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世界の理(ことわり)と共に生きるホモ・サピエンス(知恵のある賢い人)、先見の明と共通思念を使う意味、そしてプロフェッショナル次元へ


”飛行機はなぜ空を飛んでいるのか”
誰でも一度は考えてみたことが
あるのではないでしょうか。
日常的な直感からは飛行機がなぜ
飛ぶのかはイメージできません。
しかしながら、
なぜ飛行機は飛ぶのだろうと疑問に
思うことはよくあると思います。


飛行機が空を飛んでいるとき、
機体には大きく分けて
4つの力がはたらいています。
4つの力とは、
1、前に進む「推力」(推進力)
2、後ろへもどそうとする「抗力」
3、機体をもち上げる「揚力」
4、地球が下へ引っ張る「重力」です。

抗力より推力が大きければ前へ進み、
重力より揚力が大きければ
機体は空に浮かび上がります。


千葉市科学館
プロジェクトアドバイザー
「大山光晴」氏によると
飛行機が飛ぶためには
2つの要素
(前に進む、浮く)が必要で、
「推力」を生み出す
エンジンやプロペラ、
流れる空気や水から
物体にはたらく力のうち
進行方向に垂直な「揚力(上向き)」
つまり、
エンジンによる”推進力”で進み、
翼がつくる”揚力”で浮かぶのです。


私たちはどのような
動物とも違う知的な存在であり、
人間は目の前に広がる世界を見て
「どうして世界はこうなのだろう」
と問い続けてきました。
感覚は外に向かって
開いていますから、
音でも景色でも風でも
勝手に入ってきます。
たとえば、海をしばらく見てると
なんで波が動いているんだろうとか
しみじみ思います。
これがずっと繰り返されている
と思うと少し驚きますが、


宇宙誕生から138億年近く、
地球誕生から46億年、
生命誕生から40億年が過ぎ去り、
人類の誕生からは700万年近く、
そして、私たち、
「ホモ・サピエンス」の誕生からは
およそ20万年が経過したに過ぎません。


地球、生命の時間の
流れから考えると
人類の過ごしている時間は
束の間に過ぎず、
その間に誕生した生物種の99%は
絶滅したとされていますが、
20万年前に存在した
「ホモ・サピエンス」の数は
1万人くらいだったのだそう。
ちょうどこの頃、私たちの種は
他のヒト属から枝分かれしたとみられ、
現在はその唯一の生き残ったヒト
となっていますが、


かつては
人類の進化過程を単線的な
「猿人、原人、旧人、新人」の
四段階に分け、
「ホモ・サピエンス」は
新人に対応するとされていました。
しかし、化石人類学の進歩で現在は
このような単線的段階論は退けられ、
人類にはいくつもの種が存在し、
それらは進化や分化、絶滅を
繰り返したと考えられるように
なっています。


これからの
社会を考えるにあたっても
”人間は生きものであり、
自然の一部”ということの
意味を忘れることなく、
これからは私たち人間として
「ホモ・サピエンス」を
見ていくことになると思いますし、
アフリカの森林から
生まれて以来の長い歴史が、
今の私たちの身体に
刻み込まれています。


その身体に組み込まれた
20万年の歴史
「ホモ=サピエンス」は
人類につけられた”学名”です。
わかりやすくいうと
前者が”ヒト”、後者が“すぐれた”
という意味をもっていることは
ご承知のとおりでありますが、


生物の名前には必ずある言葉が
使われて名付けられています。
それは、
誰もが喧嘩しないようになっており、
今、使われていない「ラテン語」を
使っているということです。
この言葉を使ってつけられた名前が
万国共通の「学名」というわけですが、


学名の命名は、1758年に
スウェーデンの博物学者
「カール・フォン・リンネ」氏が
作った約束(二名法)に従って
命名されており、
属名・種名・命名者名の順と
決められていますし、
リンネが創始した二名法は
世界の分類学に普遍的な基準を与え、
世界の分類学者が”共通の言葉”をもって
自然界に存在するものを
語り合うことができるといいます。
(※属の帰属には科学的な根拠が必要)


たとえば、ヒトは
「Homo sapiens Linne」ですが、
これはヒトの属名である
Homo(ラテン語で”人”の意)と
種名であるsapience
(ラテン語で”賢明な”という意)、
そして、命名者であるLinneの
3単語を連ねたものです。


つまり、
ヒトはヒト属ヒト種なので
「Homo sapiens」となり、
ラテン語で
知恵ある人、賢い人の意、
「正しく考える人」
ということを意味します。
今、時代が本当に求めているのは、
「正しく考える人」
すなわち、
正しい思考力と判断力、
豊かな創造力と表現力を
発揮できる人間です。


「世界の理(ことわり)」とは、
もっともである、
当たり前であること、
あるいは、不変の法則
この世界の法則性という
意味であり、
ごく当たり前で合理的、
直線的な考え方を「道理」、
または「理」といい、
それに即している状態を
「理に適(かな)っている」
といいます。


アイデアは
心の中に存在するものですが
外の世界のことを表します。
その目的は、
世界の姿をより明確に知るために
より明確に考えることです。


人類にとって根源的な問いです。
「宇宙は何からできているのか」
「どのような原理・法則で
成り立っているのか」を
明らかにするこの問いこそが
理学(自然界に存在する現象や原理、
法則を突き詰める学問)
そのものであると思いますし、


化学もしかり、
物の形と性質の変化、および、
それらの法則を解明する
物理学と化学の論理を組み立て、
さらに、新しい理論を発見するのが
「数学(抽象)」です。


宇宙の普遍的な法則がわかれば、
過去にこの宇宙で起こった出来事や、
今、現在見られるさまざまな現象を
論理的に理解することができ、
これからどのようなことが
起こるのかさえも科学的に
予測できると思うのです。


なぜなら、
そもそも問題とは何かを
考えていきたいと思ったときに
「よくないこと」
「困っていること」
「解決すべきこと」 など、
誰しも、いろんな答えが
浮かんでくるのではないでしょうか。
もちろん、そのどれも
間違っていないと思いますが、
いくら正しく問題を解決しようとしても
そもそもの問題を間違って
とらえていたら意味がないからです。


人と人とは
文化やバックグラウンドの違いを
理解する力がなければ
コミュニケーションがとれず、
いつまでたっても分かり合えずに
変わることができない
などといいますが、


そもそも言葉を使うことでしか、
事実や真実や説明も解釈も
できませんし、
伝達手段は唯一、言葉だけです。


「言葉」は
事実をありのままに記述し
伝えることが不可能な
”不完全な道具”です。
たとえば、「赤いもの」
という言葉を考えるとき、
「リンゴの赤」「イチゴの赤」
「血液の赤」「炎の赤」
を連想しますし、あるいは、
『力』『危険』『愛情』『慈愛』
などの抽象的な概念を想像する
と思います。


しかし、「赤い」というのは
抽象概念であり実物ではありません。
仮につくられた架空の概念です。
説明も解釈も同様です。
より近づく(接近)ことはできますが、
言葉で真実を語ることはできません。
たとえば、
「数」も現実世界に存在しないもの、
概念でありますが、
とても役に立つ道具(人間の器官の
働きを助けるためのもの)です。


そこで大事なのは
「4次元」です。
4次元とは物質的には
認知できない
(五感で知覚できない)けれど、
確かに存在する次元です。


たとえば、
時間や倫理観という共通思念を
私たちは持っています。
お金の価値というものも
共通認識として持っていて、
それを信用して私たちは
取引しています。
こういう頭の中にはあるけれど
物質的に存在していないものが
4次元です。


この4次元は2つに分かれます。
1つは”共通思念”といわれる
私たちが持っているもの、
もう1つが”個別思念”というものです。
共通思念を持っていることが
「ホモ・サピエンス」最大の特徴
だといったのが、
「サピエンス全史」の著者
「ユヴァル・ノア・ハラリ」氏です。


ハラリ氏はこの4次元感覚を
持っているということが
「AI」と「人間」が
決定的に異なる点であり、
私たち現生人類である
「ホモ・サピエンス」が
生き残ったのは、
虚構(共通思念)を持っていた
からだと指摘しています。


ただ、
虚構は嘘とは異なります。
学問の世界では虚構を
「想像上の現実」
と呼ぶこともあり、
神、国家、法、正義、人権、
会社など、大多数の人が
その存在を信じています。


チンパンジーや
アウストラロピテクスが
限定的な意思疎通や思考しか
できなかったのに対して、
「ホモ・サピエンス」は
進化の過程で言語を獲得したことで
虚構の世界を作りだすことが
できるようになりました。


これは同じように進化した
人類種である
ネアンデルタール人が
できなかったことで、
これにより
ネアンデルタール人が駆逐され、
「ホモ・サピエンス」が繁栄した
とハラリ氏は述べています。


つまり、
それまでの類人猿、旧人類は
3次元の感覚までしか
持っていなかったために、
せいぜいみんなで集合して斧を
持って戦うしかなかったわけです。
一方、
「ホモ・サピエンス」は
客観的世界と虚構の世界を
表現、理解し、伝達できるなど、
概念を共有することで
集団内外の人同士で信頼関係を築き、
協力し合うことができるように
なりました。


お金や時間、国家や社会制度
といったものを私たちが
共有できるのは、こうした
4次元感覚を知覚できるからだと
思いますし、
もちろん、どの次元へも
意識を上手に動かし、知覚の範囲を
広げることが可能です。


パーソナル次元(自分)
 ↓
アカデミック次元(他者)
 ↓
プロフェッショナル次元(社会)

5次元とはマスターの次元です。
(職人、プロフェッショナル)

ある分野で経験を積み
鍛錬し続けた人は、
必ず最後には
「すべては1つである」、
あるいは
「すべてはゼロである」
といいます。


これはある1つの物事を
突き詰めて突き詰め果てた結果、
はじめて到達できる地点です。
物事の根源に迫るとき、
(決して目には見えない)
1つに集約されていくものです。
「本質はこれだ」といえる人は
さんざんやり尽くした結果として
5次元の知覚を持つようになります。


5次元の知覚を持てるように
なると、圧倒的に集中力が高く、
当然のごとく、その下位次元である
4次元感覚を超越できていますから、
たとえば、
時間をゆがめる、度量衡やお金などの
社会の「共通思念」から自由で
あったりします。


では、6次元といえば、
もう「0」と「1」が
融合している世界、
つまり、全肯定ということに
なります。
「0」or  「1」ではなく、
「0」ond(かつ)「1」とでも
いえばいいでしょうか。
要するに「0」でも「1」でもない
全肯定、すべて統合されていて
善も悪も正義も存在しないという
次元です。


最後に7次元というのは、
知覚を超えた次元です。
わかりやすくいうと、
7次元の全肯定感覚が
習慣(当たり前)」になっていて
状態化していることです。
常にその状態にあるので
知覚することさえない
という状況を指します。


数学や物理学の世界では
現在、11次元まで
証明されつつありますが、
現時点でのその内容を
わかりやすく”言語化”できるのは
このレベルくらいまででしょうか。


インターネットが
牽引した距離を問わない
コミュニケーションは、
コロナ・ショックによる
完全遠隔業務で当たり前の
ものになりました。
世界からすっかり距離が消え、
ゼロになったのです。


これから人々は暮らしと労働を
完全に切り分けて、
前者:よりフィジカル
(風や波を感じる)に、
後者:よりバーチャルに
(ネットやデジタルで完結できる)
なっていくはずです。
人類は距離を克服したと思います。


距離を克服した人間の関心は、
自ずと時間に向かいます。
これからの時代は時間の概念を
ゼロにすること、すなわち、
時間という誰にとっても
絶対軸であったものが変形し、
ゆがみ、伸縮性を持つという
「時間を超える技術」の時代に
入ることでしょう。


時間が歪むことは、
相対性理論を学ぶと理解できる
と思いますが、
光の速さで走れば、
自分自身は時間が経たないのです。
これからは時間が論点になり、
世界は同時多発的に展開されます。


令和の時代は時間を超える
4次元の技術をもとにした産業が
中心になると予想されますし、
各時代においての成功者というのは、
基本的には1つ次元の高いことを
考えた人です。


昭和の時代はマクドナルドの
創業者「藤田田」氏や
ソニーの「井深大」氏といった、
空間を超えてアメリカの土を
踏んだ人が成功しました。
平成の成功者である
ソフトバンクの「孫正義」氏も
アメリカに倣った人ですが、
タイムマシン経営で未来を洞察
(4次元)することで
時間を超えて成功します。


令和の時代はというと
空間(平成)、時間(令和)が
克服される(ゼロになる)と
すでに分かっている人、
空間と時間を超えた
5次元の世界に生きる人が
これからの成功者となるのでは
ないかと思っています。


人生は年齢ではなく
その密度の積分でありますから、
私たちは本当に一緒に居たい人
とともに時間を過ごしたいと
考えるようになると思います。


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