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A-SCRIBEに憧れて

はじめに

「A-SCRIBE」は、彫刻家の村田勇気様が企画構成をつとめる一連の個展群「SCRIBE」からの派生章の一つです。

村田勇気様のHP 


私は、「A-SCRIBE」に憧れています。

私は、親族の不幸に際したときの自己の振る舞いの原因が何に帰する(=Ascribe)のかを問う文書を出力し、某壁面を埋め続ける試みを行いました。

今回は、その素人のわがままの記録となります。

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昨年、晩冬に差し掛かろうかという週末の夜、故郷の父が他界した。
余命宣告を受けてからの日々はコロナ禍とも重なり、離れて暮らす私は残された時間を費やすことしかできなかった。
東北の船乗りの家系に生まれ七つの海を航海した男は、無口でもあり慈悲深くもあった。
海で生きていくことは死とも向き合うことだと胸に刻み込んでいたであろう父は、闘病中もその死に向かう辛さを沈黙のなかに閉じ込め無口を貫いたらしい。

後に母から聞いたのは、救急車を呼ぶかの問いに頷いた時の其が最後の言葉であったということだった。

父の他界の報は早朝に姉から届いた。
勿論、覚悟はしていたが、その期を迎えて冷静で居られる程の覚悟を私は具備していなかった。だから私は慌てふためき取り乱した。
どうやら喪主は私が務めるらしい。今にして思えば当然のことだと思うが、当時の私は其すらも混乱の流動のなかに放り出してしまった。

取り急ぎ、職場の上司に連絡をいれた。
喪主の務めを果たすための初動を果たしたつもりだった。
いやはや…しかし現実は、父が向かうであろう天国とはあまりにも異なるものだった。

10日後に始まる定期事業者検査の責任者は私だ。

「業務に支障の無いように」
上司の返信メールには、その言葉が含まれていた…そういうことか…

組織の規定では、喪主を務める場合に10日の特別休暇が付与されるはずなのだが…そういうことか。

父の死後、数日を職場で過ごし、葬儀前日の終業後、父の待つ故郷に向かった。夜を徹して車を走らせ自宅を目指した。
身なりを整えた私が父に会えたのは、葬儀の2時間前だった。

(中略)

業務に支障はなかった。風が強くて目と心を閉ざした日々を過ごしたと思う。
喪主の務め以外の全てを放棄して業務を優先したからだ。
葉桜の緑色が地面に落とす影よりも濃くなる時期を過ぎて、地面に落ちる水の輪が幾重に重なる水無月の頃、私は閉ざしていた目と心と開いてみた。

目からは涙が溢れた。
心からも何かが溢れようとしていた。それが何かは分からなかった。ただし、なにかをしようと考えた。

だから私は、父の死に際したときの自己の振る舞いの原因が何に帰する(=Ascribe)のかを問う文書を出力し、某壁面を埋め続ける試みを行った。

電気事業法のせいにする

紛れもなく私の振る舞いは電気事業法の務めを果たすためのものだった。
誰を責めるものでもない。
だから電気事業法のせいにした(と思う)。

●Jul-23

中断された緩和治療のせいにする

終末期の緩和治療よりもコロナ感染の対策が優先された。終末期の苦しみとコロナ感染の苦しみを同時に受け止めた父の苦しみを思うと、今でも胸が詰まって仕方がない。

●Aug-23

その場しのぎのせいにする

父の死に際し、私には何の算段もなかった。目の前にあるものには条件反射のように反応して後回しにしていたように思う。
それ以外に何が出来たのか、今でも分からない。

●Sep-23

我儘な矛盾のせいにする

その場しのぎは矛盾を生み出す。
その矛盾さえも自らのものとせず外因とすることで、私は自らの心の平静を保とうとしていたのかもしれない。

●Oct-23

ロン・ミュエクのせいにする

ロン・ミュエクの作品と父の死が重なった。
それすらも「せいにする」私は、救いを求めるよりも先に心の吐露を優先した。

●Nov-23

新型コロナウイルス感染症のせいにする

コロナ禍がなければ、父は苦しまずに済んだのか?
もっと会うことができたのか?
それは、父と私だけの問題ではないのではないか?
試み続けてきたことの境界がぼやけ始める。

●Dec-23_1

【 】『  』のせいにする

何に帰するのか…問う文書を出力することができなくなった。それに意味はあるのか?それで何かが得られるのか?
父の息子は子供じみた子供ですらないのか?

●Dec-23_2

文書が出力できないのなら、他に出力できるものは何か?
そう考えて数字を並べて見た。
数字は問いを含むのか?
他に何を出力できるのか?
私の中で何かかが消えたようだ。
まるで静けさの中に居るようだ。

●Jan-24

(       )

頭の中に文書はない。
意味を持たない文字の羅列と、それを囲む何かの軌跡と、並んだ数字。
私は耳を澄ます。耳からの入力を試みる。

●Feb-24

(       )

美しい音楽が聞こえる。
あれから1年が過ぎようとしている。
去年より寒い2月は、春を待つ気持ちを一層賑やかにするのだろうか?
花の季節が待ち遠しく感じる。
私は父に花を捧げたいと思った。
2月19日のことだった。

私が憧れた「A-SCRIBE」
彫刻家の村田勇気様は、動画サイトにも作品を投稿されています。

私はこの作品を見るたびに、Ascribeの日々を振り返るとともに、父との思い出も振り返ります。

おそらく私は、
振り返ることができるからこそ、
前を向いていけるのだと思っています。

前を向いて移動し続けた先に懐かしいものが待っていて、移動してきた軌跡が何かを包み込むようなものであるなら、それが問いの答えになるのだとも思っています。






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