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『ベスト2000』 ふきのとう


 日本のフォークソングは1960年中期よりカレッジフォーク、1960年後期より関西系フォークなどのムーブメントが起き、程なくしてよしだたくろうや井上陽水といったメガセールスが日本を席巻した。そして、かぐや姫やガロがセールスを伸ばし、一大フォークブームに発展していった。
 荒井由実が命名した「四畳半フォーク」という言葉も世になじみ、フォークは若者の象徴として1975年の「吉田拓郎・かぐや姫 つま恋オールナイトコンサート」で昇華した。
しかし、その1975年を境に音楽の多様化に伴いフォークは事実上ニューミュージックに名前を変えることになる。但し、その中でも「叙情派フォーク」と言う言葉だけは残っていた気がする。
特にヤマハ主催の「ポプコン」から登場するミュージシャンにこの傾向が強く、シティポップやクロスオーバーといったジャンルと双璧を成していた。NSPやふきのとうはその代表格である。
また、数あるフォークシンガーやグループが時代と共に音楽性を変え、エレクトリック色が強くなっていく中、この叙情派フォークのミュージシャンはかたくなにアコースティックに拘っていた。その音楽性は音の氾濫する最新の音楽の中でとても潔く聴こえてくる。

 私とふきのとうの出会いは、私が中学生でラジオ少年だった頃に遡る。勉強をしながらラジオをつけていると、毎日のようにふきのとうの「風来坊」がオンエアされていたのだ。刷り込みというものは恐ろしいもので、顔も見たこともない得体の知れない「ふきのとう」なるグループの歌を登下校時に口ずさむようになった。
自転車に乗りながら“この空どこまで高いのかぁ~”なんて具合。
しかしそれ以上は発展することも無かった。レコードを買うわけでもなく、ライブに行くわけでもなく、気がついてみるといつも“この空どこまで高いのかぁ~”という具合だった。

 時は過ぎ、1987年8月。休業していた拓郎が復活するというニュースを聞きつけ、九州・海の中道まで出かけ、南こうせつのサマーピクニックに参加した。このオールナイトイベントの会場には、こうせつファンと拓郎ファンが詰め掛け、雨上がりのグチャグチャになった地面の上で異様な熱気に包まれていた。その中で、拓郎が登場する前に何人かのミュージシャンが登場したが、その中にふきのとうがいた。

その時のふきのとうは、「緑輝く日々」のツアー中であり、武道館公演も7月に成功させていた。
彼らの演奏が始まった時、客席は当初ざわざわと騒がしかったが、曲が進むにつれて彼ら2人のコーラスに魅了されていった。バックバンドの演奏も無駄が無いもので、整理された音が2人の歌を盛り上げた。私は不謹慎ながらも、後で出てくる拓郎登場のためにふきのとうや伊藤かづえなど他のシンガーの出番では体力を温存させようと休憩の体勢をとろうと思っていたが、聴こえてくる演奏があまりにすばらしいので、結局40分の彼らの出番をじっくり堪能してしまった。彼らのステージが終了した時には感動に包まれていたし、この日のイベントでいまだに記憶として残っているのは、拓郎でもこうせつでもなくふきのとうだったのだ。

 細坪の高音と山木の低音。字にしてみるとなんて単純な、と思われるがこれこそがふきのとうの音なのである。
正確に書くと、細坪の高音の主旋律に山木は6度下のコーラスをつける。つまり3度上のハーモニーの1オクターブ下のコーラスということだ。このちょっと変わったハーモニーがふきのとうの特徴である。そして、詩の世界は山や風、雨などの自然を歌い、親や友へ飾らない自然な言葉をつむいでいる。

控えめな印象のグループで、ヒット曲に恵まれたわけでもないが、コンサート会場は全国的に盛況だったと聞くと、なんだかメガセールスで踊らされている音楽業界の鼻をあかしているようでとても興味深い。

『2000 BEST ふきのとう』(2000)は初期から中期までのベスト盤。


 彼らのデビュー曲「白い冬」の音源を捜していたところ、たまたま手に取ったベスト盤であるが、これがなかなか良い。
彼らの大切にしている音と世界が凝縮されているアルバムである。

追記。
「白い冬」をコピーしているが、山木のコーラスは難しい。3度上のコーラスで慣れているととんでもなく高い声になってしまうし、低音で歌いきるには出しづらい音域だし。
高音の主旋律という点においても、歌いきる人も少ないだろう。
あの雰囲気を出すのは並大抵なことではないのだ。

2008年5月27日
花形

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