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しほちゃんとの絆

小娘には「しほ」ちゃんという名前の子と、なかなかに縁がある。高校生の時も、大学に入ってからも、この「しほ」という名前の子に、よく仲良くしてもらってきた。

今回はその話をしたい。

高校生のしほちゃん

高校生のしほちゃんとの出逢いは、1年生のクラスで。小娘→しほちゃんという順番の出席番号で、私たちの席は前後だった。

当時ICONIQというベリーベリーショートの可愛いモデルさんが世間を騒がせている時だった。実はしほちゃんも、ベリーベリーショートヘアで、まるでICONIQを彷彿とさせるようなヘアスタイルの持ち主だった。

彼女は剣道部に所属しており、とても硬派な女の子だった。硬派と言ったのは、顔色ひとつ変えず、いつもポーカーフェイスだったからである。

小娘はそんなしほちゃんにとても興味を持った。仲良くなりたいなと思い、毎日話しかけたのだが、彼女は一言も言葉を返してくれないのである。

小娘「おはよう!今日も暑いね〜!」
しほちゃん「…。」
小娘「しほちゃんはチャリ通だっけ?」
しほちゃん「…。」
小娘「昨日は部活後何してたの?私はとにかくサクシード(数学の問題集)、ひたすら解いてたよ。難しくない?」
しほちゃん「…。」

というような感じで、全く会話が成り立っていなかった。でも小娘はとにかく、しほちゃんのことを知りたい一心で、毎日懲りずに話しかける。(あの時の自分まじでハート強かった)

ある時の世界史の授業の時。
この先生がかなりクセが強くて、板書がものすごい量なのだが、書くのも早いし(キレイではない)、消すのも早いしで、ノートテイキングが間に合わないことが何回かあった。

その時に、しほちゃんにノートを貸してもらえるか聞いたところ、首を縦に振ってくれて、見事初めてちゃんとした会話が成立した。

その時に借りたノートがものすごく美しくて、とてもびっくりした。罫線と罫線の間の半分の大きさの字で整然と並んだ文字はとても美しく、色遣いやアンダーラインの引き方が統一され、見やすさ抜群のノートだったのである。

借りたノートを返す時に、ノートがヤバすぎる!!!キレイ過ぎるし、お金出して買いたい!!!みたいな安直なコメントしかできなかったのだが、しほちゃんに伝えてみた。

するといつもポーカーフェイスのしほちゃんの顔が少し緩み、にこっとしてくれたのだ。

そこから小娘はしほちゃんのノートテイキング術を盗むために、彼女の英語のノートも見せてもらうことにした。すると彼女は英語のノートを2冊取り出した。一つはよくある大学ノート。もう一つは、手帳の半分の大きさの細長いノートだった。
それは単語ノートと言って、自分が日々の中で初めて見た英単語をまとめたノートで、毎日持ち歩いているのだというではないか。

毎日部活三昧だったため、ノートを買いに行く余裕もなく、加えてそんなレアなノートを探す気力もなく、しほちゃんに「このノートいいね。」とだけ言っていた。相変わらず、返事はない。

そして1年があっという間に経ち、しほちゃんともお別れの時期がやってきた。しほちゃんから話しかけてくれることは一度もなかったが、最後にこの日だけ、しほちゃんから、私の肩をポンポンと叩いて、私に袋を差し出してきた。

なんだろうと袋を開けると、そこには、あの単語ノートが入っていた。私のために真新しい物を買ってきてくれたらしい。

しほちゃんに何度も本当に頂いていいのかと確認した。彼女は何度も頷き、私の喜びっぷりに最大の笑顔を見せてくれた。

この単語ノートが、しほちゃんと私の絆だ。
今も大変お世話になっております。

大学生のしほちゃん

大学生のしほちゃんは、高校生のしほちゃんと真逆のような人間だった。

人間が大好きで、まるで人懐こっこいわんこのような、いつもスマイルで幸せを撒き散らす子だ。

そんなしほちゃんとは共通点があった。
それは大学を5年で卒業する決意をしたこと。
しほちゃんはアメリカに、小娘はイギリスに1年間滞在し、その関係でギャップイヤーが生まれ、2人とも卒業が1年遅まった。

しほちゃんは人に愛を持って接することができる稀な人種だ。なかなか人を愛することができる人は少ないと思うのだが、彼女はそれができる人である。

小娘はそんな彼女をとても尊敬していた。

私は大学生活の5年間、彼女から大きな愛をもらっていた。私たちは5年間のうち2年間はバラバラだった。最初に小娘がイギリスに1年間行き、その後しほちゃんがアメリカに1年間行った。その間も、頻繁ではないが、定期的に連絡を取ったりしていたこともあり、物理的な距離を感じさせないような、心の近さがあった。

彼女は愛が深いが故に、それに翻弄されてしまう時もあった。特に、恋に落ちた時は大変だ。草食動物のように一体を見渡せていた視野は、肉食動物のように直線のみしか見えなくなる。

そんな彼女の真っ直ぐ過ぎる生き方が、本当に可愛らしくて、そしてどこか羨ましくて、彼女が大好きだった。

だからこそ、最後の追いコンでの出来事は、小娘にとって忘れられない思い出となった。

私たちのコースには6つの研究室がある。しかし、最後の追いコンは、研究室ごとではなく、6つの研究室が集まり、コース全体で行われる。

小娘の所属していたコースは特殊で、1〜3年のうちから研究室が確定していないにしろ、コースの研究室があり、そこで勉強をしたり、ご飯を食べたり、語ったりすることができる。そんなわけで、1〜4年生までの交流がとても深く、追いコンも教授を含め全員で行うのだ。

その追いコンで、最後卒業生がスピーチをするのだが、みんなこれまでの思い出やお世話になった先生方、後輩たちに向けて思い思いの言葉を述べていく。

そこでしほちゃんは溢れ出す涙をおさえながら、これまでのことを話していた。途中言葉を詰まらせる部分もありながらも、簡潔でまとまった言葉を述べた。

スピーチが終わったと思った瞬間、小娘の名前が呼ばれた。しほちゃんは私の名前を呼び、大きな潤んだ眼差しをこちらに向けながら、

「小娘、本当にありがとう。小娘がいなければ、こんなにも楽しい5年間を過ごすことができなかったよ。」

と真っ直ぐに伝えてくれた。よくある言葉かもしれない。でも小娘にとってはあのスピーチは特別だった。大勢の前で、マイクを通して、小娘の名前をわざわざ呼び、感謝の意を示してくれること以上に、特別なことがあるだろうか。

あんなにも真っ直ぐに気持ちを伝えてもらえることって、そんなに多くはないと思うのだ。

それをやってのけてしまうしほちゃんは、やはり只者ではないし、素晴らしく人情味溢れるというか、やっぱり愛で溢れた人間なんだと思う。

彼女のあの大きな輝く瞳が、言葉以上にすべてを伝えてくれた。あの瞳と彼女の言葉と、あのシチュエーションが、私は忘れられない。

そして最後にドレス姿のツーショット写真には、しほちゃんの肩を抱く小娘と対照的に、しほちゃんの手にはコース料理で食べきれなかったパンが何斤も入った手提げ袋を抱えていた😂

そんな写真をしほちゃんは爆笑しながら、インスタのストーリーにあげていた。ユーモアを備えた、愛に溢れる彼女との最後の写真は、今でもとっても大切にしている。

当時の写真🤳
2人ともテイストが似ているのか同じ色のドレス👗

毎月送ってくれる、しほちゃんの学校に掲示されるお寺さんの言葉に励まされながら、今日も頑張って働きます。

しほちゃんこれからもよろしくね。


写真はフランスのサントシャペル礼拝堂🇫🇷

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