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開業の時

今日は数日ぶりに快晴の一日になりそうです。天気がいいと気持ちも晴れやかになります。

父は、医療法人を経営していました。最盛期には200床ベットクラスの中堅病院を4つ、診療所を駅前にもち、このまま有数の医療法人になっていくと思っていました。
父の手記でも父が書いていましたが、国はどんどん保険の請求を狭めていってしまったので、当初入金の予定が
どんどん入らなくなってくるのです。
借りるときには、普通金融機関と、1年後、3年後、10年後の計算をします。
その時の入金金額、請求分を元に、このままの経営を維持するとという考えで計算していきますが、同じ患者さんの数をこなしても、どんどん入金の金額が減っていくというありえないような国の政策で中堅病院は経営がどんどんとん挫するようになります。

頭に据えていた理事長ももう無理だという状態になり、父は身売りを決意します。
見かけはかわりませんし、医療法人名も変わりませんが経営を金融機関にお任せし、退任することになります。

実はこのちょっと前になりますが、僕はそこの病院の次世代の経営者の一人として勉強しながらリハビリテーション科に所属していました。
僕自身も、リハビリテーション科にある程度所属しながら、経営を勉強してその後は役員に上がり経営をしていくつもりでいたのです。

ですので、今の状況とはまったく違う人生になるところでした。
人生の分岐点というのはいくつかあると思うのですが、その一つだったと思います。
最終的には僕がそこの病院を辞めたのは、鍼灸をやっていくためでした。
そのころにはすでに、経営状態は悪化してもう何年もつだろうかと実は思っていたのです。

父にしてみたら、なんとか僕にバトンを渡したかったに違いありません。
それがわかっていただけに、辞めることを決意し父に話す時は、勇気が必要でした。

父に、鍼灸院を自分で開業しようと思うと伝えた時は目を丸くして驚いていました。

自分で開業するというのか?
はい。自分の勉強した治療を患者さんに施してみたいんです。


・・・・・・

父のその時の顔は今でも忘れられません。

おそらくショックだったに違いありません。

でも、開業のその日に、一番大きな花を贈ってくれたのは父だったのです。

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