YU-SUKE O-SHITA

サザンオールスターズデビュー20周年の1998年からほんの数年間、サイトに書いていたネ…

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サザンオールスターズデビュー20周年の1998年からほんの数年間、サイトに書いていたネタのアーカイブ。そして、四半世紀の時を経てサザンデビュー45周年の2023年から書く新ネタ。ほぼほぼ20世紀の遺物。

最近の記事

車屋さん~桑田佳祐

<Wikipediaより> 「ひばりのドドンパ/車屋さん」は1961年4月15日に発売された美空ひばりのシングル盤レコードである。 作詞・作曲:米山正夫 編曲:福田正 当初はB面だったこの曲、リリース後は「車屋さん」を披露することが多くなったためか、後にA面となった。 やっぱり歌上手いなぁ~ 2004年には東京事変がカバーし、シングルとして発売。 桑田佳祐がこの『車屋さん』をカバーしたのが 2001年3月9日の 音楽寅さん「美空ひばり特集」が初めてかなあ・・。 これ以前

    • Tarako

      <タイトル> 結論から言うとこの「Tarako」というタイトルの新説・真説・深説をぶちまけます。題して『シン・タラコ』。 1984年アルバム『人気者で行こう』リリース後の9月、サザンオールスターズメンバー全員が合宿と銘打ちロサンゼルスに1ヶ月滞在。 シングル『Tarako』のレコーディングとミュージック・ビデオの撮影を行っている。 当時の活動に関して詳しくはここ↓ なぜLAでレコーディングされたこの曲のタイトルが『Tarako』なのか? 1984年桑田佳祐のオールナ

      • サザンオールスターズメンバーのお気に入りアルバム3選(1979)

        1979年の月刊明星(or平凡?)の付録冊子に載っていたサザンの各メンバーがお気に入りのアルバムを3枚選ぶという企画。 サザンデビューから1年とちょっと。ミーハー雑誌の割にこれがなかなかどうして渋いもので、今見ても感心する。 桑田佳祐1979年に「RAM」を選ぶとはこの時代を考えると奇特な人だったのかなあ。シビれる。今でもフェイバリットアルバム不動の地位である「RAM」。 「マンハッタントランスファー」デビュー盤は当時、桑田さん一番のお気に入りでした。 「シルクディグリーズ

        • Just A Little Bit

          <曲> とてもアルバムリリース前のプロモーション用トークとは思えないヘビーな内容(笑)。煮詰ってた時期の本音トーク。 <2000.04.19記>

        車屋さん~桑田佳祐

          HAIR

          <タイトル> どっちなんだ!でも、どう考えても後者でしょうな。 <曲> 「猫に小判スタジオ」とは桑田佳祐の自宅地下にあるプライベートスタジオ。確かに曲の出だしAメロとエンディングの生ギターの音はチープでそれはそれで味わい深い。 <1999.10.03記>

          CHRISTMAS TIME FOREVER

          <詞> アルバム「世に万葉の花が咲くなり」のキーワードの一つに「暗黒の提示」というものがある。 これは前年に勃発した湾岸戦争であったり、バブル崩壊であったり、時代は明らかに暗い方向に向かいつつあった事を示唆している。 しかし、その反面ヘアヌード写真集が大売れしたり、トレンディードラマとのタイアップでメガヒット曲が連発されたり(←サザンも当事者である) ディスコブームでジュリアナ東京がもてはやされたりと、暗いのか明るいのかわからないほど“混沌”とした時代の幕開けであった。

          CHRISTMAS TIME FOREVER

          「メリークリスマスショー」と「Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)」

          経済白書によるとバブル景気とは1986年12月~1991年2月の53ヵ月間。 まさにバブルが始まった1986年12月のクリスマスイブにオンエアされた豪華絢爛なテレビショー。それが「MERRY X'MAS SHOW」。(今考えると「テレビショー」というのがミソ。) 桑田佳祐が企画、音楽プロデュース並びに番組プロデュースにKUWATA BANDがクレジットされたこの番組。ドえらい制作費がかかっていそうだし、今考えるとホントにバブリーな番組だったなぁ。 ちなみに山下達郎「クリ

          「メリークリスマスショー」と「Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)」

          桑田佳祐とジョンレノンについて思う(仮)

          2023年12月9日の「やさしい夜遊び」のジョンレノン特集で桑田佳祐はこう語った。 また翌週の12月16日放送では 2023年最新の発言だけど、実は桑田佳祐って人はジョンレノンが亡くなった頃から今に至るまでこの考え方はあまり変わってない。 筆者自身もジョンレノンが神格化されている事に首をひねるばかりで。そんな考えを昔、日記で書いていたのでアップしてみます。この辺の考えは良く言えば今でもブレていないし、考えようによっては成長していないとも言えるし。。まあ、今のコンプライア

          桑田佳祐とジョンレノンについて思う(仮)

          政治家

          <タイトル> クリームの作品に同名タイトルの曲がある。 <詞> <曲・アレンジ> 私、この曲を聴くたびに漠然と “ああ、ビートルズだなぁ~” と思うのですが、それが何の曲かっていうのがさっぱり出てこないんです。どなたか教えてください。「恋をするなら」? 間奏のピアノソロは「Not A Second Time」だと思うんですが。 91年の年越しライブ「闘魂!ブラディファイト」の“サザン&ビートルズ合体メドレー”にもこの曲が挿入されていたので、何らかの“ビートルズつながり

          かしの樹の下で

          <詞> アルバム『綺麗』の歌詞に対するコンセプトが「ロックで日本語をやろう!」ということで、アルバム全体を通じて英語の量が極端に少ない。その中でも、この曲は歌詞に英語が使われていない。 (「祖国(ツーゴー)」は中国語ですかねえ?よくわかんないんだけど。) 「松田の子守歌」以来の事。 また、『綺麗』では、惚れたはれたのラブソングがグッと減り、ストーリー性のある、曲ごとの個性がはっきりした方向を打ち出している。 このように中国残留孤児をテーマに取り上げるという事自体が画期的

          かしの樹の下で

          嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE !

          謎の覆面歌手「嘉門雄三」について桑田佳祐が語った一言である。 その ”いとこ”が結成していたグループで唯一音源化されているのがこの『 嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE ! 』なのだ。アルバムの詳細データは色々なサイトに出ているので各自で調べて下さいな。 驚かされるのが桑田佳祐の身内だけあって、声も歌い方も音楽の趣味もそっくりなのである。うりふたつ。ドッペルゲンガー。 このライブアルバム、1曲を除く全てが洋楽のカバーなので、その原曲のプレイリストを作ってみ

          嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE !

          Dear John

          <詞> 桑田さんがニューヨークに行った際、ジョン・レノンの住んでいたダコタアパートを見に行ったそうだが(ただの観光客やなあ!)、その時、ホームシックにかかっていた桑田さんが勝手に自分とダブらせて想像していたそうな。その時の事を元にして作ったそうです。 「Strawberry Fields」「Riverpool」「No Reply」「Love」とレノンさんにちなんだ言葉が登場する。 「強がりばかりじゃなく、ときめく弱さまでいい」というフレーズ、これは桑田流最大級のレノンさ

          路傍の家にて

          <詞> このアルバムがリリースされたのが1988年。 当時を振り返ってみると、 【1987年】 ~地価高騰最高に~ 国土庁の1987年地価公示で東京都の平均上昇率が53.9%に達し「狂乱地価」といわれた1973年の33.8%を大幅に上回り、過去最高を記録した。 全国平均は7.7%の上昇。翌1988年も地価高騰はつづき、86-88年の3年間で東京都の住宅地の地価は約3倍に。この間、悪質な地上げが横行する一方で、土地保有者は値上がり益だけで、巨額の富を得た。 東京都心の

          路傍の家にて

          クリといつまでも

          <背景> 筆者もこれはホント~~に冗談抜きで名曲だと思う。実に深いんです。 一聴してタダのナンセンスソングにしか世間では認識されていないが、 実はそこには様々なものを背負っていることに気付かされるんですよ。 『スーパーチンパンジー』名義でCDリリースされたのが、1991年9月のこと。この曲が作られた頃の時代背景を追ってみよう。 まず1990年末から、原由子のアルバム『MOTHER』の製作が始まる。 レコーディング中の1991年1月に湾岸戦争が勃発。 それに触発され、『M

          クリといつまでも

          東京サリーちゃん

          これは誰が聞いてもビートルズの「アイアムザウォルラス」。 定位がまるっきりビートルズしている。 古今東西、洋邦問わず、ビートルズからの影響を受けた楽曲=オマージュソングは数々あるが(これは「Beatle Vibrations:ビートルズのフォロワーたち=音楽之友社」に詳しい)その中でも5本の指に入ると私は思っている。 例えばサウンドや曲調を似せてみたり、歌い方を真似したりというアプローチの “ビートルズ賛歌” はいくらでもあるが、ビートルズ、とりわけジョンレノン特有のラジ

          東京サリーちゃん

          シャ・ラ・ラ

          <タイトル> 最初の仮タイトルが「コンサートの最後にやる曲」。 その後「シャララクリスマス」→「sha la la」→「シャ・ラ・ラ」に変わっていく。1974年アルグリーンに同タイトルのヒット曲がある。 <詞> サザン初のクリスマスソング。 <曲> この言葉の通り、この後のツアー「ゆく年くる年」「そちらにおうかがいしてよろしいですか」では本編最後の曲として、演奏された。 現在のライブの定型である “バラードで終わるパターン”はこの曲が原点である。 ちなみに間奏のハ

          シャ・ラ・ラ