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『スティル・ライフ』 パット・メセニー・グループ

 高校時代に『アメリカン・ガレージ』(1981)を聴いた時、つまんねぇ音楽と一笑した。とろとろ弾きやがって・・・、エレキギターってえもんはディストーション3つくらいつなげて、ガーッと鳴らすもんだ!何がおもしれえんだ、この野郎! という印象だった。バークレー音楽院で二十歳前にしてギターの先生になってたなんてことを聞いたから、興味津々で聴いたのに、肩すかしにあった気がした。パット・メセニー?おらぁ、パット・シモンズの方が合うわ!と毒づく。

 それから7年後。僕は就職し、通勤で車に乗っていた。車では必ずラジオをつける。天気予報、渋滞情報が定期的に放送され、耳に残るBGMは、生活の音として車内に同化していた。ある日、レコード屋で通勤の車内のBGMを耳にした。カーステレオのボロいスピーカーから聴こえてくる音とは違い、大きなJBLのスピーカーから聞こえてくるそれは、通勤時の音ではなかった。僕はすかさず“ON AIR中”と飾られた台の上のCDを見た。
『レター・フロム・ホーム』(1989)である。そしてアーティスト名は“パット・メセニー・グループ”(PMG)とあった。
おおっ!あのメセニーか!
いつの間に、何て聴きやすい音楽になったんだ!

 それは違う。僕の耳がやっとメセニーに追いついただけなのだ。高校時代の僕では、メセニーの良さがわからなかったのだ。メセニーサウンドを聴いて改めて思った。何てわかりやすいんだろう、と。
ジャズギタリストにありがちなインプロビゼイションの嵐のような構成でもないし、トラディショナルのように泥臭くもない。とてもモダンな音が、ギターに限らずひとつの音楽として成立している。曲によってはアコースティック・ギターをストロークするだけの作品があったり、ピアノのライル・メイズの出す音の粒とメセニーのギターの粒が結晶となったり、奥行きのある作品は言葉で表すことが出来ないほどだ。

 『ファースト・サークル』(1991)『スティル・ライフ』(1991)『ロード・トゥ・ユー』(1993)と立て続けにPMGとしてアルバムを発表。グループとしてひとつの塊から発せられる音の源泉は、ライル・メイズ、スティーブ・ロドビー、ポール・ワティコの3人がしっかりとメセニーに絡み合いPMGの世界を作り上げる。そしてアルバム毎にパーカッションとコーラス隊を整え、旅に出て行く。
 僕は1995年の『ウイ・リブ・ヒアー』のツアーからライヴを毎回観ているが、メセニーは常に進化していることに気づく。わかりやすいメロディーと畳み込むようなリズムが、大陸的な音に包まれ観ているものは軽いトランス状態に陥る。これはジャズやフュージョンなどといった形式に囚われない音楽で、パット・メセニーの音楽である。彼の頭にある構成を職人達が体現している。
 『イマジナリィ・ディ』(1997)を発表後、家庭の事情からポールに代わり若手のドラマー、アントニオ・サンチェスが加わる。『スピーキング・オブ・ナウ』(2002)ツアーではパーカッション、コーラスとして今話題のリチャード・ボナがツアーに同行し、なんと1曲ジャコ・パストリアスの作品をベースプレイした。圧巻だった。

 『ザ・ウェイ・アップ』(2005)ツアーは1曲約72分の壮大な作品をひっさげて来日した。そして、それをライヴで再現した。もちろん、スタンディング・オベーション。こんなにすごいライヴの次は一体どうなるんだろうと余計なお世話状態になってしまった。
 紹介したアルバムは全て愛聴盤だが、僕は、『スティル・ライフ』を推したい。

パーカッション、コーラスのアーマンド・マーサルのブラジリアン・テイストなプレイが光っているし、郷愁の名曲「ラスト・トレイン・ホーム」を収録しているからだ。
 しかし、あの時、レコード屋でメセニーと再会していなかったら、僕は今でもふにゃけたギター野郎という認識だったかもしれないな。反省。

2005年12月7日
花形

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