ。

小学校高学年になると、友達と遊んだり習い事も増えたりで、子供ながら忙しくなった。自転車に乗れるようになると、祖父母の家には自転車を走らせた。
当時、夕方の時間に刑事ドラマの再放送をやっていて、ついつい見てしまうと祖父母の家に行くのが遅くなり、「早く来なさい」と電話で叱られることもあった。

冬の日は日が落ちるのが早い。自転車のタイヤをブーンと鳴らしながらライトをつけて、冷たい風を切りながら自転車を走らせた道のりを思い出す。

鍵を家においたまま学校へ行ってしまう事があって、そんな時はベランダから侵入していた。区営住宅の一階に住んでいたので、ベランダの柵をよじ登り、ベランダへ入り、靴を脱いで、ベランダに置いてあった二層式の洗濯機の上に乗り、キッチンの窓から室内に入った。

当時の換気扇はキッチンの窓に設置してあって、キッチンの窓の鍵はかけられていなかった。換気扇は窓半分のスペースに設置してあったので、窓を全開すれば、その隙間から家の中に入ることが出来る。
窓のところから足を入れ、流しのところに足を置き、そぉーっと上半身を隙間から滑らせるように窓を通り抜けた。無事に家の中に入って、ベランダの鍵を開けて、脱いだ靴を回収し玄関に置いて、ミッションクリア。

自分の家なのに、悪い事をしているような後ろめたさと、冒険をしているようなワクワク感が混ざった気持ちだったのを何となく覚えている。

子供の頃からずっと「帰宅しても1人」が当たり前だった。
ひとりで留守番することを寂しいと思っていたかもしれないし、親の留守に観たいテレビを観られると開放感があったかも知れないし、ずっとテレビをつけていたのは、怖さを紛らわせていたのかもしれないし、子供の頃の気持ちを今は思い出せない。

けれど、怖さがあったからこそ、一人でいる時は必ず鍵を閉めておくとか、人が来ても迂闊に鍵を開けないとか、母親がそうしていたように、家を出る時は、玄関の外の様子を窺って(玄関窓に小さな覗き窓があった)、…人がいないことを確認してから外を出るとか、そういう危機管理みたいなことは身についたように思う。


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