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『名演大全集』 古今亭志ん生

 実は私、よく車の中で落語を聴きます。ラジオであったり、CDであったり・・・。
あの絶妙な間と江戸情緒あふれる話は、日本が世界に誇れる文化だと思います。
最近は「お笑いブーム」と呼ばれ、漫才やコントが主流です。それはそれで良いでしょうが、「お笑いブーム」というなら、もう少し落語にもスポットを当ててみてほしいものです。
そんなわけで、私は昔から贔屓にしている噺家がおります。
私が聴き始めた頃はもうすでに鬼籍に入られており、生で観たことは無いのですが、テレビの録画やラジオの音源でよく楽しんでおりました。
 その落語家とは、五代目古今亭志ん生であります。
メチャクチャな人生を歩まれた芸人の芸は、言葉ひとつひとつに説得力があります。
 志ん生は、声、間、技が一体となった完璧なまでの話をする正統派の噺家というよりも、貧乏暮らしと酒におぼれ、その実生活がすでに落語であるという強みがあります。

 明治23年生まれの気骨のある人物と思いきや、その日暮らしの酒飲みという噂もありますが、なにせ人柄が幸いして借金取りもあきれ返るくらい人に恨まれなかった人のようです。
そして、そんな志ん生にはたくさんのエピソードがあります。(ウィキペディア抜粋)

エピソード①
 関東大震災のときに、酒が地面にこぼれるといけないと、真っ先に酒屋へかけこみ、酒を買おうとした。

エピソード②
 東京が空襲にあっている頃、漫談師大辻司郎(初代)に「ビールを飲ましてあげるからいらっしゃい」と招かれて数寄屋橋に出かけ、しこたま呑んだ後、お土産にビールを詰めた大きな土瓶を貰った。帰宅中に空襲が始まり「どうせ死ぬならビールを残してはもったいない」と全て飲み干し、酔っ払ってそのまま寝入ってしまった。あくる朝、奇跡的に無傷のまま目覚めて帰宅。家では「志ん生は空襲で死んだらしい」とあきらめられていた。

エピソード③
 満州にて終戦を迎えたものの、混乱状態の満州からの帰国の目処がつかず、昭和21年頃の国内では「志ん生は満州で死んだらしい」と噂が流れていた。実際本人も今後を悲観して、支援者より「強い酒なので一気に飲んだら死んでしまう」と注意されたウォッカ一箱を飲み干し、数日間意識不明になったことがあった。その後意識を回復した志ん生は、「死なないのなら少しずつ呑めばよかった」と言った。

エピソード④
 ある日、志ん生は酔っ払ったまま高座に上がって、そのまま居眠りを始めてしまった事がある。それを見た客も怒るどころか粋なもので、「いいから寝かしてやろうじゃねえか。」「酔っ払った志ん生なんざ滅多に見られるもんじゃねえ。」と言って、寝たままの志ん生を楽しそうに眺めていた。

酒以外のエピソードでも、
エピソード⑤
 TBSラジオの専属時代に他局に出演し、それを指摘されたときの科白、
「何かい、専属ってえのは他に出ちゃいけないのかい?」と訊ね、TBS側も「志ん生だからしょうがない」といって諦めた。
実に愛すべき噺家です。
そういえば、先日亡くなったフォークシンガーの高田渡も同様の人でした。

 志ん生の落語は、CD全集も出ておりますので比較的簡単に手に入ります。持ちネタも多いので、選ぶのに一苦労しますが、「らくだ」「火焔太鼓」「親子酒」「鮑のし」などはすんなり志ん生の世界に入れます。

 『名演集』(1994)は昭和31年から35年までのニッポン放送の専属時代の音源が収められており、一番油の乗った時期の話術を聞くことが出来ます。昭和36年に脳溢血に倒れ、その後奇跡的に高座に戻ってきたが、《病前》《病後》と形容されるくらい勢いは変わってしまったようです。但し、《病後》の落ち着いた志ん生のほうが良いというファンもいるので、一概にどちらが良いとはいえないかもしれません。

 絶妙な語り口から出るキップの良い江戸弁は、聴いていてついつい真似をしてみたくなりますが、慣れない人がやるとただの野蛮人になってしまいますので、注意しましょう。

2007年6月16日
花形

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