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桑田佳祐とジョンレノンについて思う(仮)

2023年12月9日の「やさしい夜遊び」のジョンレノン特集で桑田佳祐はこう語った。

桑田佳祐
『ジョンレノン特集とかテレビで観ても少し堅苦しくねえかなと思ってね。"愛と平和” を訴えて我々の背中を押した、勇気を与えたみたいな、そういった持ち上げるベクトルがあるんですけど』

『ジョンレノンは何がいいってかと言うと(アコギ1本でアスクミーホワイを歌う)切ないのよ、ジョンレノンって。だからあんまり愛と平和でも、ロックンロールでもない、ジョンレノンが好きだっちゅう』(2023年)

また翌週の12月16日放送では

桑田佳祐
「イマジンね、あのー、高校1年の時聞いた時『陳腐な歌詞!』と思ったんすけど、“天国なんてないと思ってごらん”って『何だそれ!』って思いまして。それが今、世界平和の歌にまでなっちゃったりね、放送禁止にまでなるんですよ、あれがね。ジョンレノンがそれを望んでるのかどうか分かりませんけども。」(2023)

2023年最新の発言だけど、実は桑田佳祐って人はジョンレノンが亡くなった頃から今に至るまでこの考え方はあまり変わってない。

筆者自身もジョンレノンが神格化されている事に首をひねるばかりで。そんな考えを昔、日記で書いていたのでアップしてみます。この辺の考えは良く言えば今でもブレていないし、考えようによっては成長していないとも言えるし。。まあ、今のコンプライアンスを考えてざっくり削除した箇所もあるんですが。



1999年9月6日『すべての歌に懺悔してるかなあ・・・?』

もう一丁ビーチボーイズ小ネタ。
わたくし先日のブライアンウィルソン公演の時に会場で、今話題のあの人物を見かけたのですよ。あの人気シンガーソングライターの槇原敬之(30)を。
「あれっ?こいつ今入院しているんじゃなかったっけ?」と思いつつも、気にも留めていなかったんすが。今、考えるとねえ・・。

そのライブというのが、最初の30分程、ブライアンさんのヒストリーを映像で紹介しまして、内容は当然、ドラッグに溺れ、身も心もボロボロになりながらも、復活! “Brian's Back!” てな感じでして。その後、本人が登場しての演奏でも、ドラッグからの復帰リハビリライブという雰囲気が会場に蔓延していたと思うのですよ。
そのステージを見ながら、人気シンガーソングライターの槇原敬之(30)は何を感じていたのだろうか? 胸が締め付けられなかったのだろうか?自己を投影しなかったのだろうか?とても興味深いところっす。

古い考えなのかもしれないが、私の場合いまだに「セックス・ドラッグ・ロックンロール」の世界観って“あり”だと思ってるんです。逆にこれほど馬鹿げていることもないとも思ってるんですが。

わかるかなあ?この感覚。「すべての歌に懺悔しな!!」の世界ですよ。あのー、イイ意味でも悪い意味でも、所詮、芸能人なんてヤクザな商売じゃないですか?
これって「(自分を含めて)音楽は世捨て人の作業だ」と言った桑田佳祐や「芸人は何かを得ようとしたら何かを失わなくちゃならない。幸せな家庭を持っちゃダメだ。」と言ったビートたけしの考え方に似ていると思うんだけど。

クレイジーでアナーキーでエキセントリックでデタラメな感じがした方がカッコイイというか。品行方正なタレントを見ても面白くもなんともないというか。くどいようですが、その全く逆も“あり”なんだけど。

だから両面性を持ってなくちゃ、つまんないんだよね。両性具有じゃなきゃ。アンドロジニー。

うーん、大成してしまった芸人っていうのは、天から才能を授かってしまったわけだし、そしてそれによって巨額の富と名声を手に入れてしまうわけですよ。それを自分個人の中で受け入れるには、どこか破綻しないと人生チャラにならないというか。

例えば自分の身を傷つけてしまうとか…、ゴッホみたいに耳を切り落としちゃうとかね。それこそヤクザな感覚で商売人として頭を切り替えてやっていくとかね。

どこかで自分を堕落させないと、純粋にモノを作る作業っていうのは、きついんじゃないかなあ?これ、売れない芸人や、イケイケで上を目指している芸人は別の話しだから。ましてや自分で創作していない人間や、過去の栄光にすがっているだけの芸人は全く別次元の話しなんで・・。

そういった意味で、人気シンガーソングライターの槇原敬之(30)は、ここ数年、芸能人高額納税者の上位の常連になっていたわけだし、ましてや優等生イメージでずっと来ちゃったわけでしょ?

マスコミもファンも全面的に“いい子ちゃんづくし”で見てきたわけだから。壊そうにも壊せない何かが確立しちゃったんすよ、きっと。相当、精神的にきつかったと思うわけですよ。誰も彼の内面の狂気に気づいちゃくれなかったんだから。

よく、SMクラブとか赤ちゃんプレイの風俗店の客として、高名な医師とか政治家とか大企業の社長とかが多いって聞くじゃないですか?「エリートとしての葛藤」とでも言うんでしょうか。ガス抜きっていうより、自分をおとしめてプラマイゼロにしてるっちゅうか。人間一人の請け負える許容量なんてどうしても限界があるんだろうね。

だからね、そういった行為を必要としない人間もいるのかもしれない。

でもね、どうしてもマイナスを請け負わないと生きていけない人間もいるのよ、絶対。純粋なのか、先天的ダメ人間なのか、わからないけれど。でもね人間なんて多かれ少なかれそういう部分って持ち合わせてると思うのよ。

では、超ビッグになってしまった桑田佳祐はどうなんだというと、それは各々自分で考えてみてくださいな。

実はまだまだ続く。また後日に。

※ 筆者注 (2023年)
ブライアンウィルソンの日本公演が1999年の7月。槇原敬之が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕されたのが同年8月26日。当時、旬の話題だったので彼を取り上げていますが、今になって過去をほじくり返そうとかそんな意図は全くございませんので。あしからず。



1999年9月10日『やっぱり懺悔するのは俺だ!』

〜9月6日の続き〜
で、昔から考えていたのが「作品と人格は別モノ」ってことで。イイ歌を書くから、その人が人間的に素晴らしいかというと別問題で。

例えばエルトンジョンなんか、例のダイアナ妃の追悼ソングですっげえ持ち上げられたでしょ。何か聖人君子みたいな感じで。

でも当の本人はチビ、ハゲ、メガネの三重苦でコンプレックスの塊じゃないすか。昔はそれを逆手に奇抜な衣装で自虐的に笑いをとっていたじゃないすか。だから好きだったんだから、俺は。

今でもMTVなんか見てると、昔のライブ映像で、ドナルドダックの着ぐるみみたいな衣装着て「YOUR SONG」を歌ってたりしてねえ。そのギャップが笑えたりしてねえ。

でも、彼の賢い所は今後一切“キャンドルインザウインド”は歌わないと言った点。えらいね、潔いね。風潮をよくわかってるね。自分をよくわかってるね。

あとエリッククラプトンなんて、今じゃ“イイ渋いおっさん”の代表みたくなってるけど、ただのアル中、ヤク中、女好きだよ。最近じゃ暴力亭主だったことをカミングアウトしたみたいだし。来日した時、竹内まりやを口説いたっていうのは有名な話しだし。

「LAYLA」なんてジョージハリソンの奥さんを寝取っちゃう手立ての歌でしょ。これ一般社会じゃ考えられないよ。友達の奥さんを奪うために曲を作って、それが代表曲になって今でもシャアシャアと歌ってられるなんて。「ギターの神様」どころじゃないよ。人間的に破綻してるんだから。

んーと、あとジョンレノンなんて最たる御方で、桑田さんは「自分の周りには、いて欲しくないタイプ」って言ってた。

だって、口は悪いし、攻撃的、好戦的な性格で喧嘩っ早いし、アル中、ヤク中ラリパッパだし、オノヨーコという女性が登場して以来、ドップリ溺れて生き方まで変えちゃうし。

それを「IMAGINE」や「LOVE」あたりだけ取り上げて“愛と平和の使者”みたいな扱いしちゃうのってチャンチャラおかしいよ。だから評価すべき点は評価して、笑うところはキッチリ笑っちゃえばいいのよ。どこかで客観的な視線を持って。

それをファンが自分の生活半径5メートル位の認識で、マスコミの受け売りで勝手にイメージを作り上げちゃうという。昨今のニッポンの意味なしブランド信仰も全く一緒。

どこかで自分の価値観と、周りの価値観とすり替えちゃって偶像崇拝している、まるでどこぞの新興宗教と心情的に何ら変わりないというね。プラダもグッチもGLAYも宇多田ヒカルもサザンもみんな一緒。ファンなんてクソくらえ!と思っちゃう。先っぽだけをとっ捕まえて、それが全てと思い込んじゃう。所詮ファンなんてその程度のものなんだろうけど。

(この間、書いていてわけわかんなくなっちゃったから割愛。ホントは一番の本題だったんだけど・・。)

でも、古今東西あいも変わらずミーちゃんハーちゃんのおかげで世の中が動いているのも重々承知しております。

話を戻すと、人気シンガーソングライターの槇原敬之(30)をあそこまで追い込んだのは、マスコミであり、ファンの身勝手なイメージだと思うのですよ。念のために言っておくと、大きな意味で“ファン”ということで、言い換えれば世間の風潮。品行方正、清廉潔白な優等生というイメージ。

もちろん本人の人間的脆さに問題があったのは釈明の余地がありませんが。
罪は罪だし、法に触れた行為なんだからきっちりみそぎはするべきだし。
でもね、それまでにやっぱりファンがキチンと彼の事を笑い飛ばすべきだったと思う。
一般ピープルとしてはそこまでしかできませんが。もしくは本人がカミングアウトしちゃうとか・・。そうすればどれだけ楽になれたか・・。

そういった意味においてもしかしたら、逮捕されて一番ホッとしているのが当の本人だったりして。ようやくそのイメージから解放されたと。身体は拘束されてるんですが・・。ものすごいパラドクス。

だからね、人気シンガーソングライターの槇原敬之(30)がモーホーであろうと、クスリ漬けであろうと、それをネタに笑い話にしつつ、歌を聞いて涙する。これが正しいファンの姿ではなかろうかと。

そして人気シンガーソングライターの槇原敬之(30)も今後カムバックする機会があるのなら、そのネタで自虐的に笑いをとりつつ、歌で泣かせると。
それがカッコイイのではなかろうかと。私は期待してます。



2001年12月03日『私がAAAを好きな理由』

Act Against AIDS(クワガタムシ対カブトムシ)行って来ました。やっぱね、イイ意味で裏切られます、AAAには。

全曲完コピだという。ほとんど素人のノリだもんねえ~。当たり前なんだけど、本当に全曲レノンさん作品だった。
カバー物って最後の「ロックンロールミュージック」だけだったもんなあ。あれはオマケか。
ホント、途中まで「この人、もしかしてレノンさんの曲、全部やるつもりなのか?」って思うほど貫徹してたじゃん。

で、やっぱり、クスリでラリってる頃のレノンさんって一番カッコよくて。今回の「Tomorrow Never Knows」からの一連の流れとかさあ。

改めて、年代順に追って聞いてみると、もちろんビートルズのフロントマンとして時代を開拓していったんだろうけど、その時代その時代に即しながらも、はみ出そうとしてた、いや正確にいうと、自ずとはみ出ちゃった感。
どこにいても馴染めていない居心地が悪そうなイライラ感。
ヨーコさんに出会って、キンタマの首根っこ握られて押さえつけられちゃった感。
桑田さんが言う所の、ポールの才能に対しての嫉妬感も含めてね、いろんなものが交錯してた、まさにカオス真っ只中のレノンさんの『ぶっ壊れた感じ』がいとおしくてしょうがない。

プライマルスクリーム受けちゃったり、いわゆる世間で言う『愛と平和のジョンレノン』になっちゃう前の、さながら蝋燭の炎や電球が切れる直前が一番明るいというか、逆に言うと夜明け前が一番暗いという、おそらくビートルズがバンドとしても一番スパークしてた頃の『ぶっ壊れ感』がやっぱカッコいい。

ホワイトアルバム以降は、もう"ビートルズ"という名の4人のソロ作品集だから、別物として。それはそれで腐っても鯛で好きなんだけど。こんなのただの一般論か・・。
今、書きながら年代がメチャメチャだなと気づいてはいるんですが(笑)。
まあ、要するに、雰囲気を察していただいて、この辺とか萩原健太氏のこことか併せて読んでいただければと。

それにしても「グラスオニオン」はカッチョよかったなあ。イントロなしで突然だもん。誰も予想してなかっただろうね、こんな曲やるとは。これがあるからAAAはやめられない。昨日からビデオでこればっか見てるもん。ライブ中、気がついたら、半口開いてポカーンとしてた。これ、アホ面しながらウットリしてたという意味ざんす、ハイ。。

この曲って、レノンさんに言わせると
『ぼくなりの言い方で「お前らみんなくそったれだ」って言いたかっただけ』 だってさ。いかすぜ!
いやあ、ホントに世の中とか音楽とかを"なめくさってる"感じが、まさに私にとっての『ジョンレノン』なんです。『桑田佳祐』もまったく一緒です。

で、ライブの最中、改めて、自分は何故にAAAが好きなのか気がついた。
やっぱりね、淡々と演奏を続けてるからなんだよね。コンセプトが明確で一本筋が通ってて、背筋がピンとしてるような感じが。サザンのお祭り的な要素やコミカルな部分を排除してるところが。余計な装飾はなしってところが。まあ、MCやジングルは、しょうがないの、あれは。桑田さんの生き甲斐だから、あれは(笑)。

そういった意味でね、イブモンタも、歌サスも、クラプトソもホント楽しめた。でも、オールリクエストショーって2回ともつまんなかった。2、3曲やって、MCって感じだったでしょ。そのせいだったのかも。サザンの曲をやっちゃったりね、サービス精神旺盛すぎて。

今回は、とにかく淡々と黙々と曲を続けてたでしょ。余計なアオりもなく、ギターを抱えて歌っているだけ。
だからね、観客がダレてきて、引いてきてるのがありありと見えたし。そうなると、俄然、自分の中ではミョーに燃え上がってるしね。

何かね、やっぱり客を突き放してるライブ、姿が好き。客のためなんだろうけど、実は自分のためにやってる姿が。
サザンではそうはいかないからね。99%観客のためにやってるから。

再三、この日記でも書いてるけど、自分自身あんまりライブが好きじゃない。っていうか、肉感的な感じが。一緒になって盛り上がりましょう的な一体感がダメなの。もう俺のことはほっといてくれって(笑)。協調性がないのか。ライブの盛り上がりって半ば強制的じゃない?集団心理の中の暴力というか。予定調和が当たり前で。みんなその予定調和を楽しみに来てるんだろうけど。

でね、実はライブの時って、何故かあんまりステージに集中してないんですよ、わたくし。なんか余計なところばかり見てて。
ミョーな客を見てたり、目立たないメンバー見てたり、スタッフ見てたり、天井見上げたり、スポットライトの当たっていないところばっか見てる。
おかげで、次のセットチェンジのきっかけを発見したり、それはそれで面白いんだけど。
前にも書いたんだけど、自分の中で血肉化しちゃってる曲って、あんまり興味なくて、音は聞いてるわりに全然違う事を考えてたり・・。
何をしに行ってるんだ、俺は?

ライブって子供の頃からそうだったんだけど、周りが盛り上がれば盛り上がるほど、自分はサーッと覚めてっちゃうし、
周りが盛り下がれば盛り下がるほど、自分の中で燃え上がっていくという、ホントにひねくれてるのかね、俺って。

みんな、自分が知らない曲になると、如実に引くもんなあ。とっても、わかりやすくていいんだけど。まんまで。

俺、逆で、桑田さんに限定すると、自分が知らない曲をやってくれた方が最高潮に盛り上がるんだけどなあ。初めて歌う曲とかね。盛り上がるっていっても、ワーッ!て騒ぐんじゃなくて、フツフツとメラメラと心の中が熱くなってくるんだけど。

サザンのライブでも昔なんかは、必ずカバー物を挟み込んできたでしょ、それを生で聞きたいがためにライブに行ってたと言っても過言ではない。自分の中じゃそこが一番盛り上がってるんだもん。観客はおしゃべりとか始めちゃうんだけど(笑)。

今回、特に観客の盛り下がりが感じられてね、「アクロスザユニバース」が終わったあとも、終わったのかどうかわかんなくて、アンコールも異様に少なかったし、何か引きまくっててホントに楽しいライブでした(笑)。

でも、俺がモー娘。や、あゆなんかのライブに行ったら、全曲ヒット曲でやってくれって思うに違いないんだろうけど。ぶち切れて、ノリノリに騒ぐライブも好きよ、実は。。

でもね、今回は生で見ておいてよかった。テレビで見てるだけだと単調すぎてつまんなかったかも。
「またこの曲かよー」って、リモコン片手にビデオ早送り>>早送り>>だったかもしれない。生だと、否が応にも聞かなくちゃいけないし(笑)、場の臨場感ってのもあるから、新たな発見もあるし。ひょんな所から心の隙間に入ってくる曲もあるし。
「"抱きしめたい"ってこんなイイ曲だったっけ。」とかね。
ビデオだったら早送り>>間違いなしの曲なんだけど。

個人的にはアンコールに入ってからのソロ曲は、いらなかったなあ。その分、もっとビートルズやってもらいたかった。
まあ、こんな不安定な時代ですからね、いたしかたないかと。これほど伝わりやすいメッセージもないっすから。

これ書きながら、何となく気になって、今年10月のジョンレノンスーパーライブを検索してみたら、やっぱり奥田民生ちゃん、さすがだわ。この方も「なめくさってる」感じがグッド。

何か書いてるとキリがないから、まとまりがないわりにこんなとこで。

追記
今日、鼻歌でジョージさんの「ギブミーラブ」なんか口ずさんでいたら、なんかリアルに『あー、ジョージさん死んじゃったんだなあ・・』なんてホロリときてしまった。そんなに思い入れないくせに・・。死ねば聖人扱いだからねえ、誰でも。
で、いつになったら『(笑)』から離れられるんだ、俺は。



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