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最もパワフルな「振り返りの原則」客観的な他人からのサポートや支援と共に「自分の言葉」で語れるようになること


市場の変化、環境の変化に応じて
人は自分の「能力やキャリア」を
自ら切り開かなければならない
といわれるようになって
久しいもの。


しかし、考えてみれば、
そのような時代にあっても
「働く大人の学び方」そのもの
について「学んだこと」のある人は、
そう多いわけではありません。


そのような中、私たちは
「我流」で学ぶことを実践して
いるのです。
我流の学びでも、素晴らしい学びを
取り入れている方は存在します。
しかし、我流はときに迷走を
生み出してしまうことも、
また事実です。


学びのなかで、時に翻弄されて
しまったり、道を見失ってしまう
人も少なくはありません。
反面、「学ぶことは重要だと
わかっていても、何からはじめて
よいかわからない」
「何を学んでよいかわからない」
といった問いに悩み、
重い腰をあげることのできない人も
数多く存在します。


私たちはそもそも大人の学び方を
教わっていないということです。
とくに日本では”大人が学ぶ”というと、
ちょっと違和感をもたれることが
多いです。


「社会人」という言葉は、ある意味、
「教育課程を終えて、今は仕事を
している人」であり、
イコール「学びを終えた人」という
ニュアンスが日本語にはあります。


ちなみに日本のこうした現状は
英語圏では通じません。
つまり、社会人というと
「学びを終えたこと」を
意味してしまう日本と、
「学び直すのは当然」である
諸外国では、大人が学ぶことに関する
イメージがまったく異なって
くるからです。


20代の頃に一回大学に行って、
40代にも行って、60代、シニアで
もう一回いくみたいな人や、
人生で3回大学・大学院に行くような
人も諸外国には多様にいる、つまり、
「学び終える」ということがない、
キャリアアップやキャリアチェンジ、
そして、将来の就職の条件をよりよく
するために、「学ぶ」ことと
一生付き合っていくことが
前提となっているのです。


学びの主人公は「自分」である
ことは疑いえないことですが、
しかし、人はなかなか自分一人
だけでは学ぶことができないとも
いえると思っています。


実は学習研究の歴史を紐解くと、
長い間、人間の学習は
「個人で完結するもの」と
いわれてきました。
そんな中、
「人が学習するには他人が必要である」
と真逆の主張をしたのが
ロシアの天才心理学者
「レフ・ヴィゴツキー」氏です。


「レフ・ヴィゴツキー」氏は、
大学在学中の
1913年〜1917年の間に
転職に何度も関わっていました。
研究者としてのキャリアは
10年ほどですが、
「心理学のモーツァルト」と
呼ばれるほどに、現代にも
大きな影響を与えています。


科学的説明として成立しない
観念論的心理学、逆に、
人間の高次な心理機能を
分析し得ない説明的心理学を批判し、
人間の高次の精神機能を
新しい方法原理によって
研究しようとしたヴィゴツキー氏、
当時の主観的心理学や行動主義に
含まれる二元論などを批判的に検討し、
発達と教育の関係について
新しい理論化を行いました。


つまり、
ヴィゴツキー氏は、言葉で
説明できない「生活的概念」と
体系だった「科学的概念」の間には
密接な相互関係があること、
また「生活的概念」は対象となる
「もの」から直接把握されるのに対し、
「科学的概念」においては
体系や概念と概念の関係性から、
直接的な事物を知るという逆向きの
把握がされることを実証しました。


同時に子どもたちが科学的概念を習得し、
それを自覚しうるためには、
生活的概念の発達が一定の水準にまで
達していることが同時に極めて
重要であることも指摘しました。


その有名な発達理論に
「最近接発達領域(Zone of
proximal development)」
というものがあります。


「最近接発達領域」とは
ひと言でいってしまえば、
「成長の幅」のことをいいます。
たとえば、わからない問題を
目にしたときに
「誰かに横でサポートして
もらえると解けた」という
経験はあると思います。
たとえば、
子どもがひとりではできないが、
外部の助けがあればできる
物事の領域となるのです。


つまり、
”子どもが一人で成し遂げられること
(現在の発達水準)”と
”大人の援助や助言、自分より能力のある
仲間の協力や協同(共同)で
成し遂げられること(潜在的発達水準)”
との間の隔たりのこと。


すなわち、
「レフ・ヴィゴツキー」氏は、
人間の「学習」は、
「自分一人でできるレベル」と
「他人に援助されたり、関わりを
もったりしてできるレベルの間=成長の幅」
に生起すると考えました。
そして、その「成長の幅」を
引き伸ばしていくためには、
他人からの援助や関わりが必要である
と考えたのです。


人は
「自分一人でできる今の自分」を脱して
「これからの自分」になるためには、
他人からのサポートや支援を必要とします。
助言をもらったり、声かけを受けたり、
励まされたりといった「つながり」や
「関わり」が大切なのです。


たとえば、
ビジネスパーソンの場合、
どのような支援を他人から受けて
仕事の上での成長を遂げているかを
研究、分析した結果でみてみると
日本企業43社、2300名の
データから導き出した結論は、


1)”業務アドバイス”
  教えること、助言すること


2)”振り返りの促進”
  振り返りを促してあげる
  客観的な意見をいって気づかせる


3)”励まし、承認”
  励まし、ほめること
  感情のケアをする


成長するためには、
他人からのアドバイスや
振り返り、励まし、承認といった
ものが大切なようですが、
最もパワフルなのは
2)の「振り返り」でした。



”振り返りの原理”は昨今、
「リフレクション」と
表現されることも多く、
どこかで耳にした方もいる
かもしれませんが、
わかりやすくいうと
実務での「経験」を学びとしての
「知恵」にしていく活動、
つまり、
自分自身の仕事や業務から
一度離れてみて、仕事の流れや考え方、
行動などを客観的に振り返ること、
失敗したこと、成功したことも
すべて含めて見つめ直し、
気づきを得て、新たな行動へと
つなげる未来志向の方法論。


すなわち、振り返りとは、
過去の自分の行動を見つめ直し、
意味づけたうえで、未来に何を
しなければならないのかを
「自分の言葉」で語れるように
なることです。


振り返りは、人が経験から
学ぶときに、どうしても
必要になる行動です。
仕事をしていれば、誰しも
さまざまな経験をします。
しかし、経験は、そのまま
放置しておいても、学びには
つながりませんから、
経験を学びに変えていくために
必要なのが「振り返り」という
活動になるというわけです。


なぜなら、人は、
自分の言葉で言語化できたことしか、
できるようにならないからです。
振り返りを通して、経験から
さまざまな学びを生み出して
いく必要があるのです。


具体的な方法として
「振り返り」は、

①What?
「過去に何が起こったのか?」


②So What?
「どのような意味があったのか?
 何がよくて何が悪かったのか?」


③Now What?
「これからどうするのか?」


この3つの問いに対して、
考えを巡らすことで
深まっていき、
①→②→③の3つのプロセスで
「深掘り」を行うことで
根本的な原因にたどりつき、
今後のあり方を考えることが
できます。
これが「振り返り」です。



このような振り返りは時間が
かかりますが、
別の表現でいうならば、
自分の状況を「メタ(上位)」な
視点に立って眺めることでも
あります。



フランスの文筆家
「ブールジュ」氏の名言に

『自分の考えたとおりに
生きなければならない。
そうでないと、自分が生きた
とおりに考えてしまう』が
あります。


この世界には2つの生き方があり、

一つは、
”世間や押し寄せる雑事に流され、
自分が生きたとおり、
生きてしまう生き方”
もう一つは、
”折に触れて生き方を考え、
考えたとおりに生きる生き方”


ただし、
いくら考えたとしても
実際には、なかなか考えた
とおりには生きられないのが
世の常です。
しかしながら、
まったくの思慮なく、
押し寄せる雑事に自分の生き方を
任せてしまうのは、
不確実な世の中にあっては、
「漂流」に他なりません。


折に触れて、
自分を俯瞰的に見つめ、
考え直す勇気と機会を
持ちたいものです。


もちろん、
他人からの支援といっても
いつまで経っても、
他人に助けられているだけでは
「甘え」になりますが、
いつかは援助や支援を「解除」され、
自分一人で生きていくことが
求められます。


つまり、一人前になっていくに
したがって、他人からの支援の
量は少なくなり、自分でやる量が
多くなります。
斯くして、すべてを自分一人で
行う段階に入り、めでたく
「自律」ということになるでしょうか。



実際に誰しも困難なことがあり、
苦手なことがあるのは当然です。
同じ場所で学ぶという視点から、
私たちが「共に」社会に生き、
学び続けるためのきっかけを
研究し続けていきたいと考えています。



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