小学生でもわかる、「二・二六事件」

概要(大体の内容)

◆二・二六事件とは、昭和8年(1933年)2月26日に日本で起こったクーデター(政府転覆の非合法行為)のことです。
◆当時の日本は経済不況や政治不安定が続いていました。陸軍中心の軍部が政治の実権を握ろうと企んでいた中、事件が起こりました。
◆事件は鎮圧されましたが、政治的混乱が続き、陸軍の権力が強まりました。
◆この事件は、日本の戦前史の中でも重要な出来事で、太平洋戦争勃発の原因の一つとも言われており、現代の日本にも大きな影響を与えました。

原因

◆二・二六事件が起きた原因は、昔の日本がお金がなくて、政治が不安定だったからです。
◆陸軍の人たちが政治を支配したかったことも原因の一つです。
◆事件の前には、政治の人たちや軍隊の中で仲が悪いところもあったので、それが事件を引き起こしたきっかけになりました。
◆いろんな考え方があるけれど、総合的に見てこれらの原因が絡み合って、二・二六事件が起きたと考えられています。

二・二六事件のクーデター勃発から鎮圧までの流れ

①1933年2月26日の正午ごろ
陸軍士官学校の生徒ら約1,400人が、政府の要人を連れ去ったり、駅を止めたりなどの行動をはじめました。この時、5人の要人(重要な地位にある人)を殺害しました。

②午後1時半ごろ
軍部は、事件を反逆行為だとみなし、天皇に報告を行いました。

③午後3時ごろ
政府は、急いで会議を開いて、軍部とどう対処するか話し合いました。

④午後4時ごろ
生徒らは、東京駅を制圧して、列車を止めました。

⑤午後5時ごろ
政府は、軍部に攻撃することを決め、陸軍や警察などが出動しました。

⑥午後6時ごろ:軍部は、事件の首謀者を逮捕して、事件を鎮圧しました。

以上が、二・二六事件のクーデター勃発から鎮圧までの大まかな流れです。事件は、短い時間で起こって、鎮圧されましたが、その後、政治が混乱することになりました。

※こちらは、二・二六事件について分かり易く解説された動画です。


太平洋戦争との因果関係について

◆二・二六事件は、日本の陸軍の中で不満や考え方の違いが表面化した事件でした。この事件があってから、陸軍が独断専行するようになりました。
◆この事件の後、政治が乱れて、陸軍が強い態度を政府に対して取るようになりました。そして、国内の取り締まりを強めたり、軍隊を大きくするなど、軍事的な力を増やす政策を進めました。
◆日本は、次々と戦争を起こすようになりました。それは、二・二六事件がそのきっかけの一つとなったからです。
◆二・二六事件の前後に起こった戦争や事件は、
 日清戦争 (1894-1895年):日本は勝利
 日露戦争 (1904-1905年):日本は勝利
 第一次世界大戦 (1914-1918年):連合国側に参戦、日本は勝利
 五・一五事件(1932年5月15日):軍人による反乱事件。犬養首相暗殺。
【二・二六事件勃発(1933年2月26日)】
 日中戦争 (1937-1945年):日本は敗北
 太平洋戦争 (1941-1945年):日本は敗北
 インドシナ戦争 (1940-1945年):日本は敗北
◆太平洋戦争では、日本が敗北しました。多くの人々が亡くなってしまいました。二・二六事件がなかったら、もしかしたら戦争を避けることができたかもしれないと言われています。

まとめ

◆二・二六事件で日本が反省すべきことは、軍隊が政治に干渉したり、他国に対して一方的に行動したりすることや、人権や自由を無視することがあったことです。
◆この事件は、軍隊が自分たちが優れていると思いすぎたことが原因で起こりました。
◆でも、失敗や過ちを学びにして、日本は真の民主主義を大切にし、他国と仲良くして平和を守り、人々の権利を守ることが大切だと考えるようになりました。
◆今後も、このような考え方をもとに、一人ひとりが助け合い、未来に向かって進んでいくことが大切です。

最後に・・・
「過去を知れば今が分かる」
「今が知れば未来が分かる」
「今を変えれば未来が変わる」



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