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方言『わや』になるの元 和耶神社の話 

トップ写真 羽浦神社 和耶神社を合祀


方言 わやになるとは?


おそらく東日本方面には馴染みのない方言。
『わやになる』『わやじゃ』
西日本エリアの方なら、
なんとなく意味が分かる方も多いのでは。

わやを使うエリアによって、
多少ニュアンスに違いがあるようですが、
『台無しになる』『うまくいかない』
そんな意味があります。

使われ方としては、
「さっぱり、わやじゃ!」
「そんなことしたら、わやになる!」
こんな感じでしょうか。

西日本エリアにお住まいの方の多く。
耳にしたり、何気に使ったことがある言葉。
『わや』の語源についてご存知でしょうか。
今日は、『わや』の語源となったと伝わる
神社をご紹介させていただきます。

徳島県阿南市にある和耶神社(わやじんじゃ)。
武埴安王(タケハニヤスオウ)が祀神。

羽浦神社 式内社とあるが、式内社は合祀された和耶神社の方

崇神天皇との戦い

タケハニヤスオウは、
第八代、孝元天皇の御子で、
第十代、崇神天皇の叔父。

欠史八代と言われている時代の神を祀る。
和耶神社は由緒ある式内社です。

古代史入門 藤井榮さんの著書より、

現在の、徳島県小松島市、阿南市一帯は、
神代より海人族の大根拠地であった。
この地の王がタケハニヤスオウ。
孝元天皇の妃、ハニヤスヒメの一人子。

タケハニヤスオウが、崇神天皇の時代に
反乱を起こしますが、失敗してわやになる。
これが神社名の由来。

タケハニヤスオウは小松島市より以南を
支配下に治めた、
当然、天皇を名乗るだけの力量の持ち主。

皇統をかけた
崇神天皇との死闘が繰り広げられたが、
悲運にして戦死。
式内、和耶神社に祀られたと思われる。

現在は、羽浦神社に合祀されています。
元のご鎮座地であり、葬場は能路寺山古墳。
能路寺山古墳は現在消滅しています。

古代史入門より タケハニヤスオウ葬場跡

戦いの舞台について

通説では、この戦いの舞台は山城(京都)。
タケハニヤスオウが戦死したのは伊豆美(大阪)
タケハニヤスオウ軍が追われ、
殲滅したのが久須波の渡し(淀川 樟葉辺り)。
となってます。

しかしながら、そのような記述。
山城国風土記の中、どこにも書かれていない。
古代史入門著者、藤井さんは書かれてます。

更に、和名抄(平安中期の辞書)の那賀郡条に、
「山城」「藩羅」「和泉」の郷名がある。
と、述べられた後、詳細な場所について、
書かれています。
詳しく知りたい方は、
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藤井榮さんの著書に書かれていること。
私たちが
教科書で習った通説とは大きく異なります。

通説では、古代の歴史。
神武天皇が奈良の橿原で即位され、
その後、
平安京に遷都されるまでの都は奈良であった。

藤井さんの著書では、
平城京ができるまでの帝都は阿波。

そこがとても面白いところです。

事実かどうかは立証のしようがありませんが、
かなり説得力ありますよ。

最後の天孫族対出雲族の戦いなのか


私が気になったというか、興味あるところ、
タケハニヤスオウは海人族。
と、いうことは、出雲系?

崇神天皇は天孫族。
高天原系?

だとしたら、
何代も前の国譲り神話。
大国主が天孫族に国を譲った後も、
ずっと平和であったわけではなく、
繰り返し戦いがあったのか?

その辺りに興味を覚えます。

まあ、普通に考えてみても、
いろいろな疑問が生じます。

本当に国譲りは話し合いで行われたのか?
大国主や事代主は、
自分たちが苦労して豊かにした国土を、
ほぼ無条件で天孫族に明け渡したのか?

本当は血で血を洗う争いがあったのではないか?
阿波では、天照大御神は大国主命に討たれた。
なんてお話もあります。(すごい話ですね)

いずれにせよ、天孫族の統治を
快く思わない勢力。
出雲族の抵抗は、
後の世にも続いていたのだと、
私は思っています。

その最後が、崇神天皇Vsタケハニヤスオウ。
なのではないのかな。

この戦いが一つの契機となり、
天孫族(山人)と出雲族(海人)が手を結び、
海人族の力を借りて、
今でいう全国に、領土を広げて行ったのでは?

ヤマトタケルが各地に遠征した時代、
12代天皇の御代。
時代背景もわりと近い時期だな~。

なんてことを考える次第です。

阿波説出雲の本拠地へ

現在、羽浦神社に合祀されている和耶神社。
私は一度、参拝させていただきました。

阿波説でいう出雲エリアの神社なのですが、
天孫系の神社とは全く異なる気が流れています。

神社の周りの情景も、田畑が広がり、
穏やかな空気。
天孫系の神社はピリッとして、
どこか寂しい空気。
私の感想ですので個人差はありますよ。

一の鳥居 周りは田畑広がる

今も、氏子によってよく管理されてる印象でした。
私の参拝中も、何人かの方が参拝されてました。

参拝者 家内です

これ、意外と徳島の神社では珍しいのです。(笑)

阿波説では、大国主の本拠地と言われるエリア。
貴重な式内社が点在するエリアでもあります。

春のお休みに、訪れてみてはいかがでしょうか。

本日は『わやになる』の語源、和耶神社のお話でした。

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本日も最後までお読みいただきありがとうございます。



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