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五条で開運 「六道の辻」はあの世とこの世の別れ目


今回は六道の辻
ここは、あの世とこの世の別れ目と言われています。

六道珍皇寺

六道の辻とは、珍皇寺の前の通りのことで
この辺りには、あの世にまつわる伝説がたくさん。

まずは六道珍皇寺

なんて書いてあるかは、下を参照!
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そうして、修正しました 笑

地数の冥官小野堂の伝説が残る
現世と冥界の境界にある寺
古来、化野、蓮台野とともに、風送の地として知られていた鳥辺野。
かっての五条通であった間前の松原道は鳥辺野へ亡骸を運ぶ際の通路であった。現世から冥界へ行く際の入り口とされたこの寺の界隈にはさまごまな伝説が残る。平安時代、五条坂から今熊野あたりの阿弥陀ヶ峰の麓一帯は鳥辺野と呼ばれる京の東に位置する葬送の地であった。
旅人たちは、人が亡くなると亡骸を棺に納め、鴨川を渡り、鳥辺野へ至る道所にあたる六道参皇子にて野辺の送りの法要を営み、この地て最後のお別れの後、隠亡により風葬の地である鳥野山の運んで行かれた。そんな風習のためか珍皇寺の辺りを中世以降「六道の辻」と称し、他界(冥界)への入り口とされてきた。この六道とは、仏教の説く六道輪廻の死後の世界のことで、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間・天上界の六つの世界をさす。
衆生は死後生前の善悪の業(行い)により、六道のいずれかに赴くとされ、珍皇寺はこの六種の迷いの世界への入り口にあたり、こここそが人の世の無常とはかなさを感じる「あの世とこの世」の分岐点と信じられてきた。
この寺と冥界にまつわる伝説がもう一つある。それは、平安時代初期の官僚で、閻魔大王に仕えたとされる小野篁はこの珍皇寺の庭の井戸を使い、夜毎冥界へ通ったという。また、その出口として嵯峨野の大覚寺門前の大道町に明治頃まであった福生寺の井戸を使ったとの説もあるが近年当時の隣接民有地(旧境内地)より、冥土からの帰路の出口に使ったのではと伝わる「黄泉がえりの井」も発見され、神秘の世界との繋がりをより深めることとなった。
当山沙門興道敬白

六道珍皇寺案内より

ほんとに、冥界とか、冥土とか神秘的!

いかにもの雰囲気
閻魔大王がいます!
あの世への入り口!


靴を脱いで左の障子を開けて入ると
ご本尊様がいらっしゃいます。
授与所もこちらです。


閻魔みくじ


閻魔大王
格子窓から覗いておまいり
冥土通いの井戸も格子窓から覗きます


ぜひ、おまいりして見てみてくださいね。
詳しくは
ホームページに載ってます↓


そこから、松原通りを下っていくと

右手に、幽霊子育飴の看板
幽霊?なるほど↓

雰囲気ありますね
左の壁に芸能人のサイン色紙がずらり
ふむふむ、なるほど


そして、向かいに
西福寺さん

六波羅さんの角です。
西福寺 ご本尊は阿弥陀如来
御朱印の授与あります
これ、良い
光が入ってしまって見えなくなってますが
こちらも雰囲気あります。


いかがですか?

あの世とこの世の境目でこわい?
と感じる方もいるかも知れませんが、
知って歩くのと、知らないで通り過ぎてしまうのでは、旅行の質が変わるのではないでしょうか?

わたしはスピリチュアル的な感覚は全くありません。めちゃくちゃ鈍感…なんです。

でも、意識しているからか、歩くたびに亡くなった母を思い出したり、自分が死んでしまう時の事を考えたりします。
五条はいろいろな気分にしてくれる場所です。

この辺りは轆轤町の知名や歴史いろいろ含めて深い伝説が残る場所です。投稿内容以外にもいろいろあります。
ググってみて、興味がある方はぜひご参拝くださいね。

こちらは参考に↓

長くなりましたが、投稿を読んでいただきありがとうございます。
詳しい情報はそれぞれのホームページなどから得ていただいて、わたしの投稿ではリアルな現地を見てもらって興味を持っていただけたらいいな♪と思っています。

今後もお付き合いいただければうれしいです♪

では、最後に光とレンズの共演です!

西福寺さんの11時過ぎです。
丁度、太陽がいいところに昇るようです!

すごいゴーストが撮れたもんです。

では、六道の辻、開運になるかならないかは
その人次第⁉️
生を感じて日々を大事にしましょう♪

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